ともに生きる麗しさ〜詩篇33篇

東京オリンピックが間近に迫る中で、新型コロナの新たな変異種の広がりがあり、国論が二分されております。

クリスチャンの間でも、オリンピックに対する見解には一致が見られません。

昨年は米国の教会でトランプ再選を巡って、米国の教会の中に大きな意見の違いが生まれました。それがかなり感情的な対立となり、親しかった人同士が落ち着いて話すことができない事態にまで達した場合もあったと聞いています。

さらに米国では、LGBTを巡っての意見の対立も先鋭化し、米国で二番目に大きい合同メソジスト教会も分裂の方向に向かって動き出しています。

今、日本においてもLGBTを巡って、意見の違いが徐々に明らかになりつつあります。来週早々に開かれる日本福音自由教会全国教役者においても、このことが議論されます。そこで小生もレポーターの一人として世界の現状を報告することになっています。

私たちは、いつも神のみこころを求めますが、それはときにそれぞれの中で、命を懸けるに値する真理となって、互いの対立を生むことがあります。

しかし、創世記3章によると、蛇が女を誘惑したことばの核心は、「あなたがたが神のようになって善悪を知る者となる」ということでした。つまり、自分を神とし、自分を善悪の基準とすることこそが、罪の基本でした。

ですから、神のみこころを巡って、互いに相手を全否定するようなことがあったとしたら、それこそが、真っ向から神のみこころに反することです。

オリンピックにしても、LGBTの問題にしても、互いの意見の違いを聞けなくなること自体が、私たちが絶対に避けなければならないことと言えましょう。

そのために大切なのは、意見の違いが、感情的な対立にならないように、互いを尊敬し、受け入れ合うことです。

イスラエルの民は、今も昔も、驚くほどの意見の対立の中に生きてきました。

そのような中で、彼らは以下の詩篇133篇を心から歌うことで、意見の対立を乗り越えてきました。

見よ なんという麗しさ(幸せ) なんという楽しさだろう
兄弟たちが一つになって ともに生きる(住む)ことは

頭に注がれた麗しい油のようだ それはひげに


したた

り落ちる
それはアロンのひげに、そこから衣の端にまで滴り落ちる

ヘルモンの露のようだ。それはシオンの山々に滴り落ちる
主 (ヤハウェ) がそこにとこしえのいのちの祝福を命じられたのだから

これをヘブル語にすると ヒネ マァ トーブ(見よ、何と 善い【麗しい、幸いな】ことか)になります。

以下はイスラエルの民が肩をくんでこの聖句を静かに歌っている場面です

以下がこれを歌いながらのフォークダンスです

以下が分かりやすい英語バージョンです