主にあって喜べ 主はあなたの心の願いをかなえてくださる〜詩篇37:4

昨日は自由学園公開講座での「霊性の神学」において「自分を知る」というテーマで実践的な学びを導かせていただきました。

多くの人には、自分も含め、自分の性格や気質を好きになれなくて、全能の神にあって自分が変えられることを望んで、イエスを救い主として信じるというプロセスがあります。それ自体は良いのですが、知らないうちに、自分の心の闇の部分に過剰に目が向かってしまい、「主にあって喜ぶ」ということが疎かになることがあります。

僕自身も昔は、自分の性格傾向が教会をダメにしていると深く悩んだことがありました。でもそうすると、ますますいろんなことが悪循環になりました。しかし、弱さを含め、自分の気質全体を優しく受け止め、それを生かすという方向で動き出した時、いろんなことが良い循環へと変わって行きました。そのあたりのことを、まもなく発行される「舟の右側」という月刊誌に記しています。

詩篇37篇4節は以下のように記されています

主 (ヤハウェ) を自らの喜びとせよ。
主はあなたの心の願いをかなえてくださる

でも、この箇所は、次のように訳すこともできます

Delight yourself in the Lord,
and He will give you the desires of your heart.

主 (ヤハウェ) にあって喜びなさい。
主はあなたの心が切望してるものを与えてくださる

これを子どもたちが馴染むことができる歌にしてくださったのが、米国カリフォルニアの に属する Junko Nishiguchi Cheng さんです。以下のサイトでお子さんたちの笑顔と共に聞くことができます

サドルバック教会では、様々な依存症の癒しのためのスモールグループが盛んです。依存症に陥る人に共通するのは、心の内側にある途方もない自己嫌悪感です。

しかし、自己嫌悪から生まれる変身願望は、その人の個性を否定する方向に働き、かなえようのない誤った願望をかなえるようにと人の心を駆り立てます。

出発点に、創造主ご自身にユニークに創造された自分自身を喜ぶという姿勢がなければすべてが空回りになります。

そして、「主にあって喜ぶ」ということを何よりも大切にする生き方は、主との交わりを深め、主ご自身があなたの心の奥底にある「渇き」を癒してくださるように働くことになります。「反省」を重ねることで、あなたの心の願いがかなえられるというのではなく、主を喜ぶことが、結果的に、心の奥底にある渇きを癒す方向へと導くという逆説を覚えたいものです。

残念ながら、しばしば、伝統的なキリスト教会での罪の認識を深めるという方向は、心理学的には、自己嫌悪感を深める方向へと働く傾向があったように思えます。しかし、それは聖書が指摘する罪意識とは異なります。

昨日の自由学園の講座では、人の心の奥底にある九つの渇きから、それから生まれる健全な生き方と、空回りを引き起こす生き方を見てみました。それは「エニアグラム」と呼ばれ、教会歴史の中で大切にされてきた心理分析です。

人の心の奥底には、「完全さへの渇き」「親密さへの渇き」「成功への渇き」「感動への渇き」「知識への渇き」「安全への渇き」「楽しさへの渇き」「強さへの渇き」「平和への渇き」という九つの渇きがあるというものです。

実は、15年ほど前に、当教会のリトリートで、このエニアグラムをともに考えたことがあります。今回、自由学園でのセミナーのために学びなおして、改めて、神ご自身が私たちの内側にある、それぞれの固有の渇きを癒してくださるということに目が向かいました。

ちなみに、僕の司式のもとで結婚された方は、独自の誓約文を作るためにこのエニアグラムの知恵を活用していただいています。それぞれの異なった心の渇きへの組み合わせから生まれる二人の関係の空回りの傾向が見えてきます。

ご希望の方がおられたら独自のセッションを持つことができます。でも、決して、ご自分から希望されない方に、このような分類を当てはめることはしませんし、このような枠にはめてそれぞれの方を評価するようなこともありません。

人や自分は、本当に多種多様な角度から見ることができますから、その人その人にあった自己認識の方法があるという視点を大切にしたいと思っております。

この詩篇と合わせて次のイザヤ61章10節のみことばを味わってみていただければ幸いです

私は主 (ヤハウェ) にあって大いに楽しみ、
私のたましいも私の神にあって喜ぶ。
主が私に救いの衣を着せ、
正義の外套をまとわせ、
花婿のように栄冠をかぶらせ、
花嫁のように宝玉で飾ってくださるからだ

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