2017年5月7日
歴史上の英雄には、必ず負の遺産が伴います。たとえば、豊臣秀吉は日本では尊敬を集めますが、朝鮮半島では悪魔の代名詞のような存在です。マルティン・ルターもユダヤ人迫害への道を開いたことで批判を浴びています。
どんなにすばらしいと思う人でも、近づけば近づくほど、粗が見えてくるものです。未熟な人間は、人を理想化して近づいては、「裏切られた……」と言って非難することを繰り返します。
ギデオンは士師記における最高の英雄と見られています。しかし、彼はイスラエルの堕落を止められたでしょうか?それどころか彼の死後、国はますます堕落してしまいます。
聖書は決して、ギデオンを英雄としては描いていません。彼が起こした問題が見えて初めて、聖書を理解できたと言えましょう。
1.弱虫ギデオンに「勇士よ。」と語りかけ、召し出された神
デボラとバラクが北のカナン人の王に勝利を収め、「この国は四十年の間、穏やか」(5:31)であったのですが、「イスラエル人はまた、主(ヤハウェ)の目の前に悪を行なった」(6:1)ので、「主(ヤハウェ)は七年の間、彼らをミデアン人の手に渡し」ました。
ミデアン人は、かつてモーセが寄留していた遊牧民ですが、このとき、「らくだ」(6:5)を軍隊に用いて死海の東南部の本拠地からの約400kmもの長距離を「らく」に移動し、収穫を奪い取り続けました。
そこには、「アマレク人や、東の人々」が加わって、イスラエルの西南の果てのガザに至るまで、地の産物を奪い取り、家畜の餌も残らないほどになりました(6:3,4)。その悲惨は、「いなごの大軍」の来襲に例えられますが(6:5)、これはあらゆる作物を食い尽くす最大の災いでした。
先のデボラが戦ったハツォルの王は「二十年の間、イスラエル人をひどく圧迫した」(4:3)と記されていたことに比べても「七年の間」はごく短い期間のように思えますが、それは被害が並はずれて大きかったこととセットになっています。神はご自身の民のために、常に、大患難の時期を短くしてくださいます。
そして、「イスラエル人は……非常に弱くなっていった。すると、イスラエル人は主(ヤハウェ)に叫び求めた。イスラエル人がミデアン人のために主(ヤハウェ)に叫び求めたとき、主はひとりの預言者を遣わした」(6:6-8)と記されます。最初に遣わされたのは士師ではなく預言者でした。
ミデアン人の勢力を強くしイスラエルを弱くされたのは、主ご自身のみわざであり、それも一定期間のことでした。それはまたレビ記26:16に、神との契約を破る時に、「あなたがたの上に恐怖を臨ませ……心をすり減らさせる……種を蒔いても無駄になる……敵がそれを食べる」と預言されていたことの成就でもありました。それは彼らを主の御前に遜らせ、「主に叫び求め」させるためでした。
残念ながら人は順境のとき、神に祈ることを忘れてしまいがちだからです。なお、遣わされた預言者は、イスラエルの民が現地の「エモリ人の神々を恐れて」(6:10)生きている罪を指摘します。それは具体的には「バアルの祭壇」を築いていたことを指します。
イエスも「からだを殺しても、たましいを殺せない人たちなどを恐れてはなりません」(マタイ10:28)と言われました。人は、恐れるべき方を恐れることを忘れた時、この世の神々や権威者の奴隷とされてしまうのです。
このときイスラエル人は、恐れに囚われ、「山々にある洞窟や、ほら穴や要害に」(6:2)隠れて住んでいましたが、ここに登場するギデオンも、「ミデアン人から逃れて、酒ぶねの中で小麦を打っていた」(6:11)というのです。小麦を、ぶどう酒を作る大きな酒ぶねの中で脱穀するなどあり得ないことですが、彼はそれほどに恐れに囚われていました。
そんな弱虫に、主の使いは「勇士よ」と語りかけます(6:12)。しかし、これは皮肉ではありません。主は、自分の弱さを熟知し、主の全能の力を知る人を、はじめて勇士として用いられるからです。
ギデオンは、「主は私たちを……ミデアン人の手に渡された」(6:13)という霊的現実を知っていました。また、主が彼に「あなたのその(弱いままの)力で行き……イスラエルを救え」(6:14)と命じられたとき、「私の分団はマナセ族のうちで最も弱く、私は父の家で一番若いのです」(6:15)と、自分が解放者として選ばれる人間的な資格がないことをよく知っていました。
それに対して主(ヤハウェ)ご自身が、「わたしはあなたといっしょにいる。だからあなたはひとりを打ち殺すようにミデアン人を打ち殺そう」(6:16)と言われました。つまり、神がともにおられるなら、イスラエル人がまとまってでも決して勝てないミデアン人にひとりでも立ち向かえるというのです。
私たちはこれをギデオンという英雄の物語として読む傾向がありますが、これはあくまでも主ご自身による救いの物語であることを決して忘れてはなりません。
なお、主とギデオンとの対話は、モーセが主の召しに対し、自分が不適任であると躊躇したことを思い起こさせます。彼は40歳の時は自分の力でイスラエル人を救おうとしましたが、80歳で主の働きに召された時には、自分の弱さを徹底的に自覚していました。このときのギデオンも同じような気持ちでした。
2.ギデオンが求めた「しるし」の意味
それに対しギデオンは、「そんなことは無理です!」と言う代わりに、「私と話しているのがあなたであるというしるし」(6:17)を求めます。つまり彼は、イスラエルをエジプトから救い出した神が自分とともにいてくださるなら不可能が可能になることを知っていたのです。
それに応えて主は、ご自身に献げられた肉とパンをたちどころに焼き尽くす不思議を示されました(6:19-21)。なおこのとき、「一エパの粉で種を入れないパンを作り」とありますが、一エパは22リットルですから、この苦難の時期としては途方もない大きなささげ物とも言えます。
とにかくこれを通して主は彼を、主だけを恐れる礼拝者として整えられました。
その後、主は彼に「あなたの父の雄牛、七歳の第二の雄牛を取り……父が持っているバアルの祭壇を取り壊し……アシュラ像の木で全焼のいけにえをささげよ」(6:25,26)と命じます。彼の父がバアルの祭壇を持っていたこと自体が衝撃ですし、しかも彼はそれを夜陰にまぎれて行わざるを得ませんでした。しかし、雄牛はバアルの象徴で、それを偶像の木で焼くのは、神のユーモアです。
翌朝、それを発見した町の人はギデオンを殺すように主張しますが、この時になって父は、偶像礼拝の愚かしさを反省し、「もしバアルが神であるなら、自分の祭壇が取り壊されたのだから自分で争えばよい」(6:31)と言ってのけます。これによって、彼は「エルバアル」(バアルに戦わせよ)という名で呼ばれるようになったというのです。
そして、ミデアン人がヨルダン川の東のアマレク人などを糾合して、「ヨルダン川を渡り、イズレエルの谷に陣を敷いた」(6:33)と記されますが、これは毎年続いていたことかと思います。かつてはイスラエルの民は逃げるしかなかったのですが、このときは違いました。
「主(ヤハウェ)の霊がギデオンをおおったので、彼が角笛を吹き鳴らすと、(父の氏族の)アビエゼル人が集まって来て、彼に従った」というのです。そればかりか、彼は自分の属するマナセの全域に使者を遣わし、地中海岸沿いの北に割り当て地を持つアシェル、タボル山の西側のゼブルン、ガリラヤ湖畔のナフタリ部族までもが合流します(6:34、35)。
ギデオンの呼びかけに人々が応じること自体が主の霊が起こしてくださった圧倒的な不思議と言えましょう。
そこでギデオンは改めて主のみこころを探りますが、その際の表現が、「もしあなたが仰せられたように、私の手でイスラエルを救おうとされるなら……」(6:36,37)とあるのは、少し残念です。「私の手で」と、人間的な力に強調点を置いているかのように見えるからです。
主はかつて、「あなたのその力で行き、イスラエルを救え……わたしがあなたを遣わすのではないか」(6:14)と言っておられましたが、その中心は、主が遣わし、主が責任を持ってくださるという意味でした。
しかも、そのしるしの求め方にも素直さが欠ける面があります。「羊の毛の上にだけ露が降りる」(6:37)ことは、羊の毛が水分を吸収する自然現象と誤解される可能性があるからです。本当は最初から、「羊の毛だけがかわいていて土全体に露が降りる」(6:39)という自然に反するしるしを求めたかったのかと思われます。
彼はだからこそ、「私に向かって御怒りを燃やさないでください」と必死にすがるように願いました。これは明らかに、「主を試みる」という律法違反とも思えますが、主は、彼の必死さの気持ちを見られ、怒らずにその求めに応じてくださいました。
「人の心には多くの計画がある。しかし主のはかりごとだけがなる」(箴言19:21)とありますが、私たちの働きが、計り知れない大きな主のご計画の一部とされているなら、人間的な不可能が可能へと変えられます。
私たちは多くの場合、主に問いかける前に、自分の心だけで納得しようとする傾向があります。私たちは常に、主の御前に静まり、全世界に対する主の救いのご計画に思いを馳せ、ときにギデオンに習って、主ご自身が自分を用いようとしておられるかどうかを真剣に問いかけるべきかもしれません。
3.『自分の手で自分を救った。』と言って、わたしに向かって誇るといけない
このとき集まったイスラエル軍の数は三万二千人に及びました(7:3)。しかし、ミデヤン人の陣営には、はるかに多い135,000人の兵士がいたと思われます(8:10)。ただし、ここではその軍隊の規模の違いは明白にはされていません。
イスラエルが陣地をひいた「ハロデの泉」はギルボア山の西側の山麓、ミデヤン人の陣地はその北の「モレの山沿いの谷」、タボル山の南山麓で、この二つの陣地は8㎞ぐらい離れていたと思われます。彼らにはその勢力の違いが明らかに分かっていたことでしょうが、神は何と「あなたといっしょにいる民は多すぎるから、わたしはミデヤン人を彼らの手に渡さない」(7:2)と言われます。
そこで主はギデオンを通して、「恐れ、おののく者はみな帰りなさい」と命じます(7:3)。それに応じて、三分の二もの人数が減り、一万人が残りました。
しかし、主はなおも、「民はまだ多すぎる」と言われ、水の飲み方から、三百人にまで削らせます。彼らは「口に手を当てて水をなめた者」(7:6)たちで、敵への備えが身についている精鋭と言えることは確かです。
ただし、主は決して、戦いの勝敗は、軍の多寡ではなく、勇気や力によるということを教えようとしたわけではありません。事実、主はここで、人数を減らされる理由を、「『自分の手で自分を救った。』と言って、わたしに向かって誇るといけない」(7:2)と説明しています。つまり、勝利が不可能と見えるまで人数を削ること自体に目的があったのです。
奇襲作戦の模範とされる源義経による鵯越や織田信長の桶狭間の戦いなどと決して混同してはなりません。
「ギデオンの精鋭三百人がいれば大丈夫……」などと、積極思考の人が臆病な人々の意見を押さえる口実にこれを用いてはなりません。それは神の民の一致を崩すだけです。
実際、主はギデオンに、「立って、あの陣営に攻め下れ。それをあなたの手に渡したから」(7:9)と命じつつも、「しかし、もし下って行くことを恐れるなら……」(7:10)と言われながら、ミデアンの陣営の中にギデオンの剣を恐れさせる夢を見させ、その解き明かしまでも彼に聞かせてくださいました(7:13,14)。
なお、その夢は、大麦のパンのかたまりがミデアンの天幕の中に転がり込んで来て、天幕にぶつかり、倒してしまったということですが、「大麦のパンのかたまり」は農耕中心のイスラエルを、「天幕」は遊牧民族のミデアン人の象徴でした。
しかも、彼は少人数を大軍に思わせる手段を講じ、「三百人を三隊に分け、全員の手に角笛とからつぼとを持たせ、そのつぼの中にたいまつを入れさせ」、真夜中の番兵の交代の時期を狙って全陣営を取り囲み、角笛を吹きならし、つぼを打ち砕き、「主(ヤハウェ)の剣だ、ギデオンの」と叫ばせます(7:16-20)。
興味深いのは、全員の両手が、左手にたいまつ、右手に角笛持つことでふさがっているので、彼らができることはただ叫ぶことだけでした。彼らが叫んだことの中心は、そこに「主(ヤハウェ)の剣」があるということでした。
そしてそのとき、「三百人が角笛を吹き鳴らしている間に、主(ヤハウェ)は、陣営の全面にわたって、同士打ちが起こるようにされた」(7:22)と記されます。これは、番兵の交代の時で立って歩いている人が多い中で敵と味方が区別がつかなくなったからでもありますが、中心は、「主(ヤハウェ)の剣」が彼らを同士討ちにさせたということにあります。
ギデオンは、「私の手でイスラエルを救おうとされるなら」と尋ねましたが、救ったのは「主(ヤハウェ)の剣」だったのです。私たちの場合も、自分が剣を持って戦うのではありません。私たちの責任は、角笛を吹くように主のご臨在を知らせ、たいまつで世を照らすことです。
なお、7章23節で、「イスラエル人はナフタリと、アシェルと、全マナセから呼び集められ(集まってきて)、彼らはミデアン人を追撃した」と記されますが、これを集めたのがギデオンであるとは記されていません。彼らは二度にわたって帰宅を命じられた人々で、戦いの様子を、息を飲むようにして見守りながら、これが追撃の好機と、自分たちで追撃作戦に加わったとも思われます。
そして、24節から8章にかけての戦いには、主(ヤハウェ)の指示がなく、すべてギデオンの主導権でなされています。彼が最初にやったことは、この勝利が確定した時点で、エフライム族を戦いに招いたことです。彼らはヨシュアを生んだ誇り高い部族なので、最初に声を掛けても従わなかったでしょうし、戦いに招かなくてもへそを曲げられます。そこでギデオンは、彼らにミデヤン人のふたりの首長の首を取らせることで花を持たせました。
どちらにしても、ギデオンの精鋭三百人だけで勝利を勝ち取ったと思わせないような配慮がなされています。臆病な人たちも後で戦いに加わり、勝利を味わい、分配にあずかる道が用意されていたのです。しかも、最後にエフライムも戦いに招かれイスラエルの一致が保たれています。
教会の働きにおいても、ギデオンの精鋭のような人が主導権を取ったとしても、それによって神の民全体の和が乱されてはなりません。どちらにしても、勝利を与えてくださるのは、人の剣ではなく、主ご自身の剣だからです。
4.ギデオンの最後の失敗と一族の滅亡
8章4節以降のギデオンと三百人によるミデアン人のふたりの王の追跡劇には、主の導きが記されていません。残念なことに、ヨルダン川の東側のスコテとペヌエルの住民は、ギデオン軍に食料を与えるのを拒絶して、二人の王が捕らえられた後で、ギデオンから報復を受けます。
また、18,19節を見ると、ギデオンがふたりの王を徹底的に追撃した理由が、かつてタボル山で、自分の兄弟たちが殺されたことへの報復であることがわかります。戦いが、主の戦いから、人間同士の戦いに変わっています。
ギデオンによる勝利の後、イスラエルの民は、彼と彼の子孫に王になるように求めます(8:22)。彼は、「主(ヤハウェ)があなたがたを治められます」(8:23)とそれを退けます。これは模範的な応答でしたが、同時に、分捕り物の金の耳輪を供出させてエポデを作ります。このとき集められた金の量は、約17,000gで現在の金価格1g=4,920円で計算すると8,400万円に相当します。
本来エポデは、神の栄光と美を現わす大祭司が身に着ける装束でしたが、彼はそれを自分の町オフラにおいて人々の礼拝の対象になるのに任せてしまいます。「イスラエルはみな、それを慕って、そこで淫行を行なった。それはギデオンとその一族にとって、落とし穴となった」(8:27)と記されるのは、その後の悲劇の導入のことばです。
本来なら、ギデオンは、民全体を当時エフライムとベニヤミンの境のベテルにあったと思われる神の幕屋に集め、感謝のいけにえを献げて主を礼拝すべきだったのです。この勝利が真の礼拝復興に結びつかなかったことが、民全体とギデオン一族の悲劇になります。つまり、神が与えられた勝利がカナン文化の影響で歪められて捉えられたのです。
私たちも、神のみわざを信仰の英雄の働きとして解釈することがありますが、人の能力が前面に立つと、そこから自分を神とする人と人との戦いが生まれます。
イスラエルは「四十年の間、穏やかであった」(8:28)のですが、「ギデオンが死ぬとすぐ、バアルを慕って淫行を行ない……自分たちを救い出した彼らの神、主(ヤハウェ)を心に留めなかった」(8:33、34)という堕落に陥ります。
そして、9章では彼の一族の滅亡が描かれます。彼は大勢の妻を抱え(8:30)、支配下のカナン人の町シェケムの女からアビメレクを生みます(8:31)。9章2-4節から明らかなようにこの女はカナン人であり、それは明らかな律法違反です。しかも、アビメレクとは「私の父は王」という意味ですから、ギデオンは自分を王と見ていたことが示唆されます。
そして、8章35節以降、ギデオンの名はエルバアル(バアルに戦わせよ)という名で思い起こされます。9章では、エルバアルの子アビメレクが、母の一族の異邦人を味方に引き入れ、バアルの宮から得た軍資金を元手に兵士を集め、エルバアルの息子たち七十人を虐殺し、王になります(9:5,6)。何と、イスラエルとカナン人の混合王朝ができたのです。
しかし、神は彼らに「わざわいの霊」(9:23)を送って戦いを起こさせ、シェケムを裁くとともに、アビメレクを女の手によって殺します。ギデオンがエルバアルという戦いの名で呼ばれるところに、バアル礼拝と戦いながら、その子の時代にそれに呑み込まれ、エルバアルの王国が自滅するという皮肉が見られます。
彼らは主の勝利を、人間の勝利に再解釈し、神の国ではなく人間の王国を作ろうとして滅びてしまったのです。
ギデオンの歩みは、最初は謙遜でしたが、劇的な勝利の後で、人間的な行動をするようになりました。そして、人々を真の礼拝者として整えることに失敗しました。
その結果、彼が残した家庭は、子供同士の殺し合いで自滅しました。これはキリストの教会が心から注意しなければならないことです。「あの人の信仰によって」とか「あの人の祈りによって」などと、神のみわざを人間のわざに再解釈してはなりません。
人の熱心さが、主を動かすのではありません。「万軍の主(ヤハウェ)の熱心」が人を動かすのです。そして主に用いられる人は、何よりも、主の御前に遜り、主のみこころに自分の意志を合わせられる人です。