コロナを通して変えられる〜詩篇98篇「新しい歌を主に歌え」

新型コロナ感染対策のための緊急事態宣言が再び延長されました。ほんとうに医療現場の逼迫の話を聞くと、やむを得ない措置かと思われます。

それにしても今年初めから、何度も緊急事態宣言の発令がなされておりますが、教会によっては、その発令の期間中は礼拝の場を閉じておられるところも多いと聞いております。ちなみにその原則に従うと、今年初めから9月末までの日曜日は39回ありますが、そのうち礼拝の場を開くことができたのはたったの8回ということになります。高い家賃を支払いながら礼拝の場を借りてこられた教会は、もう経済的に立ち行かなくなっているとも聞いております。本当に大変なことが起きております。

私たちの教会は、今年1月に二件の個人と家族の経路不明の感染が確認され、そのときは三週間礼拝の場を閉じましたが、それ以降は、ずっと礼拝の場を開いておりました。理由は、公共の学校が開いている中で、公の礼拝の場を閉じることを正当化はできないと私たちには思われたからです。礼拝のために集まることは、「神のかたち」に創造されたすべての人に与えられた特権であると思われるからということと、当教会堂の構造上、万全の感染対策を取ることで、感染の広がりを防ぐことができると考えたからです。

今まで、多くの方々のご協力を得て2月以降、礼拝の場を安全に開き続けることができたことに心より感謝しております。しかし、礼拝の場の構造や教会員の状況、地域的特性から礼拝の場を閉じざるを得なかった教会のことも、痛みとともにその対応を尊敬を持って受け止めたいと思っております。

それにしても、この新型コロナによって命を失われた方、また倒産に追い込まれた事業者も数多くおられ、本当に心が痛みます。

しかし、聖書の世界では、イスラエルという国が滅亡し、ユダヤ人がバビロンに捕囚とされたことから、新しい神の民の歴史が始まったと言われます。

そのことがイザヤ43章18、19節に次のように記されています

先のことに心を留めるな。
昔のことに目を留めるな。
見よ、わたしは新しいことを行う。
今、それが芽生えている

これは紀元前586年のダビデ王国の滅亡から、イスラエルの新しい歴史が始まるという意味です。歴史上の最も悲惨な出来事が、神の民の再生につながるという意味です。

現実に、バビロン捕囚を通して、旧約聖書がほぼ現在の形にまとめられました。また世界中にユダヤ人の礼拝の場としての集会場が生まれました。それまでは礼拝の場は「契約の箱の前」だけと言われていたことからの大きな転換です。そして、イエスは、「まことの礼拝者たちが、御霊と真理によって父を礼拝する時が来ます。今がその時です」(ヨハネ4:23) と言われ、新しい礼拝をすべての異邦人に開いてくださいました。

そして今、新型コロナはすべての国境を越えて被害を広げていますが、これは同時に、それに対して、国境を超えた協力関係が築かれるチャンスにもなっています。

私たちの礼拝においても、望みさえしたら、世界中、どこにおいても当教会の礼拝に参加できる形ができています。

聖書の教えには様々な解釈の可能性がありますが、同じような信仰理解を持つ人が、国境を越えて、その解釈を共有し、ともに祈り、ともに主を礼拝できるよになったということは歴史的な快挙です

もちろん、時間と場所を共有して、互いに手を握りながら礼拝できることは、何よりも素晴らしいことで、私たちはそのような礼拝を望むべきですが、一方で、Zoom などの新しいコミュニケーション手段で、顔と顔とを合わせることができて、ともに意識を共有しともに祈れるようになったということは本当に革命的なことです。

神は、どのような悲惨の中にも、新しいことを始めてくださいます。そのことが詩篇98篇1–3節で次のように歌われています

新しい歌を主に歌え。
主は、奇しいみわざを行われた。
主の右の御手 聖なる御腕が
主に勝利をもたらしたのだ。
主は御救いを知らしめ
ご自分の義を国々の前に現わされた。
主は イスラエルの家への
恵みと真実を覚えておられる。
地の果てのすべての者が
私たちの神の救いを見ている

 
英語で恐縮ですが、以下の詩篇98篇の賛美をご覧ください、お聞きいただければ幸いです。分かりやすい英語の歌詞も映ります。