ONE WORLD TOGETHER AT HOME(一つの世界、一緒に家で)というインターネット・ライブイヴェントが4月19日に行われました。レディー・ガガが中心に世界のアーティストの協力で、コロナウィルスと戦う世界の医療従事者を応援するためのイベントでした。
その最後の曲は、以前からセリーヌ・ディオンとアンドレア・ボチェッリのデユエットにより世界中で愛された the prayer (祈り)という歌を5人で演奏するものでした。
それを聞きながら詩篇145篇を思い起こしました。この歌を聞いたのち、詩篇145篇を開いて、この解説をお読みいただければと願っています。ユダヤ人の言い伝えに、豊かな人生を送る秘訣に詩篇145篇を日に三度唱えることという勧めがあります。
実は、この世界の人を一つにまとめる共通言語こそ、詩篇の「祈り」なのです。以下でお聞きいただけます。
歌詞
I pray you’ll be our eyes,
私は祈ります、あなたこそが私たちの目であること。
and watch us where we go
見守ってください、私たちがどこに行こうとも。
And help us to be wise in times when we don’t know
私たちが賢くあることができるように助けてください、分からないことに直面するとき、
Let this be our prayer, when we lose our way
これが私たちの祈りでありますように、私たちが道を見失ったときに、
Lead us to the place, guide us with your grace
私たちを導いてください あなたの恵みによって
To a place where we’ll be safe
私たちが安全である場へと
La luce che tu hai (イタリア語) I pray we’ll find your light
私たちがあなたの光を見出しますように
Nel cuore resterà And hold it in our hearts (歌詞が一部不明)
そしてそれを私たちの心にとどめられますように。
A ricordarci che When stars go out each night
夜空に星が毎夜輝くたびに
Eterna stella sei Nella mia preghiera Let this be our prayer
それが私たちの祈りとなりますように
Quanta fede c’è When shadows fill our day
私たちの毎日を闇がおおう時に、
Lead us to a place, guide us with your grace
あなたの恵みによって導いてください、
Give us faith so we’ll be safe
私たちに信仰を与え、私たちが安全でありますように
Let this be our prayer just like every child
これが私たちの祈りでありますように、すべての子どもたちにとっても
Need to find a place guide us with your grace
場所を見つける必要があります、あなたの恵みによって
To a place where we’ll be safe
私たちが安心できる世界を
詩篇145篇は各節の最初の文字が、ヘブル語のアルファベットの順番になっており、神が全世界の真の支配者であるということが強調されています。世界には様々な悲惨や不条理が起きますが、同時に、そこには神のご支配を信じて誠実を全うした人々が必ずいます。
レビナスというユダヤ人哲学者は、「ヒトラー経験は多くのユダヤ人にとって、個人としてのキリスト教徒たちとの友愛のふれあいの経験でもあった……(彼らは)その真心を示し、ユダヤ人のために、すべてを危険にさらしてくれたのである」と言って、ユダヤ人とキリスト教徒の間には、相互補完的な共通言語があるということを訴えています。
そしてこの詩篇こそ、「すべての肉なる者」(21節) を結びつける鍵の歌になるとも言えましょう。
9節では主 (ヤハウェ) いつくしみとあわれみが全被造物に及ぶと記され、10節では全被造物の「感謝」のようすが描かれます (詩篇96:12参照)。この世には驚くべき不条理がありますが、同時にそこに神のご支配の現実を発見することもできます。ですからユダヤ人は強制収容所でも「希望(ハティクバ):現在のイスラエル国歌」をともに歌うことができました。
10節後半では「あなたにある敬虔な者たちは あなたをほめたたえます」と記されますが、「敬虔な者たち」とは、ヘブル語のヘセド(恵み、契約の愛)の形容詞形のハシドゥに由来し「誠実な者」とも訳すことができます。それは、主のヘセド(恵み)によるご支配を理解する者こそが、「誠実な者」として主をほめたたえることができるという意味です。しかも、その目的は「人の子らに」、主の「大能」と、主の「王国の輝かしい栄光」を「知らせるため」です (12節)。そして13節では、主が全世界を治めておられるという現実が歌われます。11-13節で主のご支配を現わす「王国」ということばが四度も繰り返されているのです。
14節では、主 (ヤハウェ) のご支配の現われが、「倒れる者を みな支え かがんでいる者を みな起こされます」と描かれます。これは、人間の王国の支配が、格差社会を生み出し、必然的に社会的弱者を生み出してしまうことと対照的です。15節では、世の権力者ではなく、創造主である神こそが、全世界の人々のいのちを支えている方であると告白されます。
そして16節では、「あなたは御手を開き」という表現から始まり、「生けるものすべての願いを満たされます」と告白されます。18節では「主を呼び求める者すべてに……主 (ヤハウェ) は近くあられます」と記されますが、「呼び求める」には「出会う」という意味も込められています。文字通りに願いがかなうということ以前に、神との出会い自体に意味があるからです。それは、社会と人を恨みながら、自分の心を閉ざすことの反対です。
さらに19、20節では「主を恐れる」こと、「主を愛する」ことが同じ意味で用いられ、主はそうする者の「願い」を「かなえ」、いのちを「守られ」ると約束されます。そのような体験は信仰を活性化させるもので、それは先の神との人格的な出会いとともに、車の両輪のように働きます。
ユダヤ人のタルムードには、「詩篇145篇を毎日三度唱える者は皆、来たる世の息子であると保証されるであろう」と記されています(バビロニアタルムード、ベラホート4b)。それは、「この詩篇を唱えることで、自分が神の慈しみに頼っていることを毎日三回認識するようになるからである」とのことです。
祈り
主よ あなたは、あなたに誠実な者をとおして、歴史を導いておられます。さまざまな不条理がある中で、そこにも主のいつくしみとあわれみを発見させてください。そして、主を呼び求めることができる幸いを、世界に証しさせてください。