休息に関しての黙想

小生は、明日から一週間、教会の働きをお休みさせていただきます。教会の祈祷会も、今週はお休みとさせていただきます。

聖書で最もユニークな教えは、一週間に一日の労働の禁止、七年に一年間の土地の休み、50年に二年間の完全な土地の休みと、割り当て地の回復(ヨベルの年)が命じられていることです (レビ記25章)。

今から40年余り前にドイツで働いていた時、ドイツ人はほぼ例外なく四週間の夏休みを継続して取っていました。日本人はその中で、周りのドイツ人から同情されながら、一週間だけの休みを取っていました。

その間、たとえば私たちは家族で、モンブランのふもとのシャモニーで1週間とかマッターホルンのふもとのツェルマットで1週間、自炊設備のある宿泊施設に安く泊まって、山々を散策していました。

多く日本人からはうらやましがられましたが、ドイツ人からは、「そんな短くて休みになるのか……」と驚かれました。

40年たって、日本の状況はますます悪くなっているように思います。キリスト教会の関係者も同じです。

お休みを取りたくても取ることができない方が何と多いことでしょう。その方々を責めるつもりは毛頭ありません。

しかし、これは互いに気を付け努力しなければ何も変わらないのではないでしょうか。

レビ記26章34、35節には、イスラエルの民が約束の地から一時的に強制移住させられる理由として、神の命令に背いて土地を休ませなかったことに対し、神が町々を廃墟にし、土地を荒れはてさせると記されます。

その際、「あなたがたが敵の国にいる間、その地は休む。そのとき地は安息を享受する」と記されています。

神の命令に逆らって、休みを取ろうとしなかった結果、神はイスラエルの民を約束の地から追い出したと記されているのです。

休まないことは、神のさばきを受ける正当な理由になります。ですから、私たちは、互いに休むことができるように配慮し、助け合う必要があります。これは厳しい神の命令です。

日本の現代の閉塞感、それは休むことを軽蔑したことのつけかもしれません。キリスト者の最大の務めとして、休みを広げる運動を……などと、実は、40年前から考えてきました。

それでも相変わらず、一週間の休みが精一杯ですが……、誰よりも早くお休みを取ることで証としようなどと考えています(笑い)。

みなさまもお休みを取られますようにとお祈り申しております。