ヨハネ21章1〜14節「新しい時代に生きる者として」

2017年9月24日

イエスの復活によって世界は新しい時代に入っています。「新しい創造(New Creation)](ガラテヤ6:15)はすでに始まっています。しかし、多くのキリスト者は、古い生き方に縛られ、新しい時代の生き方に適応しきれていないのかもしれません。

しばしば、私たちの日々の生活は、この世の人々と何も変わらないように見えることでしょう。しかし、それは既に、「キリストのうちにある生活」とされているのです。そのキリストは、死者の中からよみがえられた方です。

私たちが出会う十字架の苦しみの向こうには、必ず、復活の勝利が約束されています。「死も……御使いたちも……どんな被造物も、私たちの主キリスト・イエスにある神の愛から、私たちを引き離すことはできません」(ローマ8:39)と言われる通りです。

その新しい「いのち」は、主の語りかけを聞き、それに従い、そこに主の祝福を見ることを通して現されています。そこでは私たちの労苦は無駄になりません。そこには決して言語化することができないような深い感動があります。

1.弟子たちが疲れ、失望した時、イエスは岸辺に立たれた。

「その後、イエスはティベリヤ湖畔で、もう一度ご自分を弟子たちに現わされた。現された次第はこうであった」(21:1)。ティベリヤ湖とはガリラヤ湖のことですが、それはローマ皇帝にちなんで呼ばれた名称です。

「その後」とありますが、イエスは死人の中からよみがえられた後、泣き続けているマリヤにご自身を現されました。マタイとマルコによると、その前かと思われますが、御使いは女たちにペテロと弟子たちへのメッセージを託し、「イエスは、あなたがたより先にガリラヤへ行かれます。前に言われたとおり、そこでお会いできます」(マルコ16:7)と告げたと記されています。

ただし、イエスはその直後、エルサレムにおいて、ユダヤ人を恐れて戸を閉じていた弟子たちの真中に立たれ、また、他の弟子たちの証しを拒絶したトマスにご自身を現されました。そこでは悲しみが喜びに、恐れが平安に、疑いが確信へと変えられて行きました。

これらはすべてエルサレムで起こったことでしたが、今、弟子たちはイエスの命令に従い、故郷のガリラヤに戻って来ていました。たぶん、それはマタイ28章16-20節の、「あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい」と言われた大宣教命令の直前のことかと思われます(マタイ28:19)。

ここに登場するのは七人の弟子だけでしたが、あの仲間を拒絶したトマスが二番目に出てきます。その他には、ナタナエルがいましたが、イエスは彼を最初に見た時、「まさにイスラエル人です。この人には偽りがありません」(1:47)と称賛したほどの人で、彼はその直前に「いちじくの木の下」で黙想し、イエスに出会うなり、「あなたは神の子……イスラエルの王です」と告白できた(1:48,49)、優れた弟子です。ここで初めて彼の出身地が「カナ」であると記されます。

他の弟子では「ゼベダイの子たち」が記されますが、この福音記者ヨハネとその兄ヤコブのことで、彼らは漁師でした。他の弟子が誰かは不明です。

そこでペテロが、「私は漁に行く」(3節)と言うと、他の弟子たちも、「私たちも一緒に行く」と応じました。トマスもナタナエルも漁師ではなかったはずですが、今はペテロに同調するしかないかのようです。

彼らはイエスの言葉に従ってガリラヤに戻ってきていたのですが、具体的に何をすべきかはまだ示されておらず、困惑する中で、ただお腹ばかりがすいて来たのでしょう。イエスが人として共にいてくださった時、食べ物の心配は必要ありませんでした

確かに、イエスの復活は彼らに喜びと希望をもたらしたのですが、まだ、毎日の糧をどのように得るかについては暗中模索の状態だったのかも知れません。これは多くの人にとって、学生から社会人へ、中年期の転職、伴侶を失っての新しい生活等などの、「移行期」に相当するかもしれません。新しい人生の段階に、まだ十分に適応できていない状態です。

そのような中で、彼らは漁に出ながら、「その夜は何も捕れなかった」(3節)という失望感を味わいました。夜通しの働きが無駄に終わり、疲れ果てていました。その「夜が明け始めていたころ」になって初めて「イエスは岸べに立たれ」(4節)ました。「けれども弟子たちには、イエスであることが分からなかった」と描かれますが、それは当然と言えましょう。

とにかく「ガリラヤ……でお会いできます」と言われて来たのに、イエスはまるで、彼らが失望感を味わうのを待っておられたかのようです。これはしばしば、私たちが何らかの形で主の臨在を感じるのが、途方に暮れたときであるのと同じです。イエスはしばしば、私たちが自分の計画を達成するために夢中になっているときには、ご自身を隠しておられます

この箇所が「イエスは……弟子たちにご自分を現わされた」という記述から始まっているのは興味深いことです。イエスとの出会いは、私たちが求めて達成できるようなものではなく、主ご自身のご意志によるからです。

そこで復活のイエスは、岸から沖の舟の上にいる弟子たちに、「子どもたちよ。食べるものがありませんね」と語りかけます(21:5)。それは主ご自身が彼らを幼子かのように見守っておられたことを示しています。

主は、「舟の右側に網を打ちなさい。そうすれば捕れます」(6節)と言われました。「舟の右側」というキリスト教雑誌がありますが、その名はここに由来します。イエスご自身が教会に、網をおろすべき場を示してくださるという意味かと思われます。

とにかく、彼らはそれがイエスであるとは知らずに、おことばに従ってみました。「すると、おびただしい数の魚のために、もはや……網を引き上げることができなかった」(6節)というのです。そうなって初めて、「イエスが愛されたあの弟子」が、ペテロに「主だ」(7節)と言うことができました。

これは、ルカ5章で、かつてペテロが夜通し働いても一匹の魚も捕れなかったときに、イエスに従って網をおろすと、網が破れそうになるほどの大漁となったことを思い起こさせるできごとでした。そのとき主はペテロに、「今から後、あなたは人間を捕るようになるのです」(ルカ5:10)と言われました。

イエスは、私たちの日常生活や仕事の成果までを心に留めておられます。主は、「父がわたしを遣わされたように、わたしもあなたがたを遣わします」(20:21)と言われました。弟子たちはその意味が分かっていませんでした。漁に出たことはイエスの召しに背くことではありませんが、それをイエスに「遣わされた者」としての働きと受けとめなかったことこそが問題でした。

私も証券会社時代、そのように感じることはできませんでしたが、今振り返って見ると、私が営業の荒波でもがき苦しんでいる時、イエスは、その傍らの「岸辺に立って」見守っておられたのでした。

たとえば、営業の途中、絶望して喫茶店で必死に神の助けを求めた時、直後の飛び込みの訪問先で、驚くほど大口の契約を奇跡的に取ることができました。当時、それを単なる「幸運」かのように思い、神学的な意味を洞察できなかったことが後悔されます。

「右側に網を打ちなさい。そうすれば……」とは、主が「その日には……わたしの名によって……求めなさい。そうすれば受けます」(16:23-26)と言われたことに従う生き方です。与えられた働きを、イエスの御名による祈りの生活の一部と捉えるのです。

今改めて、昔の仕事もイエスから遣わされ、導かれ、成果を生み出されたものだったと実感しています。イエスはあなた以上にあなたの仕事を理解しておられます。

2.「それほど多かったけれど、網は破れなかった」

イエスに最初に気づいたのはヨハネでしたが、みもとに早く行こうと湖に飛びこんだのはペテロでした。しかも、主に失礼にならないようにと、わざわざ「上着をまとい」(7節)ました。ヨハネは直感的な洞察力に、ペテロはその行動力に、それぞれ優れていたからです。

そして続けて、その場の情景が、「一方、ほかの弟子たちは、魚の入ったその網を引いて、小舟でやってきた。陸地から遠くなく、百メートル足らずの距離だったからである」(21:8)と描かれます。ふと私は、ペテロが「私は漁に行く」と言ったことから、彼らが夜通し無駄に働くことになってしまったのに、魚が捕れたとたん、すぐに湖に飛び込んで、重労働を漁の素人を含む他の弟子たちに任せるとは、何とも無責任のような気がしました。

しかし、ペテロは三度イエスを知らないと言った後の、深い後悔を抱えていたので、そうせざるを得なかったのかと思います。そして、その気持ちを、トマスは誰よりも理解し、また直感に優れたナタナエルもよくわかったことでしょう。

そして、弟子たちが「陸地に上がると」、すでに「そこには炭火が起こされていて、その上には魚があり、またパンがあるのが見えた」(9節)というのです。つまり、「食べるものがありませんね」と尋ねられた主ご自身が、空腹の弟子たちのために朝食を用意しておられたのです。まさに、「主はその愛する者には、眠っている間に、このように備えてくださる」(詩篇127:2)とある通りです。

イエスは、腹を満たす働きに向けられた彼らの目を、必要を満たす神ご自身に向けられたのです。私たちは「食べる」ために働く必要がありますが、仕事自体が、主の召しによっています

私たちは、仕事を通して主に仕えているのです。そして、私たちが仕事で主に仕える時、真の雇用者である主がパンの必要を満たしてくださいます。

イエスはそれでも弟子たちに、「今捕った魚を何匹か持ってきなさい」(10節)と言われ、朝食に、彼らの働きの実を加えて下さいます。私たちの日々の糧も、太陽や水という無償で得られる神の恵みに、若干の自分たちの働きを加えることによって得られたものです。

しかも、昔の人々の労苦の蓄積のおかげで、少しの労力で多くの収入を得ることができます。しかし、それが「あなたがたの捕った魚」と呼ばれ、神の恵みの中で与えられた働きの実を、自分たちの労苦の実として喜ぶことが許されています。ですから、私たちの労働は、食べるために以前に、神のみわざを喜び祝い楽しむ機会とも言えるのです。

ペテロはイエスとの出会いを喜ぶ間もなく、さっそく主の指示に率先して従い、「網を陸地に引き上げ」ました。するとそれは何と、「百五十三匹の大きな魚でいっぱいであった」(11節)というのです。魚の数が具体的なのは、忘れられない感動を表現するためです。

しかも、「それほど多かったのに、網は破れていなかった」とありますが、それはこれほどの大漁では網が破れても不思議ではなかったからでしょう。

しかし、もし網が破れるなら、せっかくの魚がみな逃げてしまうことになりました。それは、イエスご自身が、網が破れないように支えておられた結果との解釈できましょう。後にパウロは、復活のイエスがともにいてくださることの意味を、「堅く立って、動かされることなく、いつも主のわざに励みなさい。あなたがたは、自分たちの労苦が主にあって無駄でないことを知っているのですから」(Ⅰコリント15:58)と語りました。

なお、この際、魚の満ちた網を小舟で引いたのはヨハネを含む他の弟子たちでした(8節)。一方、網を陸地引き上げたのはプロの漁師であるペテロです。そして、この交わりを造られたのはイエスご自身です。

私たちも、異なった感性や能力を与えられ、協力するものとして召され、その働きの実を共に喜ぶのです。それは特に、世の人々をキリストにある交わりのもとに導く教会の働きを指しています。

3.「さあ来て、朝の食事をしなさい……あえて尋ねる者はいなかった」

イエスは弟子たちに、「さあ、朝の食事をしなさい」(12節)と言われました。イエスを見捨てて逃げてしまった弟子たちが、主ご自身の用意してくださった食卓に招かれているのです。何と感動的なことでしょう。

ただ、不思議にもここで、不必要とも思える記述があります。それは、「弟子たちは主であることを知っていたので、だれも、『あなたはどなたですか』とあえて尋ねはしなかった」と描かれていることです。これは、復活のイエスの姿が、十字架にかかる前の姿とはかなり異なっていて、そのような質問が出ても不思議ではない状態があることを示唆しているとも言えましょう。

彼らは、以前とは異なった、復活後の栄光に包まれたイエスによって食卓に招かれながら、ただただ感動していました。それと同時に、その表情は以前とは異なっても、確かに、その方は自分たちの罪を負って十字架にかかってくださったイエスであるということが分かったのでしょう。

しかも、そこにことばの必要がないどころか、弟子たちには感動のあまり、どのように語ってよいかも分からない状態だったとも言えます。真の感動は沈黙を生むからです。

しかも、イエスはすでにそこで「炭火」(21:9)を起こしておられました。ペテロはそこで、自分がかつて大祭司の家の中庭で「炭火」にあたりながら(18:18)、三度イエスを否認したことを思い起したのではないでしょうか。

イエスはここで、ペテロにことばで反省を促す前に、ただ沈黙の中で、心の闇に向き合う機会をお与えになりました。しかも、そこには非難とは正反対の、イエスご自身の優しさが満ちていました。

フーストン先生は、「『沈黙』という概念において、日本文化は、欧米のより言語的なコミュニケーションを重視する文化に対して、教えるべきことを多く持っています。それは沈黙のコミュニケーションに込められた真実があるからです……都会の人は、沈黙のうちに込められた意味の広さを解釈するための『時間を持っていない』と言われますが、それは同時に、解釈するための人間性を持っていないこととも言えましょう。

沈黙の中には、思いやりや謙遜、同意や忍耐だけでなく、否定的な感情としての、当惑や憤り、許せない思い、反抗、無関心、プライドなどが含まれているのです」(「キリストのうちにある生活」 PP128、130」と記しています。

ここでの沈黙は、否定的な感情が取り扱われる「間(ま)」となったことでしょう。

フーストン氏はさらに、日本の伝統的な音楽では、「間」という沈黙の時間が中心に置かれており、音はこの「間」を作り出すための補助的役割を果たしているということ、歌舞伎や能において、言葉の間にある沈黙こそがクライマックスを表現しているということに注目しています(同P129)。

復活のイエスを中心とした朝食の交わりにおける「沈黙」、これこそがこの福音書のクライマックスを構成しているとも言えるのかもしれません。イエスの愛が、沈黙を通して、弟子たちの心に、そして私たちの心に迫っています。

その後のことが、「イエスは来て、パンをとり彼らにお与えになった。また、魚も同じようにされた」(13節)と描かれます。福音記者はその情景を簡潔に、しかも生き生きと描きだしています。私たちもその情景を思い浮かべることができます。

ペテロは後にローマの百人隊長コルネリオに、「私たちはイエスが死者の中からよみがえられた後、一緒に食べたり飲んだりしました」(使徒10:41)と印象深く語りました。

これは御国で成就する「喜びの集い」(ヘブル12:22)を指し示してはいないでしょうか。主はそれを、「過越が神の国において成就する」(ルカ22:16)ときと言われました。

不思議にも、この書では、「最後の晩餐」の描写がほとんど描かれていません。そこで中心となっているのは、イエスが奴隷の姿になって、弟子たち一人一人の足を洗ったという情景です(13章)。そこでもイエスが沈黙しながら弟子たちの足を洗っておられました。

弟子たちは唖然として、声を発することができませんでしたが、ペテロがそこで沈黙を破りました。その後の会話を通してイエスは、「互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい」(13:34)と言われました。沈黙の動作がこのことばを支えています。

一方、この福音書では、この湖の向こう岸での「五千人のパンの給食」の記事の中でのイエスの驚くべきことばが記録されています(6章)。そこでイエスは不思議にも、「わたしがいのちのパンです。わたしに来る者は決して飢えることがなく……渇くことがありません……わたしを遣わされた方のみこころは、わたしに与えてくださったすべての者を、わたしが一人も失うことがなく、終わりの日によみがえらせることです」(6:35,39)と言われました。

ここでのイエスのおことばは、私たちの通常のことばの意味を超えています。これを文字通り受け取った人々はそれに、「小声で文句を言い始めた」と記されています(6:41,60)。まさに、このイエスのことばも、誤解を与えそうな表現を用いながら、敢えて説明を省いているという沈黙を味わう必要があります。

その真の意味がここで初めて明らかにされているとも言えましょう。つまり、イエスは、この地上の生活のパンを与え、来るべき復活の朝の食事を備える方として描かれているのです。

ですから、「彼らが陸地に上がると」(9節)という時は、私たちの身体が復活する朝を連想させます。そして、イエスが、弟子たちの漁を見守りながら、岸辺に立っておられたことは、今も、主ご自身が、私たちの働きを見守り、私たちを待っておられることの象徴です。

そして、復活の朝、私たちの小さな働きを評価し、その実を祝宴の喜びに加えて下さいます。その岸辺は、主の御声が届き、ペテロが飛び込めるほど近くにありました。私たちはイエスから遣わされた者としてこの地の働きを担い、その働きの実をイエスとともに喜ぶことができるのです。

しかも、弟子たちが、イエスの差し出すパンと魚を食べた時、主の復活が、まさに腹の底に落ちた体験となりました。主の復活は、弟子の心の中に起こった心理現象のようなものではありません。聖餐式は、イエスの死と復活を、腹の底で味わう機会として与えられたものです。

復活のキリストは、あなたを今の場に遣わしておられます。そして、私たちの日々の働きを見守り、結果をもたらしてくださるのは、その主ご自身です。

もし、あなたをこの地に遣わされた方を見上げさえするなら、その生涯はキリストの愛に包まれた者としての喜びの場となります。その喜びは、観念的なものではなく、目に見える生きた食事の交わりとして現されているのです。

「新しい創造」としての、「キリストのうちにある生活」はすでに始まっています。私たちがキリストを信じる以前に、キリストが私たちの「いのち」を包んでおられるのです。静まり、霊の目を開かせていただいて、その感動を味わってみましょう!