外出自粛規制があと一カ月延長されるということに心が揺れている方も多いと思います。ドイツでは一昨日、メルケル首相が、キリスト教会の協力に感謝しつつ、集まって礼拝することを始めてくださいと語っていました。それぞれの国の対応に違いがあるのは当然ですが、正解は見えない中で必死に考えている指導者たちのためにお祈りして行きたいと思わされました。
明日の礼拝で詩篇91篇を説き明かします。それとセットになっているのが詩篇90篇です。この詩を歌っている面白いビデオを発見しました。
だいたい、以下のように歌っています
山々が生まれる前から 地と世界を生み出す前から
とこしえからとこしえまで
あなたは神(エロヒーム)です
まことに あなたの目には
千年も 昨日のように過ぎ去ります
人は草のようなものに過ぎません
どうか教えてください。自分たちの日を数えることを
そうして私たちに 知恵の心を得させてください
どうか喜ばせてください
私たちが 苦しめられた日々と
わざわいに会った年月に応じて
私たちはちりにすぎません
しかし、主よ 代々にわたって あなたは私たちの住まいです
どうか教えてください 自分の日を数えることを
そうして私たちに 知恵の心を得させてください
どうか喜ばせてください
私たちが 苦しめられた日々と
わざわいに会った年月に応じて
まことに あなたの目には
千年も 昨日のように過ぎ去ります
人は草のようなものに過ぎません
どうか教えてください。自分の日を数えることを
私たちの神 主の慈愛が 私たちの上にありますように。
私たちはちりにすぎません
しかし、主よ 代々にわたって あなたは私たちの住まいです
詩篇の第四巻は「神の人モーセの祈り」という標題から始まります。イスラエルの民は、モーセに導かれてエジプトでの奴隷状態から解放され、シナイ山で神の臨在のしるしとしての「契約の板」を受け取り、それを入れる神の幕屋を、主の指示に従って作りました。
それは神がイスラエルの民の真ん中に住んで、あらゆる敵の攻撃や様々なわざわいから民を守ってくださるという「しるし」でした。しかし、彼らはその意味を誤解しました。
「主よ 代々にわたって あなたは私たちの住まいです」(1節) とは、神が民の真ん中に住んでくださるという現実が、実は、私たちこそが神の神殿の中に生かされているという霊的な現実を指しているということを語ったものです。
それは、「山々が生まれる前から」の、世界が創造されるときからの現実だというのです (2節)。すべての人間は、「神のかたち」、神の現わす「像」として創造されましたが (創世記1:26、27)、この世界全体が神の神殿であり、私たち一人ひとりがその中で神を現わす存在であったはずなのです。
私たちの肉体的な素材は、「土のちり」(創世記3:19) に過ぎません。私たちは神からの「いのちの息」を受けて「人」となりました。ですから、私たちの存在は徹底的に神に依存しています。
そして神は「人をちりに帰らせ」ることによって、そのことを明らかにされます (3節)。神の時間の感覚からすれば、「千年も 昨日のように過ぎ去り」、私たちのいのちは、野の草のように「うつろい」、はかなく「枯れる」ものです (5、6節)。
ところが、イスラエルは自分たちの創造主、真の守り手である方を忘れ、約束の地に足を踏み入れることを躊躇しました。神よりも、目に見える人を恐れたのです。その結果、多くの人々が、神の「激しい怒りの中に消え去り……自分の齢を 一息のように終わらせま」ました (9節)。
ただし、同時に彼らは四十年間の荒野の生活を通して天からのパンによって養われ、「主の御口から出るすべてのもの」によって生きることを分からせられました (申命記8:3直訳)。そして、私たちのこの地の生活も荒野の生活に似た面があり、日々の神からのことばを含む賜物が必要になります。なお、このときにイスラエルの二十歳以上の人々が荒野の四十年の生活の中で死に絶えたように、当時の人々の生涯は、七、八十年が限度であり、生涯の「ほとんどは 労苦とわざわい」でした (10節)。
私たちはみな「神のかたち」に創造された、「高価で尊い」存在ですが、同時に、そのすべてのいのちは神の神殿の中で、神のみこころひとつで飛び去るものです。私たちは一日一日の歩みが、創造主に依存しているという「知恵の心」を持つ必要があります。
「帰って来てください。主よ」(13節) という願いは、モーセがイスラエルの民を約束の地に送り出すに当たっての祈りと考えるべきでしょう。主が民をその地に導いてくださるなら、「朝ごとに」主の恵みに満ち足り、「すべての日に 喜び歌い 楽しむ」ことができます。
私たちは新しいヨシュア(ギリシャ語では「イエス」)によって、すでに、「新しい天と新しい地」のいのちの一部を、荒野の生活のただ中で味わうことができます。そのために何よりも大切なのは、私たちの真の「住まい」である方に信頼し続けることです。
祈り
主よ、あなたこそが、「私たちの住まい」です。私たちに自分の日を数えることを教え、知恵の心を得させてください。そして、あなたのみことばで荒野の生活を生かし、朝ごとに、あなたの恵みで私たちを満ちたらせてください。