2018年7月15日
私たちが抱く「悪しき者」と「正しい人」のイメージは、聖書が描く基準とは異なります。新共同訳聖書では、それを「主に逆らう者」と「主に従う人」と敢えて解説を加えた訳にしています。また「ねたみ」を「熱情」と訳し直したりもしています。
それを通して、初めて聖書を読む人も、旧約の神に誤解を抱くことがないようにと配慮しているのでしょうが、解説を加えすぎると原文の響きを壊してしまいます。それよりも私たちは聖書を読みながら、聖書が描く「悪しき者」や「正しい人」のイメージを理解する方が大切とも言えます。
聖書は、神からのラブレターとも言えます。雅歌8章6,7節では、「愛は死のように強く、ねたみはよみのように激しい……その炎は火の炎、すさまじい炎です。大水もその愛を消すことはできません」と記されています。
今日の箇所には、主がイスラエルの王をさばく理由が、「主(ヤハウェ)の怒りを引き起こした」という不思議な表現が6回も繰り返されます(15:30,16:2,7,13,26,33)。その根本は、彼らが愚かにも、主の「ねたみの炎」を掻き立てたことによります。主の「ねたみ」は、主の燃えるような「愛」とセットになっています。
聖書はこの世の道徳の教科書ではありません。それは神ご自身と神の民との愛の物語です。これが分からないと、聖書を理解することができません。聖書は、何よりも、主(ヤハウェ)の愛とねたみを教えているのですから。
1.「アサの心は一生涯、主(ヤハウェ)と一つになっていた」
神はヤロブアムに北の十部族を支配させましたが、ヤロブアムは、ソロモンの子レハブアムの死後約5年間生きながらえます。その間、南のユダ王国ではレハブアムの子アビヤムが「エルサレムで3年間、王」(15:2)となります。
彼の母は「マアカ」で、アブサロムの孫娘だったと思われます(Ⅱ歴代誌13:2ではアビヤムの母はギルアデ出身のウリエルの娘のミカヤ《マアカ》となっている。「娘」とは家系図の先祖の子の後の世代をも指す)。これは、ダビデに反旗を翻した者の子孫でさえ神のあわれみを受けたしるしとして理解できます。
しかし、アビヤムは「父(レハブアム)が行ったあらゆる罪のうちを歩み、彼の心は父祖ダビデの心のようには、彼の神、主(ヤハウェ)と全く一つにはなっていなかった」(15:3)と、その信仰がダビデと対比されます。そればかりか、「ダビデに免じて、彼の神、主(ヤハウェ)は、彼のためにエルサレムに一つのともしびを与えて……エルサレムを堅く立てられた」と記されます(15:4)。エルサレムが神の都として続くのは、ダビデのおかげだというのです。
しかし、それにしても、「ダビデは……ヒッタイト人ウリヤのことのほかは、一生の間、主が命じられたすべてのことからそれなかったから」(15:5)と記されるのは不思議です。彼は長男アムノンが異母妹タマルを強姦したときも、アブサロムがアムノンに復讐したときも、またその後も、父としての対応を誤っていました。息子アブサロムの反乱は彼が蒔いた種です。その上、晩年には人口調査によって神の怒りを買い、三日間に七万人をも死に至らしめました。
その彼の心が「主(ヤハウェ)と一つ」(15:3,11:4と同じ表現)と描かれているところに、神の視点が人と異なっていることを示しています。主がダビデを喜んでいるのは、彼の高潔さや才能以前に、彼の詩篇にあるように、主(ヤハウェ)との交わりを最優先したことにあります。
一方、アビヤムはⅡ歴代誌13章によれば、北のヤロブアムに大勝利を収め、ユダ王国の繁栄を回復した人間的には有能な王ですが、ここでは彼の功績ではなく、「ダビデに免じて(のゆえに)」(15:4)と述べられます。
主は「十のことば」で「わたしは、ねたみの神、わたしを憎む者には、父の咎を子に報い、三代、四代にまで及ぼし、わたしを愛し、わたしの命令を守る者には、恵みを千代にまで施す」(20:5,6)と言われました。北王国の王家の頻繁な交代と、ダビデ王家の存続の対比を理解する鍵は、このみことばにあります。
アビヤムは勢力を増し加えましたが、在位三年で死に、その子アサが王位につきます。彼の支配は41年間にも及び、「アサは父祖ダビデのように、主(ヤハウェ)の目にかなうことを行なった……アサの心は一生涯、主(ヤハウェ)とともにあり、全きものであった(直訳「主(ヤハウェ)とひとつであった」)」(15:10、14)とまで記されます。
それは彼が「神殿男娼を国から追放し、先祖たちが作った偶像をことごとく取り除いた」ばかりか、自分の「祖母」に相当するマアカが、何と、「アシュラのために憎むべき像を造ったので、彼女を皇太后の位から退けた」(15:12,13)からです。
イエスも「わたしよりも父や母を愛する者は、わたしにふさわしい者ではありません」(マタイ10:37)と言われ、主への愛は肉親への愛にまさるべきことを教えておられます。
なお、「アサとイスラエルの王バアシャとの間には、彼らが生きている間、争いがあった」とありますが、あるときバアシャはエルサレムの北9㎞のラマに砦を築くほどに迫ってきました(15:16,17)。アサはイスラエルのさらに北のアラムに大量の金銀を贈って同盟を結び、北から攻撃させるようにはかります。それが功を奏し、アサは支配地を北に広げることができました。
ただこれは歴代誌では、外国の力に頼ったことは神のみこころに反したと、非難されて描かれています。そして、彼の晩年に「両足とも病気になった」(15:23)のは、それを忠告した予見者を怒って「牢獄につないだ」(Ⅱ歴代16:10)ことの報いであると示唆されます。
ただし、そのような愚かさにも関わらず、彼は偶像礼拝には一切加担しませんでした。ですから、彼の失敗を記している歴代誌の記者さえも、「アサの心は生涯、全きものであった」(Ⅱ歴代15:17)とさえ描いています。
ダビデもアサもその過ちにも関わらず、「その心は、主(ヤハウェ)とひとつ(平和<シャローム>)になっていた」と描かれます。一方、アビヤムはその軍事的、政治的な成功にも関わらず、「あらゆる罪のうちを歩み」(15:3)と描かれています。聖書の基準とこの世の道徳は異なります。
私たちは数々の失敗を繰り返しますが、他の神々により頼まず、イエスの御名によって父なる神にすがり続ける限り、「全きもの」と見ていただくことができるのです。なぜなら、主は、何よりも私たちとの愛の交わりを築くことを求めておられるからです。
2.「主のことばのとおりであった」
北王国ではヤロブアムの死後、その「子ナダブがイスラエルの王となり」ますが、「彼は主(ヤハウェ)の目に悪であることを行い、彼の父の道に歩み」ます(15:25、26)。それでイッサカル族出身のバアシャが謀反を企て、代わって王となります。彼はヤロブアムに属する者を「一人も残さず、根絶やし」にしますが、それは「主(ヤハウェ)が……アヒヤを通して言われたことばのとおり」でした(15:29)。
その理由が、「これはヤロブアムが犯した罪のゆえ、またイスラエルに犯させた罪のゆえであり、彼が引き起こしたイスラエルの神、主(ヤハウェ)の怒りによるものであった」と記されます。これは、「金の子牛」を作って、「もうエルサレムに上る必要はない」と言って、人々にそれらを拝ませたためです(12:28)。偶像礼拝がいかに神を怒らせるかが分かります。
バアシャの治世は24年に及びますが、ヤロブアムをさばくために用いられた彼も、皮肉にも、「ヤロブアムの道に歩み」(15:34)と描かれます。それは自分の国の民がエルサレムに礼拝に行くことのないように、民に「金の子牛」を拝ませ続けたということでした。それは政治的には唯一の選択肢と見えたことでしょうが、神がなぜバアシャを王として立てたかという根本的な理由を忘れた行為でした。
それで主は彼に、「(預言者)エフー」を通して、「わたしは、あなたをちりから引き上げ、わたしの民イスラエルの君主としたが、あなたはヤロブアムの道に歩み、わたしの民イスラエルに罪を犯させ、その罪によってわたしの怒りを引き起こした」(16:1、2)と言いつつ、その家をヤロブアムの家と同様に根絶やしにすると警告されます。
「わたしの怒りを引き起こした」ということばは、「わたしを怒らせた」というのが直訳です。しばしば、旧約の神の激しい「怒り」の姿が、あわれみに満ちた神のイメージと相反するように不思議に思われますが、主は決して、「怒りたくて怒っている」わけではありません。偶像を作って、神の民に拝ませることは、イスラエルの贖い主である神にとって、ご自身との愛の交わりを破壊する、最も忌まわしい反逆行為なのです。
神の怒りの背後には、ご自身の民との愛の交わりを求める、燃えるような「ねたみ」を伴う熱い愛が隠されているのです。
そして、バアシャの子エラが王位に着いて二年後、戦車隊の半分の長であるジムリが謀反を企て、「バアシャの全家を打ち……一人も残さなかった……全家を根絶やしにした……預言者エフーを通してバアシャに言われた主(ヤハウェ)のことばの通りであった」(16:12)とヤロブアム家の最後と同様に描かれます。
ただジムリの王位は七日間に留まります。その際、ペリシテに対し陣を敷いていたイスラエル軍は、ジムリの謀反に対抗するように、「その陣営で将軍オムリをイスラエルの王とし」(16:16)ます。
オムリはジムリを滅ぼしますが、その理由も「ヤロブアムの道に歩んだその罪のゆえであり、イスラエルに罪を犯させた彼の罪のゆえであった」と描かれます(16:19)。一連のことは軍人の勢力争いで王が交代し続けているだけのようですが、それぞれの王を短命に終わらせたのは、主(ヤハウェ)ご自身の「怒り」であったのです。
オムリはイスラエルの分派を抑え、その在位は12年間に及び(16:23)、シェケムの北西10㎞あまりの山に新しい町サマリヤを建てます。
これはダビデのエルサレム建設に相当しますが、「オムリは……彼以前のだれよりも悪いことをした。彼は……ヤロブアムのすべての道に歩み、イスラエルに罪を犯させ、彼らの空しい神々によってイスラエルの神、主(ヤハウェ)の怒りを引き起こした」(16:25,26)と、堕落の激化が描かれます。
オムリの死後、その「子アハブ」が王となり、22年間イスラエルを治めますが、「彼にとっては……ヤロブアムの罪のうちを歩むことは軽いことであった」(16:29-31)と皮肉を込めて、史上最悪の王となった様子が描かれます。彼はヤロブアムから七代目の王です。
たった35年間の間に、ヤロブアム、バアシャ、ジムリと三つの王家が滅んだのです。しかし、その間、ユダではアサが王であり続けることができました。
しかも、アハブはシドン人の王女「イゼベルを妻とし、行ってバアルに仕え、それを拝んだ……サマリヤにバアルのために祭壇を築いた……アシュラ像も造った」と、彼が「主(ヤハウェ)の怒りを引き起こす」様子が描かれます(17:33)。
ヤロブアムは別の神々を神の民に拝ませたわけではなく、「あなたをエジプトから連れ上った神」を、目に見えるように、「金の子牛」として表現し、それを拝ませたことが、神の激しい怒りを招いたのでした。
ところが、アハブは、イスラエルをエジプトから連れ上った贖い主である神を嘲るかのように、カナンの人々が拝んでいた別の神のための祭壇を作り、民にそれを拝ませたというのです。これはヤロブアムの罪が「軽いこと」に見えるほどの神への反逆行為です。
ヤロブアムの罪が、イスラエルの民に浮気を教えることであれば、アハブの罪は、民に夫を捨てさせ、別の夫に結びつける、決定的な家族の破壊行為です。
なお、バアルは男神でアシュラは女神であり、ツロやシドンの地中海岸の町々で礼拝されていました。
なおこの時代に、べテル人ヒエルがエリコの町を再建したことで、「その礎を据えたとき長子……を失い、門を建てたとき末の子……を失った」と描かれますが、これはまさに、「ヨシュアを通して語られた主(ヤハウェ)のことばの通りであった」(16:34)と記されます。それはヤロブアムの家、バアシャの家に対するさばきの場合と同じ表現です。
つまり、主のさばきの警告は、必ず成就すること、主に逆らって保たれる家はどこもないということが強調されています。
なお、都市の建設は、人間の力と知恵を神とする行為につながることがあります。これは、バアルを拝む代わりに、人間の知恵、力、富を神として拝むことに通じます。
3.「あなたが神の人であり、あなたの口にある主(ヤハウェ)のことばが真実である」
アハブがイスラエルをバアル礼拝の国に引き入れているとき、主(ヤハウェ)はヨルダン川東側ギルアデの地ティシュベから預言者エリヤを起こし、「イスラエルの神、主(ヤハウェ)は生きておられる……ここ数年の間、露も降りず、雨も降らない」(17:1)と言わせます。
バアルは雨を降らし豊穣をもたらす神でしたから、これは主(ヤハウェ)がバアルの力を抑えるという意味があります。乾季は、バアルが「死」を支配する神、「モ–トゥ」(死)に服さざるを得ないときと言われていましたから、エリヤのことばには、主(ヤハウェ)だけが唯一「生きて」、すべてを支配しておられる神であるとの意味があります。
その後、エリヤは「主(ヤハウェ)のことば」によって、ヨルダン川東のケリテ川のほとりに身を隠します。そこで彼は「川から水を飲んだ」のですが、カラスが「朝」と「夕方」に「パンと肉」を運んできました(17:6)。カラスは忌むべき鳥の代表(レビ11:15)ですから、これは主(ヤハウェ)の支配が及ばないものはないことの証しです。多神教の神々に役割分担があるとのとは対照的です。
ケリテ川の水が枯れたとき、主は、イスラエルの正反対、ツロとシドンの間の小さな町、ツァレファテに行くように命じました。その領域は、イゼベルの出身地、バアル礼拝の中心地です。
その際、主は、「わたしはそこの一人のやもめに命じて、あなたを養うようにしている」(17:9)と言われます。彼がその町に着くと、「薪を拾い集めている一人のやもめ」がいました(17:10)。
エリヤは彼女に「ほんの少しの水」と「一口のパン」を求めます(17:10,11)。それに対して彼女は、不思議にもエリヤの神を認めるように言いながら、「あなたの神、主(ヤハウェ)は生きておられます。私には焼いたパンがありません。ただ、かめの中に一握りの粉と、壺の中にほんの少しの油があるだけです。ご覧の通り、二、三本の薪を集め、帰って行って、私と私の息子のためにそれを調理し、それを食べて死のうとしているのです」(17:12)と答えます。
ここでの、「あなたの神は生きておられ……私と私の息子は死ぬ……」とは、信仰告白というより絶望に満ちた訴えです。
しかし、エリヤは、「恐れてはいけません……まず、私のためにそれで小さなパン菓子を作り……持って来なさい」(17:13)と命じます。何とも身勝手なことばのようですが、彼はそこで、「主(ヤハウェ)が地の上に雨を降らせる日までは、そのかめの粉は尽きず、その壺の油はなくならない」(17:14)と保証します。
そして、「彼女は行って、エリヤのことばのとおりにした」ところ、息子ばかりか「彼女の家族も、長い間それを食べた。エリヤを通して言われた主(ヤハウェ)のことばのとおり、かめの粉は尽きず、壺の油はなくならなかった」(17:15,16)と描かれます。
力を誇ったイスラエルの数々の王家は、主(ヤハウェ)のことばのとおり、全家が根絶やしにされました。しかし、主のことばに信頼した異教の地のやもめは家族全員が救われました。王家を支配する主は、異教の地の貧しいやもめにさえも目を留めて、主のことばの真実を示してくださいました。
ただ、その後、彼女の息子が、重い病気にかかり、息を引き取ります。彼女は混乱し、「神の人よ……あなたは私の咎を思い起こさせ、私の息子を死なせるために来られたのですか」(17:18)と訴えます。彼女は、死の神ではなく、生ける神、主(ヤハウェ)が、人の死を支配することを認めつつも、息子の死は、エリヤが神に「私の咎を思い起こさせた」結果であると非難しました。それは彼が家に来たせいで、彼女の罪が神の目に留まったという八つ当たりです。
これに対し彼はすぐにその子を、屋上部屋の自分の寝台に横たえ、「私の神、主(ヤハウェ)よ。私が世話になっている、このやもめにさえもわざわいを下して、彼女の息子を死なせるのですか」(17:20)と、彼女に似た率直な祈りをささげます。
その上で、「彼は三度その子の上に身を伏せて、主(ヤハウェ)に叫んで」、「この子のいのち(魂)をこの子のうちに戻してください」と訴えます(17:21)。すると、「主(ヤハウェ)はエリヤの願いを聞かれたので……その子は生き返った」(17:22)と描かれます。
後にイエスの兄弟ヤコブは、「正しい人の祈りは、働くと大きな力があります」(ヤコブ5:17)と記しますが、そこで描かれた「正しい人」の代表とはエリヤでした。キリストつながる私たちも、「運命として諦めよう……」などと言わずに、すべてを全能の神に訴えることができます。
摂理と運命とは異なります。摂理は自分の気持ちを正直に神に訴える中から明らかにされる神のご計画です。祈り手の主体性は極めて大切です。実際、この女はこれを通してエリヤに向い、「あなたが神の人であり、あなたの口にある主(ヤハウェ)のことばが真実であることを知りました」(17:14)と告白します。
エルサレム神殿は、「主(ヤハウェ)が生きておられ、主がともにおられる」ことのシンボルでした。しかし、北王国はそれを否定しました。それで主は、真の神殿がない北王国イスラエルに預言者エリヤを立て、「主が生きておられ、主がともにおられる」ことの意味を証しされたのです。
その意味で彼の働きは異例です。エレミヤなどは「涙の預言者」と呼ばれるほど、無力に見られましたが、ともに神の「しもべ」なのです。
イスラエル王家の歴史は、主がご自身の民を「ねたむほどに慕っておられる」(ヤコブ4:5)ことのしるしです。「主(ヤハウェ)の怒り」は主の燃えるような愛の一面に過ぎません。ただ、王家の歴史に神の愛を見ることは容易ではありません。そこで神は、どこにでもいそうな貧しいやもめを通してご自身のみことばの真実を証ししてくださいました。
かつてハワイのモロカイ島にハンセン氏病者が隔離されていた時、神父ダミアンは単身そこに乗り込み、やがて多くのシスターがそれに従いました。米国の文豪スティーブンソンは、その島を訪ね、次のような詩を残しました。
「ライの惨ましさを一目見れば、愚かな人々は神の存在を否定しよう。しかし、看護するシスターの姿を見れば、愚かな人さえ、沈黙のうちに神を拝むであろう」と。
神の救いのみわざは「かめの粉は尽きず、壺の油はなくならなかった」という日常生活の不思議の中に現わされるのです。