2019年10月、立川福音自由教会30周年記念誌より
日本では平成の30年間を振り返られてきましたが、当教会が旧会堂を借り始めたのは1989年(平成元年)の7月1日であり、礼拝が始まったのは同年の10月1日です。この平成の時代は1989年11月のベルリンの壁崩壊や1990年初めのバブル経済の崩壊から始まり、それまでの常識が次々と壊される時期でした。ただ、日本経済の低迷と時期を同じくするように、日本の福音的な教会の成長も90年代に入って急速に衰え、今や、存続の危機に陥っている教会が増えています。
当教会の礼拝出席者数も、最初の10年間は一貫して増え続け、1999年上半期の平均礼拝出席数は62名にまで達しました。当時は、カウンセリングの看板を出していましたが、1995年5月のオウム真理教の事件が起きるまでは、相談に来られる方々は数多くおられました。また、公共の広場で子供を集めて福音を語るというようなこともできました。しかし、オウム事件を機に、宗教に対する警戒感が日本全体に広がり、それまでの伝道方策がまったく機能しなくなってきていました。
そのような中で2004年から、礼拝メッセージの形を変え始めてきました。聖書全体から福音を聞きたいと願っている方々に焦点を合わせて、創世記から駆け足で解き明かすメッセージを取り入れるようになりました。2006年9月以降、それをまとめた本を出版するようになり、教会には徐々に、積極的に聖書を学びたいという方々が増えてきました。2013年5月の新会堂献堂はそのような流れの中で起きた恵みと言えましょう。その際、当会堂に集っておられる方々と同時に、様々な理由で世界中に散らされている人々の積極的な応援がありました。教会の交わりが外に広がっていました。
また小生は2009年に福音自由教会協議会の役員に選ばれ、その流れの中で、2010年から新改訳聖書の全面改訂の働きにも加わるようになりました。またJCFN(帰国者ミニストリー)、小さないのちを守る会、声なき者の輪の理事の働きも担うようになってきました。そして、最近は都心ミニストリー委員長として、下村宣教師ご夫妻の働きを応援する立場になっています。当教会の愛兄姉が牧師の働きを理解し、支援してくださっていることで、それらの働きが続けられました。実は会堂建設以降の小生の多くの葛藤や悩みは、当教会外の働きから生まれているのがほとんどと言ってよいほどです。
教会財政はいつも綱渡り状態でしたが、2017、18年度の教会財政では、教会外への献金が収入の一割を超えるまでになっています。それは各個教会のあるべき姿ですが、会堂建設後にようやくそれを達成できました。個々人も各個教会も、目が外に向けられるとき、健全な成長を遂げることができます。内向きムードに支配された平成の時代風潮の一歩先を、当教会は歩みだしつつあります。
聖書の福音は、一人ひとりのクリスチャンが、その素晴らしさに感動し、それを分かち合わずにはいられないという内から湧き起るムーブメントによって広がりました。社会が閉塞感に満ちているからこそ、提示できる福音があるのです。その際、見過ごされてきた福音の豊かさに改めて気づくことが大切です。それが、当教会のヴィジョンである、「新しい創造をここで喜び、シャロームを待ち望む (New creation: hope for the Shalom)」です。「新しい創造」を毎日の生活の中で発見し、それを分かち合うことを通して、当教会の一人ひとりに、福音を分かち合う内なる喜びが成長することを期待しています。