御冠(みかむり)をなれは捨てて 世に下りまししに
ただの一部屋(ひとま)さえも空けて
迎える(むこうる)家なし
君よ この心に 来たり住みたまえ
という英国のクリスマスキャロルがあります。以下で本田路津子さんの美しい賛美を聞くことができます。
イエスが汚い飼葉桶に生まれたのは、イエスご自身が汚く暗い私たちの心の中にも住むことができるためでもあると言われます。
今年は特に暗いことが続きましたが、その中で、イエス様は私たちの心に住んで私たちをお用いくださることができます。
なぜならイエスは私たちをある意味でご自身の最高傑作として創造してくださったからです。以下の詩篇139篇11-14節私訳を味わってください。
たとい私が、「闇が私を覆い、私の回りの光が夜となる」と言っても、
あなたには、闇も暗くなく、夜は昼のように明るく、闇も光のようです。
それはあなたが、私の奥深い部分を造り、
母の胎のうちで組み立てられたからです。
私は感謝します。恐ろしいほどに、私は不思議に造られました。
みわざがどれほど不思議かを、このたましいはよく知っています。
以下でエリザベス女王のクリスマスメッセージをご覧いただくことができます。様々な今年の英国のコロナ対策の映像とともに女王のことばをお聞きいただくことができます。最近覚えた翻訳ソフト DeepL からの翻訳も下に掲示します。
キリスト教徒にとって、イエスは『世界の光』ですが、今日は通常の方法でイエスの誕生を祝うことはできません。過越祭、復活祭、イースター、イード、毘沙門天などのお祭りには、あらゆる信仰の人々が思うように集うことができません。しかし、私たちには命が必要なのです。
先月、ヒンズー教徒、シーク教徒、ジャイナ教徒が光の祭典であるディワリを祝い、社会的な距離が離れているにもかかわらず、希望と団結の喜びの瞬間を提供しているように、ウィンザー周辺の空を花火が照らしました。
驚くべきことに、人々を必然的に引き離してきた一年が、様々な意味で私たちの距離を縮めてくれました。私と私の家族は、英連邦全体で、地域社会でボランティア活動を行い、困っている人たちを助けている人々の話に刺激を受けてきました。
英国をはじめ世界中で、人々はこの一年の課題に見事に立ち向かってきました。特に若い人たちには、皆さんの活躍に感謝しています。
今年は、フローレンス・ナイチンゲールの生誕200周年にちなんで、国際看護師の日を祝いました。メアリー・シーコールのような他の看護の先駆者と同様に、フローレンス・ナイチンゲールは世界中に希望の灯をともしました。
今日でも、私たちの最前線のサービスは、現代科学の驚くべき成果に支えられて、私たちのためにその灯りを照らしてくれています。
私たちは、見知らぬ人たちの優しさに刺激を受け続け、最も暗い夜にも、新しい夜明けには希望があるという慰めを得ています。
イエスはこのことを善きサマリヤ人のたとえ話で語られました。泥棒に入られて道端に置き去りにされた男は、自分の宗教や文化を共有していない人によって救われます。この素晴らしい優しさの物語は、今日でも関連性があります。
善きサマリア人は、性別、人種、背景に関係なく、すべての人に配慮と敬意を示す社会全体に出現し、私たち一人一人が特別であり、神の目には平等であることを思い出させてくれます。
キリストの教えは私の内なる光となっており、一緒に礼拝に来ることで得られる目的意識を感じています。
11月にはもう一人の英雄を記念しました。無名の戦士の墓は大きな記念碑ではありませんが、ウェストミンスター寺院に入る人は誰もが彼の安息の地を歩かなければならず、第一次世界大戦の無名の戦闘員に敬意を表しています。
無名の戦士は特別な存在ではなかった。そこがポイントです。彼のような何百万人もの戦士が、歴史の中で自分の命よりも他人の命を優先してきたし、今日もそうしている。私にとって、これは困難で予測不可能な時代に耐えうる希望の源です。
もちろん多くの人にとってこの時期は悲しみに満ちています。親しい人を失ったことを嘆き悲しむ人もいれば、安全のために離れた友人や家族を失った人もいます。
クリスマスにはただ抱きしめたり手を握ったりするだけでいいのです。あなたがその中にいるならば、あなたは一人ではありません。私の思いと祈りを保証させてください。
聖書には、空に星が現れ、その光が羊飼いや賢者たちをイエスの誕生の場へと導いたことが記されています。クリスマスの光—無私と愛と何よりも希望の精神—が、これからの時代に私たちを導いてくれることでしょう。
その精神に基づき、皆様の幸せなクリスマスをお祈りします。