イエスは十字架で、「わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか」と叫ばれました。私は最初、この叫びに戸惑いを覚えていましたが、やがてこれが詩篇22篇の冒頭のことばであるということがわかり、この詩篇全体からその意味を考えたときに、「イエスは見捨てられた者の仲間となってくださったのだ……」という感動が湧き起こりました。僕は小さい頃から、仲間外れにされることを極度に恐れてきました。それは自分だけの問題かと思ったら、「見捨てられ不安」というのは日本人全体の課題なのだということが分かりました。
新型コロナ蔓延の日本人がこれほど敏感に政府の「自粛要請」に従い、死者数を世界的なレベルでは驚くほど少なく抑えられているのも、自分たちが感染源と「見られる」ことを極度に恐れることの効果かもしれません。しかし、その反動で、アメリカではヒーローと称えられる職種の人のことに関して、「差別しないように……」という訴えがなされます。英雄的な働きをする人さえ、感染源と見られることを恐れざるを得ない国民性に、何ともやるせない気持ちを味わいます。
しかし、詩篇22篇は、そのような「見捨てられ不安」に悩む日本人のために記されていると言っても過言ではありません。著者ダビデは、まず最初に、神からさえも見捨てられたという気持ちを味わいながら、なおも「私の神」と呼びかけます。そして騒ぐ心をそのまま神に訴えます。
その後、イスラエルの歴史を振り返りながら、神の真実を思い起こします。
ただ、そこで再び、自分が虫けらのように扱われ、人々から嘲られていることを訴えます。しかも、そこでは、神にすがる私たちの信仰すらが嘲りの対象とされます。
そして、自分が瀕死の状態にある苦しみを訴えますが、18節では自分が既に死んでいるかのように「私の上着」がくじ引きにされます。これはイエスの十字架で起こったことでした。
イエスはまさにこの詩篇22篇の苦しみを味わうために人となられ、誰よりもこの苦しみを身近なものとして体験してくださいました。
19-21節ではそのような中から、必死に神の救いを求める祈りが記されます。
ところが、21節の3行目から完全にトーンが変わります。神は見捨てられら者の叫びを聞いてくださったのです。
22節のことばは、ヘブル2章12節では、イエスの復活の喜びと、それをイエスが弟子たちを兄弟と呼んで、神の救いを喜ぶという感謝に変わります。そして、神を遠く感じたとき、実は、神は私たちの悩みやうめきをご自分の痛みであるかのように共に味わっていてくださったということが描かれます。
26節の「悩む者は 満ち足り」というのは何という感動的なことばでしょう。社会的弱者の方々に寄り添う働きをしておられる方々は、その感動を身近に味わうからこそ、このコロナの中でも働きを続けておられます。そして、主の御名が全世界であがめられるという流れが歌われます。
19世紀ドイツの作曲家フェリックス・メンデルスゾーンはこの詩篇22篇を美しい合唱曲に作曲しました。約10分間の曲ですが、詩篇22篇の抜粋が、原文の並行法を生かすように歌われて行きます。
できれば、下記のユーチューブで音楽を聴きながら、下記の詩篇22篇の私訳を味わっていただければ幸いです。ドイツ語で恐縮ですが、その曲の調子で、どの部分を歌っているかが想像していただけるかと思います。なお、約6分が経過しそうなあたりから、22節からの復活讃美に移り、曲のトーンが大きく変わります。10分間の中で、これほど劇的に十字架の苦しみから復活讃美に移る曲を私は知りません。ぜひみこととばとともに味わってください。
なお昨日ご紹介したように、このユーチューブの下の欄に丸い操縦桿のような印の「設定」画面から、ドイツ語の字幕をクリックし、そこから自動翻訳、日本語と選んでいただくと日本語の字幕に変わります。あまりにも不思議な翻訳が登場しますが、どの部分を歌っている分からない時の参考程度には使えます。ただ、さしあたりは、ただ曲のトーンの変化に合わせて、以下のみことばを黙想していただければ幸いです。
私の神、私の神よ。なぜ、私をお見捨てになったのでしょう? (1)
私の救いとうめきのことばから、遠く離れておられるのでしょう?
私の神よ。 昼、叫んでいるのに、答えてくださらず、 (2)
夜も、私には、静寂がありません。
あなたは、しかし、聖であられ、 (3)
イスラエルの賛美を住まいとされる方です。
私たちの先祖は、あなたに信頼し、 (4)
信頼した彼らを、助け出してくださいました。
彼らはあなたに叫び、助け出されました。 (5)
あなたに信頼して、恥を見ませんでした
この私は、ただ虫けら。人間と見られていません。 (6)
人のそしり、民の軽蔑の的です。
見る者はみな、私をあざけり、 (7)
口をとがらせ、頭をふります。
「主 (ヤハウェ) にまかせ、助けてもらえ。 (8)
救ってもらえ。お気に入りなのだから。」
私は水のように捨て流され、骨々はみな はずれ、 (14)
心は、身体の中で、ろうのように溶け、
力は焼き物のかけらのように渇ききり、舌は上あごにくっつきました。 (15)
あなたは私を、死のちりの上に置いておられます。
犬どもが包囲し、悪者どもの群れが取り巻き (16)
私の両手と両足を 突き刺しました。
私は自分の骨をみな、数えることができるほどです。 (17)
彼らは私をながめ、ただ見ています。
私の上着を互いに分け合い、 (18)
この衣のために、くじを引きます。
あなたは、主 (ヤハウエ) よ。遠く離れないでください。 (19)
私の力よ、助けに急いでください。
救い出してください。このたましいを 剣から、
ただひとつのいのちを 犬の手から。 (20)
救ってください。獅子の口から、 (21)
野牛の角から。
あなたは答えてくださいました。私は、御名を兄弟たちに語り、 (22)
会衆(教会)の中で、あなたを賛美しましょう。
主 (ヤハウェ) を恐れる人々よ。主を賛美せよ。 (23)
ヤコブのすべての子孫たちよ。主をあがめよ。
イスラエルのすべての子孫たちよ。主の前におののけ。
まことに、主は、悩む者の悩みを、さげすむことなく、厭うことなく、 (24)
御顔を隠されもしなかった。
むしろ、助けを叫び求めたとき、聞いてくださった。
大きな会衆の中での私の賛美は あなたから生まれました。 (25)
私は、誓いを 果たします。
主を恐れる人々の前で。
悩む者たちは、食べて、満ち足り、 (26)
尋ね求める人々は、主 (ヤハウェ) を賛美しましょう。
「あなたがたの心が、いつまでも生きるように!」
地の果てまでのすべての人が、覚えて、主 (ヤハウェ) に帰ってくるでしょう。 (27)
国々の民もすべて、あなたの御顔を伏し拝みましょう。
まことに、王権は主 (ヤハウェ) のもの。主は国々を統べ治めておられる。 (28)