しばしば、人は、信仰の成長を、「心が動じなくなること」と誤解してはいないでしょうか。今日の箇所では、パロの心が動じないことによって、エジプト人がどれだけ苦しんだかが描かれます。そして、現代の世界では、心が動じないテロリストと政治家との狭間で、どれだけ多くの悲惨な犠牲者が出ていることでしょう。
感じやすさは、しばしば、心の痛みをもたらしますが、しかし、そこにこそいのちの喜びが生まれます。心の鈍感な人が、どうして人の痛みに共感できることでしょう。
今回の箇所では、エジプトを襲った十のわざわいのことが描かれています。それをもたらしたのはイスラエルの神、主(ヤハウェ)ですが、人の目には、モーセがわざわいの原因に見えても不思議はありません。ところが、そのモーセが「エジプトの国でパロの家臣と民とに非常に尊敬されていた」と記されているのです。それは、わざわいが次々と激しくなり、民が苦しむのは、エジプトの王パロの「かたくなさ」が招いた悲劇と見られるからです。
1.「パロの心はかたくなになり・・パロは強情になり」
主(ヤハウェ)は、第一のわざわいとして、ナイルの水を血に変えましたが、パロの「心はかたくなになり(心を強くし)・・これを心に留めなかった」(7:22,23)ため、次々とエジプトにわざわいが下されます。
パロはその度に心変わりを見せますが、主のことばは一貫しており、「わたしの民を行かせ、彼らにわたしに仕えさせるようにせよ」(8:1)でした。これはイスラエルの民にとっての主人は、パロではなく、主(ヤハウェ)であることを認めさせることにあります。
第二のわざわいは、「かえる」でした。主はパロに向かって、「もしあなたが行かせることを拒むなら、見よ、わたしは(強調)、あなたの全領土を、かえるをもって、打つ」と警告した上で(8:2)、かえるをエジプトの地にはいあがらせました。不思議にも、「呪法師たちも彼らの秘術を使って、同じようにかえるをエジプトの地の上に、はい上がらせ」(8:7)ます。悪霊はわざわいを起こすことに関してはある程度の奇跡を起こすことができるからです。
ただ今回は、パロは、自分の寝台にかえるが上るのに慌てたのでしょうか、「かえるを私と私の民のところから除くように、主(ヤハウェ)に懇願せよ。そうすれば、私はこの民を行かせる。彼らは主(ヤハウェ)にいけにえをささげることができる」(3:8)と譲歩します。
モーセは、パロに「いつ祈ったらよいのか」と確かめたうえで、パロの願いをかなえることで、「主(ヤハウェ)のような方はほかにはいないことを、あなたが知るため」(8:10)」と言います。モーセはあくまでもパロの心が変えられることを願って、その機会を与えようとしています。
しかし、それが叶えられると、「パロは息つく暇のできたのを見て、強情になり」(8:15)、約束を反故にしました。ただそこに、「主(ヤハウェ)の言われたとおりである」(8:15)と記されます。
第三のわざわいは、エジプト全土に「ぶよ」が満ちたことでした。呪法師たちは同じわざわいを起こそうとしてもできなかったので、「これは神の指です」(8:19)と言いました。しかし、自身に害が及ばなかったためなのか、「パロの心はかたくなに(強く)なり、彼らの言うことを聞き入れなかった」と記されます。そしてここでも、「主(ヤハウェ)の言われたとおりである」と敢えて付け加えられています。
主はモーセに、「わたしはパロの心をかたくなにし、わたしのしるしと不思議をエジプトの地で多く行なおう」(7:3)と言っておられましたが、この際の「かたくなにする」とは、「反抗させる」というニュアンスがあり、主はパロの心を操るというより、反抗心を刺激することによって、さらなる「しるしと不思議」としてのわざわいを起こすというのです。つまり、わざわいが激しくなるのは、パロの心のかたくなさにあるのです。
第四のわざわいの前に、主は「もしも・・行かせないなら・・わたしは、あぶの群れを・・あなたの家の中に放つ」と警告し、それが自然災害でないことを、「わたしの民がとどまっているゴシェンの地を特別に扱い・・主であるわたしが、その地の真中にいることをあなたがたが知る」と言われます(8:22)。
そして、「おびただしいあぶの群れが、パロの家とその家臣との家に入ってきた」(8:24)のを見たパロは、モーセと妥協点を捜そうとしつつ、結局は「荒野でおまえたちの神、主(ヤハウェ)にいけにえをささげるがよい。ただ決して遠くに行ってはならない」と言いながらも、同時に、「私のために祈ってくれ」(8:28)と懇願します。
モーセは、「私は主(ヤハウェ)に祈ります」と言いつつも、「ただ、パロは、重ねて欺かないようにしてください」と(8:29)とパロに迫ります。しかし、モーセの祈りで、「あぶ」がいなくなったとき、「パロはこのときも強情に(重く)なり」(8:32)と記されます。パロはモーセのことばにも関わらず、再び欺いたのです。
第五のわざわいの前にも、主は同じ命令と警告を与え、その帰結として、「非常に激しい疫病」によって、「馬、ろば、らくだ、牛、羊」などエジプトの家畜がことごとく死ぬことになりました(9:1-7)。
この際も、「主(ヤハウェ)は、イスラエルの家畜とエジプトの家畜とを区別する。それでイスラエルの家畜は一頭も死なない」(9:4)という不思議が起こったのですが、「それでも、パロの心は強情で(重く)、民を行かせなかった」(9:7)というのです。エジプト人は農耕民族ではありましたが、これでは農作業にも支障が生まれます。しかしパロに直接的被害はなかったのでしょう。
多くの人は、「何事にも動じない心」に憧れますが、パロの心はまさにそうでした。「かたくなになる」とは本来「強くなる」という意味、「強情になる」とは「重くなる」という意味だからです。彼は自分の家に「かえる」や「あぶ」が満ちたときは、さしあたり低姿勢に懇願しますが、わざわいが過ぎ去ると再び強情になりました。
一方、水が血に変わったり、ぶよが満ちたり、疫病で家畜が死んでも、自分が苦しまずに済んだので、最初から心は動じませんでした。
私たちの心は、しばしば回りの出来事に敏感に反応し過ぎて、苦しくなりますが、それは大切な感性です。オウム真理教の元幹部は以前のホームページで瞑想の効果を、「瞑想によって、体内に眠っている霊的なエネルギーが覚醒し、この世の何物でも味わえないような幸福感、歓喜を体験し、さらに進むと自分への囚われから全く自由になり、様々な欲望がなくなって、完全な静寂の境地、不動の心が得られる。そうなると、逮捕され、人に裏切られ誹謗中傷されても、苦しまなくなる」と記していました。でも動じない心を得た結果、サリンをまくことができたのです。
これは麻薬の作用と似てはいないでしょうか。これと対照的に、キルケゴールは「絶望は死に至る病である」と言いつつ、同時に、「絶望できるとは、無限の長所である」と言っています。もし、世界の矛盾に目を開き、人の痛みの声に耳を傾け、自分の心の闇を直視するなら、絶望せずにはいられないとも言えます。それでも平安なのは、心が麻痺した結果かもしれません。
愛は人の痛みへの共感から生まれます。しかし、オウム真理教の悲劇や少年のいじめなどに見られるように、心が麻痺した人々によって、恐ろしいほどの反社会的な行動が正当化されてしまうのです。
2.主はパロの心をかたくなにされた
第六のわざわいは、警告なしにパロの前で行なわれました。モーセが「かまどのすす」をまき散らすと、それが呪法師たちにつき、「うみの出る腫物」(9:10,11)となったのです。
そしてこの帰結は、「しかし、主(ヤハウェ)はパロの心をかたくなにされ(強くし)、彼は・・聞き入れなかった。主(ヤハウェ)がモーセに言われた通りである」(9:12)と描かれます。これは4:21で予告されていた表現です。パロが被害者のように聞こえますが、家来の痛みを見ても心が動じないのは、彼自身が誇りにしたことかもしれません。そうでなくては、家来を戦争に駆り立て、敵に勝利もできませんから。
第七のわざわいの前に、主(ヤハウェ)はみわざの目的を、「わたしのような者は地のどこにもいないことを、あなたに知らせるため」(9:14)と言います。そして、ご自身にはパロを疫病で消し去る力があると示しつつ、「それにもかかわらず、わたしは、わたしの力をあなたに示すためにあなたを立てておく。また、わたしの名を全地に告げ知らせるためである」(9:16)と付け加えます。
パウロはこのみことばを引用した上で(ローマ9:17)、「神は、人をみこころのままにあわれみ、またみこころのままにかたくなにされる・・」(ローマ9:18)と、神の一方的な選びについての深遠な教理を説き明かします。そして、その上で、「すべてのことが、神から発し、神によって成り、神に至るからです。どうか、この神に、栄光がとこしえにありますように」(ローマ11:36)と結論づけ、主を賛美しました。
神が横暴な支配者を、すぐに滅ぼさずに、敢えて立てておかれるのは、この世の最高の権力者の力との対比でご自身の力を見させ、人々の心をこの地の支配者への恐れから解放するためなのです。
それでここでも、主はパロに向かって「あなたはまだわたしの民の対して高ぶっており」(9:17)と、主のみわざの目的が、パロの「高ぶり」をくじくことにあると付け加えられます。
そして、主は「あすの今ごろ、エジプトにおいて建国の日以来、今までになかったきわめて激しい雹をわたしは降らせる」(9:18)と警告しながら、エジプト人に、奴隷や家畜を避難させる猶予を与えました。そして、「パロの家臣のうちで主(ヤハウェ)のことばを恐れた者は」(9:20)、わざわいを避けることができました。
なおその際、「雹はエジプト全土にわたって、人をはじめ獣に至るまで、野にいるすべてのものを打ち・・野の木もことごとく打ち砕いた。ただ、イスラエル人が住むゴシェンの地には雹は降らなかった」と描かれます(9:25,26)。
これを見て、パロは、何と「今度は、私は罪を犯した。主(ヤハウェ)は正しいお方だ。私と私の民は悪者だ。主に祈ってくれ・・・おまえたちを行かせよう・・もう、とどまってはならない」(9:27,28)とへりくだります。
モーセは、すぐに主に向かって祈ることを約束しますが、同時に、「あなたとあなたの家臣が、まだ、神である主(ヤハウェ)を恐れていないことを知っています」(9:30)と付け加えます。なぜなら、小麦の収穫はまだ期待できることが分かっていたからです。彼らはとことん苦しまなければ主を恐れません。
そして事実、その後のことが、「パロは雨と雹と雷がやんだのを見たとき、またも罪を犯し・・強情になった。パロの心はかたくなになり・・イスラエル人を行かせなかった。主(ヤハウェ)が・・言われたとおり」」(9:34)と記されています。
第八のわざわいの前に、主は、「わたしは彼(パロ)を強情にした。それは・・わたしが彼らの中で行なったしるしを、あなたがたが息子や孫に語って聞かせるためであり、わたしが主(ヤハウェ)であることを、あなたがたが知るためである」(10:1,2)と言います。
そして、パロに、「いつまでわたしの前に身を低くするのを拒むのか・・」(10:3)と迫りながら、「いなごが地の面をおおい・・・雹の害を免れて…残されているものを食い尽くす」(10:5)と警告します。
このときは、家臣たちまでが、「この男たちを行かせ、彼らの神、主(ヤハウェ)に仕えさせてください。エジプトが滅びるのが、まだおわかりにならないのですか」(10:7)と譲歩を迫ります。パロはそれに応じ、「壮年の男だけ行って、主(ヤハウェ)に仕えよ」(10:11)と言ってモーセとアロンを追い帰します。その結果、「いなご」の被害が全地をおおい、「エジプト全土にわたって、緑色は木にも野の草にも少しも残らなかった」(10:15)という悲惨が起こりました。
実際の被害を見たパロは急いでモーセたちを呼び寄せ「私は、おまえたちの神、主(ヤハウェ)・・に対して罪を犯した。どうか今、もう一度だけ、私の罪を赦してくれ」(10:16,17)と願います。そしてモーセが主に願うと、エジプト全域から「いなご」が消えました。
ただ、それに続いて、「主(ヤハウェ)がパロの心をかたくなにされたので、彼はイスラエル人を行かさなかった」(10:20)と、10章初めの「強情にした」という表現と似た表現で、これが主のみわざであると描かれます。
第九のわざわいでは、パロへの警告もなしに、モーセが天に向けて手を差し伸ばすと、「エジプト全土は三日間真っ暗闇と」なります(10:22)。「しかしイスラエル人の住む所には光があった」(10:23)のでした。パロはモーセを呼び寄せ、羊と牛をとどめるなら、幼子たちを連れて行っても良いと言います(10:24)。
モーセはいけにえの必要を訴えながら、「私たちは家畜も一緒に連れて行きます。ひずめひとつも残すことはできません」(10:26)と、一切の妥協を退けます。
それに対して、ここでも20節と同じく、「主(ヤハウェ)はパロの心をかたくなにされ・・」(10:27)と描かれます。
「主が・・かたくなにする」とは、パロは自分の意思で神に逆らっているのですから、不思議な表現ですが、これによって、主こそが、この地で最も強い人の心をも支配しておられる現実が証しされます。しかも、現実には、この世で自分の力を誇っている者は、力を見せられるほどにかえって対抗心を起こします。ですから、主がご自身の力を見せること自体が、結果的に、パロの心をかたくなにすることになるのです。主がパロの心をもてあそんでいるというわけではありません。
事実、主はパロに向かって、「わたしの民に向かって高ぶっている」(9:17)、「いつまでわたしの前に身を低くするのを拒むのか」と、繰り返し、謙遜になることを勧めておられ、パロも雹といなごの被害に対して二回にわたって「私は罪を犯した」(9:27)、「主(ヤハウェ)とおまえ前たちに対して罪を犯した。どうか今、もう一度だけ、私の罪を赦してくれ」(10:16,17)と謝罪しながら、目の前の被害が消えると、すぐにそれを忘れているからです。
これは同じ過ちを繰り返す人のパターンです。自分の謝罪のことばをすぐに忘れるのは、その人自身の問題です。
3.「過越」・・「わたしのからだ」「わたしの血による新しい契約」と呼ばれる原点
第十のわざわいが11,12章で描かれます。その初めに「主(ヤハウェ)はエジプトが民に好意を持つようにされた。モーセその人も、エジプトの国でパロの家臣と民とに非常に尊敬されていた」(11:3)と記されます。これはエジプトがわざわいを通して、イスラエルの民の願いをかなえることを応援するようになっていたという意味でしょう。
また、かえる、あぶ、雹の被害のたびにパロは、「祈ってくれ」(8:8.8:28、9:28)と願いますが、モーセはパロに警告を発しながらも、その願いをすぐに聞き届けて、わざわいが去るように主に祈りました。またいなごの被害の際も、パロの謝罪を即座に受け入れ、いなごが去るように願いました。
つまり、人々の目には、度重なるわざわいの原因がパロの強情さと身勝手さにあることが明らかになる一方で、モーセの祈りによってわざわいが取り去られるという現実を見たのです。その結果、パロの王としての威厳がどんどん失われ、モーセがパロの家臣と民から尊敬されることになったのです。
主はモーセを通して、「真夜中ごろ、わたしはエジプトの中に出て行く。エジプトの国の初子は・・パロの初子から・・奴隷の初子・・家畜の初子に至るまで、みな死ぬ」(11:4)と言われながら、イスラエルの初子のいのちは守られると約束されます。
モーセはパロに警告を発した後、「モーセは怒りに燃えてパロのところから出て行った」(11:8)と描かれます。これはパロのかたくなさのゆえに、エジプトの民に起こる苦しみを見ていたからだと思われます。モーセはパロの嘘に気づきながらすぐに災いを止めていますが、パロは民の災いをほとんど意に介していないからです。
12章初めから、「この月をあなたの月の始まりとし…年の最初の月とせよ」とこれが代々守るべき祭りとなると強調しながら、「この月の十日に・・・父祖の家ごとに、羊一頭を用意しなさい・・十四日の・・・夕暮れにそれをほふり、その血を取り、羊を食べる家々の二本の門柱と、かもいにそれをつける。その夜、その肉を食べる・・これは主(ヤハウェ)への過越のいけにえである…わたしがエジプトの地を打つとき、あなたがたに滅びのわざわいは起きない。この日は、あなたがたにとって記念すべき日となる」(12:1-14)と命じられます。
そして、15-20節までは「あなた方は七日間種を入れないパンを食べなければならない…七日間は・・パン種があってはならない」と命じられます。
12章21節からは、このときにモーセから民に命じられた内容が、「あなたがたの家族のために羊を、ためらうことなく、取り、過越しのいけにえとしてほふりなさい。ヒソプの一束を取って・・・血をかもいと二本の門柱につけなさい。朝までだれも家の戸口から外に出てはならない。主(ヤハウェ)がエジプトを打つために行き巡られ、かもいと二本の門柱にある血をご覧になれば、主(ヤハウェ)はその戸口を過ぎ越され、滅ぼす者があなたの家にはいって、打つことがない」と記されます。
この時、羊をほふり、家々の門柱につけるとともに、種を入れないパンを七日間食べます。そして、その意味を子供に説明するよう命じられます。なおこのときの民の反応が、「こうしてイスラエル人は・・・主(ヤハウェ)がモーセとアロンに命じられたとおりに行った」(12:28)と記されます。モーセが信頼されていた証しです。
そして、「真夜中になって、主(ヤハウェ)はエジプトの地のすべての初子を・・打たれた。そして、エジプトには激しい叫び声が起こった。それは死人のない家がなかったからである・・」(12:29,30)という悲劇の中で、パロは、ついに、「私の民の中から出て行け・・行って、主(ヤハウェ)に仕えよ・・」(12:31)と彼らを奴隷状態から解放すると宣言します。
またエジプトの人々も自分たちがさらなる災いに会うことを恐れてイスラエルの民に贈り物を与えて、送り出しました。そのことが、「イスラエル人はモーセのことばどおりに行い、エジプトから銀の飾り、金の飾り、それに着物を求めた。主(ヤハウェ)はエジプトがこの民に好意を持つようにされたので、エジプトは彼らの願いを聞き入れた。こうして彼らはエジプトからはぎ取った」(12:35,36)と記されています。
なおこの時、彼らは「徒歩の壮年の男子だけで約六十万人に」(12:37)膨れ上がっていました。そして、「イスラエル人がエジプトに滞在していた期間は四百三十年であった」(12:40)と記されます。
これらは、主がかつてアブラハムに、「あなたの子孫は、自分たちのものでない国で寄留者となり、彼らは奴隷とされ、四百年の間、苦しめられよう。しかし、彼らの仕えるその国民を、わたしがさばき、その後、彼らは多くの財産を持って、そこから出て来るようになる」(創15:13,14)と約束しておられた通りです。
なお、12章39節では種を入れないパンを用いる理由が、「彼らは、エジプトを追い出され、ぐずぐずしてはおられず、また食料の準備もできていなかったからである」と記されます。つまり、準備が簡単で保存が効くということで、旅行用の食べ物として最適だったのです。これが現在の聖餐式の原点になります。
イエスは、過越の子羊として、ご自分を十字架でお献げになられましたが、それを記念させるため、過越の食事の最中に、種なしパンを取り「これは、あなたがたのための、わたしのからだです」と言われ、また、杯を取り「この杯は、わたしの血による新しい契約です」と言われました(Ⅰコリント11:23-25)。
イエスこそは新しい過越の子羊です。主は、私たちの心を、力によって屈服させる代わりに、力を捨てた犠牲によって、罪を赦し、自己正当化と自己防衛の構えから解き放ってくださいました。
しばしば、精神障害者は、「この人はストレスを与えたら壊れてしまう」と見られ、保護されます。しかし、たとえば、その共生施設ベテルの家の主催者向谷地さんは、「この人たちは病気によって幸せを奪われたのではなく、本来的に人間与えられている苦労が奪われている人だ・・」と思ったとのことです。そして、彼らが自分の手で生活費を稼ぐように傷つく覚悟で商売を始めた時、地域が彼らを受け入れました。そこには苦労以上に、生きることの喜びが生まれました。
私たちの傷つきやすい心は、神の賜物です。傷つくことを避けたり、心が動じなくなることを望むのではなく、この世に遣わされて傷つきながらも、その中で「心の貧しい者、悲しむ者、柔和な者、義に飢え渇いている者」こそが「幸いです」というイエスの慰めを味わい、神を喜びたいものです。
神は、パロの心をかたくなに(強く)されました。一方、私たちの心を弱く、傷つきやすくしてくださいました。そこに神と人との交わりから生まれるいのちの喜びをもたらすためです。
事実、私も、仕事の成功によって神の栄光を現そう思っていた時、自分の傷つきやすさが疎ましく感じられました。しかし、傷つく中で神と人との出会いを体験できた時、このように創造してくださった神を喜ぶことができるようになりました。あなたの場合はどうでしょう。神の栄光を現すことと、神を喜ぶことは、一致しているでしょうか?
多くの人々は、「喜びとは悲しみのないことであり、悲しみとは喜びのないこと」だと考えがちです。しかし、神の子イエスは、悲しみのお方でありまた完全なる喜びのお方でもあります。ヘンリ・ナウエンは、喜びと排除し合う関係にあるのは、悲しみではなく、「皮肉」であると言いました。皮肉屋はどこに行っても闇を捜しだし、小さな喜びへの感動を軽蔑するからです。これは哀歌3章65節では、「横着な心(覆いかぶされた心)とも呼ばれます。
心の奥底にある絶望感に目をつむったり、罪を悲しむことに「横着な心」は、神の赦しを喜ぶことにも横着になることでしょう。
詩篇の祈りは、この「横着な心」を敏感にすることに大きな力があります。ある方は、この教会に集い礼拝や祈祷会などで詩篇の交読文を唱和している中で、自分の心の動きをすなおに認めることができるようになり、すると日々の小さな恵みにも感謝できるようになってきたと言っておられました。それこそ傷つきやすい心が味わう恵みです。