友人からとってもとっても示唆に富むビデオを紹介されました。米国に新しいアイデアの拡散を意図した というプログラムがあります。
そこで2010年に が「傷つきやすい心の力」Power of Vulnerability という講演をしています。もう5400万回も見られています。
彼女の話し方はとってもユーモアにあふれていますが、幸い、分かりやすい日本語の字幕がついています。20分ぐらいのビデオです。
詩篇69篇に次のような祈りのことばが記されています
救ってください!神よ。 (1)
水が喉元にまで迫っています。
私は深い泥沼に沈み、足がかりもありません。 (2)
大水の底に沈み、奔流に押し流されています。
ゆえなく私を憎む者は髪の毛よりも多く、 (4)
あざむいて滅ぼそうとする敵は強いのです。
それで私は、盗まなかった物さえも、
返さなければならないのでしょうか。
あなたは、私が受けている そしり、恥、侮辱をご存じです。 (19)
私に敵対する者はみな、御前にいるのですから。
そしりが 心を打ち砕き、 (20)
私はひどく傷ついています。
理解してくれる人(同情者)を待ち望んでも、誰もなく、
慰めてくれる人も、見いだせませんでした。
彼らは食物の代わりに苦味をよこし、 (21)
渇いたときには酢を飲ませたのです。
今から30年前に、僕はこの詩篇のことばに自分の気持ちがそのまま書いてるように感じ、それから詩篇が大好きになりました。
それまで自分の心の傷つきやすさを恥じていました。しかし、それはダビデの気持ちであり、それどころか、19–21節はイエスご自身のお気持ちであると分かって深く感動しました (ヨハネ19:28参照)。
1997年にはカナダのリージェント・カレッジに行き、そこでジェームス・フーストン教授に出会いました。
1999年には来日し、当教会でメッセージをしてくださいました。今度の日曜日にそのメッセージをご紹介します。昔のものでデータ化できていません。紙のコピーしかありませんが、それが今週になって見つかったので……
フーストン先生は、さかんに Vulnerability(傷つきやすさ)が、神との出会いの窓になると語ってくださいました。僕の詩篇の本の底流にこの概念があります。
それを心理学的に説いているのが、上記のブレネー女史です。
今も、僕自身は自分の傷つきやすさを恥じることが何度もあります。
しかし、振り返ってみると、それを通して、自分の新しい世界が開かれてきました。傷つきやすさを麻痺させようとすると依存症に陥ります。しかし、それに優しく向き合うと、そこから喜び、創造性、感動が沸き起こります。
実は、それこそ詩篇の世界です。信仰者にとっては、それこそ聖霊のみわざを体験できる機会になります。
信仰者にとっては、三千年前からある当たり前の話ですが、不思議に、それを心理学的に説かれると、心に響きます。
なぜなら、私たちは無意識のうちに、信仰によって、心は傷つきにくくなる……という誤解をしているからです。
信仰者は、他の人の誹謗中傷や誤解に耐える力が与えられている……と思い、傷ついてはいけないと思う場合があります。
しかし、それは大きな誤解です。傷つきやすい人と、傷つきにくい人が生まれながらいます。それはその人の生まれながらの気質のようなものです。最近はそれを Highly sensitive person (HSP) と呼ばれたりしますが、ダビデの詩篇を見ると、彼こそが HSP だったような気さえします。
信仰者とは、傷つきやすさの中で、神に出会うことができる人であって、決して、心が傷つきにくくなる人ではありません。
そんな当たり前のことを、改めて感じさせられました。