現代は、しばしば「心地よさ」や「手軽さ」が大切にされます。そして米国の教会などでも一時、「求道者に優しい礼拝」という新しい動きが注目されましたが、最近は、その見直しが起き始めていると言われます。なぜなら、聖書に記された礼拝はそれと正反対とも言えるものだからです。
礼拝は、本来、主の御前に立ち得ない者が、主のあわれみによって招き入れられることから成り立っています。神の圧倒的な「聖さ」の前に跪くことの中に、逆説的に、不思議な平安と歓喜が生まれます。求道者の方は何も分からないようでも、その厳かさに引き寄せられるという面があるのではないでしょうか。
神を自分の都合に合わせるところから、すべての堕落が始まっていることを決して忘れてはなりません。しかも私たちは、楽に生きられるために神の民とされたのではなく、不条理が満ちた世界に遣わされ、神の愛を分ち合うために召されたのです。
なお、「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに世を愛された・・」(ヨハネ3:16)は聖書の中の聖書と呼ばれますが、それが民数記との関連で記されていることを知る人は多くはいません。
「劣等感」という概念を広めた心理学者アドラーは、それを、人が自分の境遇を改善しようと努力する原因として優しく定義しました。ですから、自分のうちにある劣等感を恥じる必要はありません。ただし、それが歪むと、弱さを隠そうとする傲慢さか、同情を求める自己憐憫に陥るので、それが問題なのです。
今、イスラエルは家族の死を見守るだけの無力な民から、勝利者へと成長しようとしています。彼らはかつて、困難の中で、傲慢と自己憐憫に揺れていました。しかし、神はそれを、「弱さの自覚と祈り」に導いておられるように思えます。
1.繰り返し迎える葬式のなかでの「汚れをきよめる水」
主(ヤハウェ)はイスラエルの民にシナイの荒野から北上する道を示されましたが、彼らは敵の強さを知って怖気づき、エジプトに帰ると言い出しました。
主はご自身の圧倒的な力を示し、信仰を育み続けてこられましたから、この不信仰に対し、20歳以上の男子が死に絶えるまで約束の地への進軍を止めさせるというさばきを下されました。そして彼らは、それからの約四十年間、死体の埋葬ばかりに忙しくなります。
19章のきよめの儀式は、それを前提に記されます。その目的は、主が「わたしがその中に住む宿営を汚さないように」(5:3)と言っておられたように、神が示す「きよさ」をいつも覚えることにあります。
私たちが神の御前に出ることができるのは決して当たり前のことではありません。その際、モラル(道徳)としてではなく儀式的な面での「汚れ」と「きよさ」を区別する尺度があります。その鍵は、レビ記に繰り返される、「自分の身を聖別し、聖なる者となりなさい」(レビ11:44)という命令にあります。
それは神の「聖さ」に倣うことです。神は死とセックスから無縁であり、特に「死」は、アダムの罪から始まっているので、「汚れ」となるのです。
死体に触れた者が宿営の中に戻るには、レビ記14,15章にあったような「きよめのいけにえ」をささげる必要があったとも考えられますが、それが明記されてきませんでした。死体に触れること自体は当然ながら「罪」ではないはずですが、それは「汚れ」であるので「きよめ」の手続きが必要でした。
11節では、「どのような人の死体にでも触れる者は、七日間、汚れる」と記されていますが、それから「きよめ」られるためのいけにえをささげる余裕は彼らにはありません。彼らは貧しすぎたのです。
それで主は、「赤い雌牛」(19:2)を宿営の外でほふらせ、それを焼く際に、「杉の木とヒソプと、緋色の糸を取り、それを雌牛の焼けている中に投げ入れ」(19:6)、特別なその「灰」を作らせました。雌牛の「赤」も、杉の赤みがかった色も、緋色もすべて血の赤をイメージさせます。その「灰」を集めて保存させ、「汚れをきよめる水」を作らせたのです。
それは、「罪のきよめのために焼いた灰を取り、器に入れて、それに湧き水(Living water)を加え」て作られます。そして「身のきよい人がヒソプを取ってこの水にひたし・・・汚れた者に三日目と七日目に振りかければ、その者は七日目に、罪をきよめられ・・衣服を洗い、水を浴びて」宿営の中に戻ることがでたというのです(19:17-19)。
そして、これらはすべて、主(ヤハウェ)の聖所が汚されず、主がイスラエルの民の真ん中に住むことができるために必要な手続きでした。これは彼らが、主の御前に招かれることを当たり前とは思わず、同時に、主の恵みを感謝できるための、目に見て体で感じることができる恵みの手続きでした。
そして、このことを背景に、新約では、「もし・・雌牛の灰を汚れた人々に注ぎかけると・・肉体をきよいものにするとすれば、ましてキリストが傷のないご自身を・・神におささげになったその血は、どんなにか私たちの良心をきよめて死んだ行いから離れさせ、生ける神に仕える者とすることでしょう」(ヘブル9:14)と記されます。
私たちは汚れに染まった世に遣わされ、身も心も汚れるとしても、キリストの血は私たちを真にきよめることができます。自分の身を守ろうと戦々恐々となる前に、主にあるきよめの力に信頼して世に出るべきです。
今、死体に触れるという「汚れ」の規定が効力を失ったのは、イエス・キリストが死の力に打ち勝ったからです。現在は、「汚れ」から遠ざかること以上に、イエス・キリストに結びつくことが何より大切です。
2.岩を打って水を湧き出させたモーセへのさばき
「イスラエル人の全会衆は、第一の月にツィンの荒野に着いた」(20:1)とは、20章の終わりにアロンの死が報じられることから計算して、「エジプトの国を出てから四十年目」(33:38)であることが分かります。
何と、この間の荒野での生活はほとんど描かれないまま、突然、ミリヤムの死が驚くほど簡単に報じられます。
ここで彼らはモーセとアロンに、自分たちの兄弟たちが「主(ヤハウェ)の前で」次々と死んだことを思い起させながら、「なぜ、あなたがたは主(ヤハウェ)の集会をこの荒野に引き入れて・・・死なせようとするのか・・ここは穀物も・・ぶどうもざくろも育つような所ではない。そのうえ、飲み水さえない」(20:4)と激しく抗議します。
そのとき「主(ヤハウェ)の栄光が・・現れ」、モーセに「杖を取れ・・会衆を集めよ・・彼らの目の前で岩に命じれば、岩は水を出す。あなたは、彼らのために岩から水を出し、会衆とその家畜に飲ませよ」(20:8)と言われます。
この際、彼が「主(ヤハウェ)の前から杖を取って・・集会を召集した」まではよかったのですが、「逆らう者たちよ。さあ、聞け。この岩から私たちがあなたがたのために水を出さなければならないのか」と言ってしまいました(20:10)。そこにはモーセとアロン自身が岩から水を出すような傲慢さが表われています。
しかも、主は「岩に命じれば・・」と言われたのに、モーセは「杖で岩を二度打」ちました(20:11)。約40年前、シナイ山途上の荒野で、主は「あなたがその岩を打つと、岩から水が出る」(出エジ17:6)と言われましたが、そこには主の命令があったのです。
また、主はこの際、「彼らのために水を出し、会衆とその家畜に飲ませよ」と命じておられるのに、モーセは、その主のあわれみを彼らに伝えることを怠っているのです。
それで主は、モーセとアロンに「あなたがたはわたしを信ぜず、わたしをイスラエルの人々の前で聖なる者としなかった。それゆえ、あなたがたは、この集会を、わたしが彼らに与えた地に導きいれることはできない」(20:12)と言われました。そして、これが「メリバ(争い)の水」と呼ばれ、「主がこれによってご自身を、聖なる者として示されたのである」(20:13)と記されます。
ここには、神の「聖さ」を犯すことの厳しさが示されます。かつて、アロンのふたりの息子たちが「主が命じなかった異なった火をささげ」て、主から火で焼き尽くされましたが(レビ10:1,2)、モーセへのさばきは、それと同じような意味を持っていると考えられます。
それにしても、モーセが「軽率なことを口にした」(詩篇106:33)のも無理がないかもしれません。彼は自分の利益を何も求めず、主に従ってひたすら民に仕え続けたのに、民は苦情ばかり言い立てたあげく、彼を殺人者呼ばわりしました。彼は切羽詰った余り、自分の力を見せることで民の不満を抑えたい衝動に駆られたのでしょう。
しかしこれに対し、主はモーセに「あなたがたはわたしを信ぜず・・」と言われました。多くの人は、「信仰」を、可能性を信じる力とか、物事を成し遂げる力かのように誤解していますが、「主を信じる」とは、主のことばにまっすぐ「応答」することに他なりません。
しかも、主はモーセに、「わたしをイスラエルの人々の前に聖なる者としなかった」と言われました。それは、彼の使命が、自分の有能さや誠実さを証明して民を導くことではなく、彼らの前で、主ご自身を「聖なる方」として証しすることだったからです。
3.燃える蛇からの救い・・青銅の蛇を見上げる
このとき彼らは約四十年前の失敗の原点、カデシュ・バルネアにいましたが、死海の東南にある通商路の「王の道」を迂回して約束の地に侵入するルートを取ろうと、その通路にあたるエドムに使者を遣わします。彼らは「あなたの領土を通過するまでは右にも左にも曲がりません・・・水を飲むことがあれば、その代価を払います」とまで言いますが、エドムは領土通過の許可をくれなかったばかりか「強力な大軍勢を率いて彼らを迎えつつために出てきた」というのです(20:17-20)。
エドムはヤコブの兄エサウの子孫ですから、彼らは戦いを避けさらに迂回しようとしますが、彼らの歩んだ道はよく分かりません。彼らが次に着いた「ホル山」に関して、新改訳は「エドムの国の領土にあるホル山で」(20:23)と訳されますが、「エドムとの国境にある」との訳が一般的です。それは、カデシュから北東に20㎞あまりにある山かもしれません。
とにかく、その山の頂でアロンは死を迎えますが、その前に大祭司の地位が彼の息子のエルアザルに譲られます。
21章では、突然、カデシュの北に広がるネゲブ地方に住む「カナン人アラデの王」がイスラエルの民に襲いかかって来たと記されます。アラデとは死海の西側、マサダの西だと思われます。
イスラエルは約40年前、カナン人の前に怯えましたが、このときは主に信頼して勝利を収めます。「主(ヤハウェ)はイスラエルの願いを聞き入れ、カナン人を渡された」(21:3)とは、新しい時代の始まりを示す画期的な出来事でした。
ところがここで、不思議にも、「彼らはホル山から、エドムの地を迂回して、葦の海(紅海、アカバ湾)の道に旅立った」(21:4)と描かれます。これは、主の臨在を表わす「雲の柱」が、彼らを約束の地とは反対方向の南に導いたことを意味します。彼らにしたら、「ようやくカナン人に打ち勝った。あと一歩で約束の地・・」と思ったであろう矢先のことです。
そのような中で、「民は、途中でがまんができなくなり・・」、モーセにばかりか、「神・・に逆らって」、『なぜ、あなたがたは私たちをエジプトから連れ上って、この荒野で死なせようとするのか。パンもなく、水もない。私たちはこのみじめな食物に飽き飽きした』とまで言いました(21:5)。
失望の余りとは言え、天からの恵みのマナを「このみじめな食物・・」と呼ぶとは何という恩知らずでしょう!
「そこで主(ヤハウェ)は民の中に燃える蛇を送られたので、蛇は民にかみつき、イスラエルの多くの人々が死んだ」(21:6)というさばきが下されます。そこで、民は慌てて、「蛇を取り去ってくださるよう」願います(21:7)。しかし、主は不思議な解決を与えます。
それは、「青銅の蛇」を作り「旗ざおの上に」つけさせた上で、「すべてかまれた者は、それを仰ぎ見れば、生きる」と約束されたことです(21:8)。
彼らは恵みを忘れる天才でした。それで主は、彼らに蛇にかまれるという危険と痛みを与えた上で、それとセットに癒しの恵みを与えました。それは彼らが自分たちの罪深さを忘れずに、しかも主に信頼して希望を持つためでした。
イエスは、ニコデモとの対話で、「モーセが荒野で蛇を上げたように、人の子もまた上げられなければなりません。それは信じる者がみな、人の子にあって永遠のいのちを持つためです」(ヨハネ3:14、15)と言われました。
ただし主はその直前に、「だれも天に上った者はいません。しかし、天から下った者はいます。すなわち人の子です」(13節)と言われました。これはダニエルが、「見よ。人の子のような方が天の雲によって来られ、年を経た方のもとに進み、その前に導かれた」(ダニエル7:13)と言われたことを思い起こさせます。
イエスは、ご自身を神の右の座に着く方であると示唆し、荒野の蛇のように上げられると言われました。それはご自身の十字架を指します。つまり、イエスはご自身が全能の神の右の座に着く方として、人々が最も忌み嫌う十字架に架けられると言われたのです。十字架上のイエスは、「王の王、主の主」であられました。そのことを信じる者が「永遠のいのちを持つことができる」というのです。
青銅の蛇を仰ぎ見る者が生きることができるなら、まして、十字架に架けられた神の御子を仰ぎ見て救われないわけはありません。
私たちも彼らのように、自業自得で苦しみに会うことがあります。しかも、自分の罪を悔いたはずなのに、同じ間違いを繰り返してはいないでしょうか。
そんなとき、私たちは「こんないいかげんな信仰では赦されようがないのでは・・・」と思うかもしれません。しかし、ここで明らかなように、「信じる」とは、あなたの信心の力ではなく、「旗ざおの上の青銅の蛇を仰ぎ見る」という心の目の方向に他ならないのです。
それをもとに、ヨハネの福音書では、「神は、実に、そのひとり子をお与えになるほどに、世を愛された。それは御子を信じる者がひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである」(3:16)と記されます。
私たちは自己嫌悪に陥りそうになるたびに、自分の信仰を自分で励ますというのではなく、ただイエスを見上げるだけでよいのです。そこには、明らかな「罪の赦し」が保証されています。なぜなら、「キリストは・・不敬虔な者のために死んでくださいました」(ローマ5:6)と保証されているからです。
内村鑑三はかつて、自分を救い難いほどの偽善者と呼び、自分の心の醜さに深く悩み苦しんでいました。そんな中で、アマスト大学総理のシーリーから次のように言われ、平安と歓喜に満たされます。
「君は君の内をのみ見るからいけない。君は君の外を見なければいけない。なぜ、おのれに省みることをやめて、十字架の上に君の罪をあがないたまいしイエスを仰ぎ見ないのか。君のなすところは、小児が植え木を鉢に植えて、その成長を確定(たしか)めんと欲して、毎日その根を抜いて見ると同然である。何ゆえに、これを神と日光とにゆだね奉り、安心して君の成長を待たぬのか」
内村鑑三は渡米当時のことを、「私の当時の理想は慈善家と成ることであった。貧民救済、醜業婦救済が私の生涯の目的であった。私はこの目的をいだいて、私の理想の国たりし米国に行いた・・・しかしながら私の霊魂の深い所に歓喜と満足とはなかった。私は義務の念にかられ自己にむちうちつつ慈善事業を学んだ。私は苦しいキリスト信者であった」と記しています。
彼はアメリカに感心しながらも同時に深い失望をも味わっていました。彼は、自分を責めると同時に人も社会も責めていました。しかし、シーリー先生に出会って変えられます。
彼はその人柄を、「先生は私の理想とは全然違った人であった。先生において見るべきは、学識でも威厳でも活動でもなかった。嬰児のごとき謙遜であった」と記しています。
しばしば、愛や平和という理想に熱くなり、まわりの人々を非難ばかりする人がいます。ある人々の顔を思い浮かべながら、「彼らのような人間がのさばっているから、国がよくならない・・」と思っているかもしれません。しかし、それでは自爆テロと大差がありません。彼らは、人を非難することで、自分自身が愛の交わりを壊しているということに気づきません。愛の交わりは、義務からではなく、謙遜から生まれるのです。
4.イスラエルに与えられた決定的な勝利
彼らはその後、さらに南にくだりアカバ湾岸のエツヨン・ゲベルまで達し(申命記2:8)、そこから北上しエドムの南東部を迂回し、さらにその北のモアブの東側を通ります。そして、モアブの北のアルノン川を渡り、そこから北西に進みエモリ人の地に侵入し、死海の北の約束の地を見下ろすことができる「ピスガの頂」(標高800m)にまで達します(21:20)。
しばらく後にモーセはここから約束の地を見渡しつつ息を引き取りますが、この時はエモリ人の王シホンに領土の通過を懇願します(21:22)。しかし彼らはそれを拒み、戦いを仕掛けてきました。
それに対し「イスラエルは剣の刃で彼を打ち、その地をアルノンからヤボクまで、アモン人の国境まで占領した」と記されます。ヤボク川はかつてヤコブの格闘で思い出深い地ですが、アルノン川からヤボク川までは約80㎞もあります。
東のアモン人とは戦いを避けて国境を守りますが、その結果、ヨルダン川の東側の地を占領し、「エモリ人のすべての町々、ヘシュボン(首都)とそれに属するすべての村落に住みついた」(21:25)と記されます。彼らはついに、「住みつく」ことができる地を与えられたのです。
そればかりか主は彼らをさらにヤボク川を渡らせ、さらに約60㎞北のエデレイにまで達します。そこはガリラヤ湖東側に位置する強国バシャンの地でした。その王オグはイスラエルを迎え撃ちます。つまり、この場合は、イスラエルの民が一方的な侵略者であったのです。
主はモーセに、「彼を恐れてはならない。わたしは彼とそのすべての民とその地とをあなたの手のうちに与えた」(21:34)と言われます。これは、主ご自身がその地の住民をイスラエルの民を用いてさばいたという意味です。これによって、イスラエルの民は死海からガリラヤ湖の北に至るヨルダン川東の広大な土地を占領することになりました。
逃亡奴隷の集団が、約束の地を従える強国へと成長しました。彼らは荒野で主のお取り扱いを受け、最後には、燃える蛇の事件を通して、困難と共存しながら主に信頼することを学んだからです。
現在のピスガ山頂には、「青銅の蛇」と十字架をダブらせたイメージのモニュメントが立っています。それは、イエスが荒野の蛇とご自身の十字架をだぶらせて示されたことをリアルに思い浮かべさせます。
私たちの目に無駄な時を過ごしているように思える時も、主は共にいてくださいます。モーセでさえ高慢の罪でさばきを受けました。主は私たちを謙遜にした上で、ご自身の勝利を与えられます。それは、私たちが自分の弱さを示されながら、強がることも、ひるむこともなく、主に信頼することを学ぶためです。
主の「聖さ」を心から恐れ、同時にイエスの十字架によって御前に招かれることを覚えることこそすべての始まりです。