今週はイエス様の十字架の御苦しみを覚える受難週です。この週は特に、主の御苦しみに思いを馳せることを通してかえって私たちが不安や罪責感から解放されるという逆説を体験することができます。
まず詩篇130篇には以下のように記されています。
主よ あなたがもし不義に目を留められるなら
主よ 誰が御前に立てるでしょう
しかし、あなたが赦してくださるゆえに
あなたは人に恐れられます (3、4節)
私たちが神の子とされるために、どれだけイエスが苦しむ必要があったかを覚えることには、不思議なたましいの癒しにつながります。
讃美歌136番で「血潮したたる主のみかしら」と訳されているドイツ・コラールは、もともと12世紀の が作ったラテン語の歌詞をもとに17世紀のドイツの詩人 が大胆に意訳したものです。これは十字架のイエスの御顔を黙想する中から生まれた歌です。
そこでは、主イエスの十字架の痛みを絵画的に表現すると同時に、そこに現された神の愛と、それに対する信仰者の応答を表現したものです。
この曲はバッハのマタイ受難曲に繰り返し出てきており、世界中に知られている の代表作とも言えましょう。
なお、ここには信仰者が抱くイエスへの神秘的な愛を描いており、理屈ではなく心情で味わっていただきたい歌詞が多く記されています。
以下でそのメロディーをお聞きいただくことができます。歌われている歌詞の順番は本来の歌詞の順番とは異なります
以下は、十番まである歌詞を歌えるように自分なりに訳しなおしたものです
- 聖き御頭(かしら) 血潮に満つ
いばらかぶされ さげすまれぬ
こよなき誉れ ふさわしきを
今は あざけり ののしり受く - 貴き御顔 ああいたわし
つばきかけられ 打ちたたかる
この世のすべて 造りし主の
栄え奪うは 誰(たれ)のわざぞ - 今は 隠れし 主のほほ笑み
死の闇やどす 主のくちびる
人の姿で 現われしは
この苦しみを 受くるためぞ - 主の負われしは わが罪とが
怒り受くるは われなるべき
こころ痛めて 悔ゆる者に
愛のまなざし 注ぎたまえ - わが飼い主よ 見つめたまえ
きみはすべての みなもとなり
きみが糧もて この身ささえ
きみが霊もて 活かしたまえ - きみが苦しみ 仰ぎ続け
われ御前より のがれまさじ
息引き取りし 主の御頭
我が腕をもて 抱かせたまえ - われに幸い もたらすため
尊きイエスは 苦しみたもう
生くる限りは この身ささげ
十字架の愛に われは応えん - 愛しきイエスよ 感謝あふる
きみがあわれみ とわの望み
この身冷たく 死せるときも
愛の御手もて つつみたまえ - きみが愛なお 忘れしとき
わが手をとりて 戻したまえ
恐れ惑える 暗きときも
きみが苦しみ 力なれば - 主の十字架こそ わが盾なり
いまわのときも 見させたまえ
きみが御姿 心深く
かたく据えなば やすけくあらん
当教会では今週金曜日夜7時から礼拝堂で上記の讃美歌を含め受難の讃美歌を味わう受苦日音楽礼拝を開きます。どなたでも見ていただけるように、教会ホームページで します。