「今年こそ、念願がかなえられるように・・・」と思って努力することは本当に大切です。目標も持てずに、安易な妥協をすることの言い訳にキリスト信仰を持ち出してはなりません。私たちは神からあずけられた賜物を生かし、この世界を少しでも住みやすくするために、神に祈り、自分を差し出すことが常に求められています。
しかし、ある友人が最近こんなことを書いていました。「この数年間私が通っていたプロセスは、どうやら魂の暗夜だったのかもしれない・・それは、余計なものが取り去れることー自分が握っていたもの、しがみついていたもの、偶像としていたもの…。いくつかはもはや握りしめようがないほどに見事に粉砕された。私は何度も、神に向かって、『なぜこんなことをなさるのですか?』と訴えたけれど、答えてくださったことは一度もなかった。ところが最近、突然、主が、『それはね、祈りの答えは祈りの答えであって、わたしではないからだよ。わたしはあなたに、祈りの答え以上に、わたし自身を受け取ってほしかったのだ』と示してくださった」とのことです。
その方は、クリスチャン精神科医Gerald May の次のことばに感動しておられます。 “the dark night of the soul is an ongoing transition from compulsively trying to control one’s life toward a trusting freedom and openess to God and the real situations of life.” 「魂の暗夜とは、自分の人生を強迫的にコントロールしようとする生き方から、神と人生の真の状況に自分自身を開いて信頼する自由な生き方への絶え間のない移行プロセスである」
しばしば私たちは、平安を与えてくださる方ご自身との交わりを忘れて、平安を自分の手でつかみとろうとあくせくして、かえって不満をつのらせてはいないでしょうか。強迫的努力とは、まさに私自身の課題でもあります。
1.「ここに少年が大麦のパンを五つと小さい魚を二匹持っています・・・それが何になりましょう」
「その後」(6:1)とは、5章1節のユダヤ人の祭りにイエスがエルサレムに上って行かれ、ベテスダの池で38年間も病であった人をいやし、そこでご自身が預言された救い主であることを明言された後、という意味です。先の祭りが何であったかは分かりませんが、春の「過越」(6:4)の前の大きな祭りは秋の仮庵の祭りですから、少なくもと5章から半年近くは経過していたことになります。
そこで、「イエスはガリラヤの湖、すなわち、テベリヤの湖の向こう岸へ行かれた」(6:1)と記されているのは不思議です。なぜなら、「テベリヤ」という呼び名は、ヘロデ大王の後継者ヘロデ・アンテパスが自分を王にしてくれた二代目ローマ皇帝ティベリウス(AD14-37年)に名誉を帰するために「いのちの湖」に付けた呼び名だからです。少なくともこの福音書の最初の読者にとっては本来の名前のガリラヤ湖よりも後で変更された名の方が分かりやすくなっていた時代になっていたのかもしれません。
イエスはこのとき「湖の向こう岸」であるガリラヤ湖の東側に行かれましたが、そこに「大ぜいの人の群れがイエスにつき従っていた」(6:2)というのです。そこは極めて辺鄙な場所で、多くのユダヤ人たちがそこまで来たというのは不思議です。
その理由が、「それはイエスが病人たちになさっていたしるしを見たからである」と記されています。多くの人々は、イエスのいやしのみわざに惹かれて、遠い道のりを歩いてきました。そこで、「イエスは山に登り、弟子たちとともにそこにすわられた」(6:3)とある場所は、現在のゴラン高原の一部です。
そしてこの時期が、「さて、ユダヤ人の祭りである過越が間近になっていた」(6:4)と記されながら、不思議にも、「イエスは目を上げて、大ぜいの人の群れがご自分のほうに来るのを見て」、この地方出身者のピリポに、「どこからパンを買って来て、この人々に食べさせようか」と言われたことが描かれています(6:5)。
ガリラヤ湖の東北部の辺鄙な所に、様々な病を抱えた、貧しいユダヤ人の大きな集団ができました。
マルコの並行記事では、「イエスは・・・多くの群衆・・・が羊飼いのいない羊のようであるのを深くあわれみ、いろいろ教え始められた。そのうち、もう時刻も遅くなったので、弟子たちはイエスのところに来て言った。『ここはへんぴな所で、もう時刻も遅くなりました。みんなを解散させてください。そして近くの部落や村に行って何か食べるものをめいめいで買うようにさせてください。』すると彼らに答えて言われた。『あなたがたで、あの人たちに何か食べる物をあげなさい』」と描写されています(6:34-37)。
つまり、イエスは、多くの群衆たちをあわれみ、夕暮れまで「長・・・い」お話をなさった上で、真の羊飼いとしての権威を持って群衆を養おうとしておられたのです。
そして、ここではその際のイエスの思いが、「もっとも、イエスは、ピリポをためしてこう言われたのであった。イエスは、ご自分では、しようとしていることを知っておられたからである」(6:6)と描かれています。それに対し、ピリポはイエスにすぐに必要なパンの量を計算して、「めいめいが少しずつ取るにしても、二百デナリのパンでは足りません」と言ったというのです(6:7)。ここに現実主義者としてのピリポの真骨頂が現されています。
なお「1デナリ」は当時の労働者の一日分の給与であったと言われます。つまり二百日分のお金が必要になるというのです。お金と同時に、それだけの大量のパンを提供できるお店も家もありはしなかったことでしょう。
そこに、「弟子のひとりシモン・ペテロの兄弟アンデレ」が登場し、イエスに向かって、「ここに少年が大麦のパンを五つと小さい魚を二匹持っています。しかし、こんなに大ぜいの人々では、それが何になりましょう」と言ったことが記されています(6:8、9)。無意味かもしれないと思いながらも、パンと魚を持っている少年をイエスのもとに連れて来ました。それこそ祈りの原点です。
また、ここにアンデレの特徴が現れています。彼は最初にペテロをイエスのもとに導いた人でした。ここでも少年を導いています。少年も今までイエスの説教を聞き、また、アンデレの優しい雰囲気に気持ちを和らげ、五つのパンと二匹の魚をイエスの前に差し出す気持ちになったのではないでしょうか。
とにかく、アンデレは、「これは僕のなけなしのお弁当だよ・・」と、警戒する少年をイエスのもとに引っ張ってきたわけではありません。少年がそれをイエスに差し出すということ自体が、何よりの不思議です。
2.「イエスはパンを取り、感謝をささげてから・・・彼らにほしいだけ分けられた」
その上で、イエスは「人々をすわらせなさい」と言われました(6:10)。そして、その場の状況が、「その場所には草が多かった。そこで男たちはすわった。その数はおよそ五千人であった」と描かれます。男だけで五千人というのは、婦人と子供を合わせると2万人にも及ぶ大集団かと思われます。パンがいくらあっても足りません。
ところが、そのような絶望的な状況の中で起きた不思議が、淡々と次のように描かれています。「そこで、イエスはパンを取り、感謝をささげてから、すわっている人々に分けてやられた。また、小さい魚も同じようにして、彼らにほしいだけ分けられた。そして、彼らが十分食べたとき、弟子たちに言われた。『余ったパン切れを、一つもむだに捨てないように集めなさい。』 彼らは集めてみた。すると、大麦のパン五つから出て来たパン切れを、人々が食べたうえ、なお余ったもので十二のかごがいっぱいになった」(6:11-13)
ここに記された奇跡は、まず、主がパンを取って「感謝をささげた」ところから始まります。これによって、ごく普通のパンが、「神からの恵みのパン」に変えられました。不思議なのは、パンを分けても分けても、そこに「神からの恵みのパン」が新たに生まれたということでしょう。
「ほしいだけ分けられた」という書き方に、分ける際に、手元にあるパンや魚の量を測る代わりに、「ただ目の前の人の必要に応える」という姿勢が明らかにされます。私たちはしばしば、他の人を助けようとするときに、その人の必要以前に、自分の手元にある資源ばかりが目に入ります。そのうちに、「これは、このことのために取って置く必要がある・・・」などと計算し出したら、「援助に回せる資産は残っていなかった」などということになります。
しかも、弟子たちはイエスから与えられたパンと魚を取り次ぐ働きをしただけです。しかし、十二人の弟子たちが自分たちのかごに残りを集めたところ、それぞれのかごがいっぱいになるという不思議を体験しました。恵みを取り次ぐ働きをした人自身が一番多く与えられました。
なお、五千人へのパンの給食の記事は、すべての福音書に登場しますが、ヨハネは、そのときの情景よりも、その意味を特に詳しく記しています。地元出身のピリポの計算も、アンデレが少年のお弁当のことを話したのも、何よりも、イエスが不可能を可能にされたことを際立たせる記述です。
五つのパンと二匹の魚が、何と男だけでも五千人にのぼる人を満腹させ、あまったパンを集めると十二のかごが一杯になったという不思議は、だれも合理的には説明できません。これはイエスが神であることを証明するしるしですから、もともと人間的な分析は不可能なのです。私たちは、これを事実として受けとめ、その意味を考えるように招かれています。
イスラエルの民は、長い間牧者のいない羊のように苦しんでいました。しかし、終わりの日には、神ご自身が、「わたしがわたしの羊を飼い、わたしが彼らをいこわせる」(エゼキエル34:15) と約束しておられました。つまり、五千人のパンの給食は、この旧約の預言が成就し、神が親しくイスラエルを訪れてくださったというしるしなのです。
しかも、ヨハネは、「ユダヤ人の祭りである過ぎ越しが間近になっていた」(4節)とわざわざ記し、イエスが「新しい過越」という奴隷状態からの解放をもたらす「救い主」であることを示唆しています。また、そればかりか、「その場所には草が多かった」(10節)と、羊が緑の牧場に伏せる様子を重ね合わせるように説明しています。
この記事の結論は、「人々は、イエスのなさったしるしを見て、『まことに、この方こそ、世に来られるはずの預言者だ』と言った」(6:14)と記されます。彼らが「預言者」と言った時、かつてモーセが、「あなたの神、主(ヤハウェ)は・・同胞の中から、私のようなひとりの預言者をあなたのために起こされる」(申命記18:15)と言ったことを思い越したことでしょう。民がモーセに、「飢え死にする」とつぶやくと、40年間天からマナが降ってきました。
また彼らはエリヤを思い起こしたことでしょう。彼がシドンのツァレファテでひとりのやもめのもとに身を寄せ、パンを求めたとき、彼女は「かめに残った一握りの粉」で自分と息子のために最後のパンを焼いて死のうとしていると答えました。エリヤは臆せずに、まず自分に食べさせるように願いましたが、その際、「主(ヤハウェ)が地の上に雨を降らせる日までは、そのかめの粉は尽きず、そのつぼの油はなくならない」と言いました。
そして、彼女はエリヤの神に信頼して、彼のためにパンを作ったことによって、自分の家族のパンの必要を満たすことができました(Ⅰ列王17:8-16)。主への従順を第一にするときに主が必要を満たしてくださるというしるしでした。
3.「イエスは、人々が自分を王とするために、むりやりに連れて行こうとしているのを知って」
ところが、「そこで、イエスは、人々が自分を王とするために、むりやりに連れて行こうとしているのを知って、ただひとり、また山に退かれた」(6:15)というのです。つい先ほどイエスを「預言者」と呼んだ群衆は、今度は彼を「王」にしようとしています。それは「油注がれた王」としてのメシヤ(ギリシャ語は「キリスト」)という意味です。
ただし、当時の人々は、私たちが今思うような「罪からの救い主」を求めていたわけではありません。人々はローマ帝国からの独立を導く力強い「王」を求めていました。当時のイメージは、紀元前168年から164年にかけてギリシャ人の王アンティオコス・エピファネスの横暴に対して独立運動を指導し、エルサレム神殿をきよめたユダ・マカベオスのような指導者でした。しかし、イエスはそのような期待には、決して同調せず、身を隠されました。
その後の不思議が次のように描かれます。「夕方になって、弟子たちは湖畔に降りて行った。そして、舟に乗り込み、カペナウムのほうへ湖を渡っていた。すでに暗くなっていたが、イエスはまだ彼らのところに来ておられなかった。湖は吹きまくる強風に荒れ始めた。こうして、四、五キロメートルほどこぎ出したころ、彼らは、イエスが湖の上を歩いて舟に近づいて来られるのを見て、恐れた。しかし、イエスは彼らに言われた。『わたしだ。恐れることはない。』それで彼らは、イエスを喜んで舟に迎えた。舟はほどなく目的の地に着いた」(6:16-21)
夕方になって弟子たちは舟で移動します。現在のガリラヤ湖は東西の幅が11.3㎞、南北の長さが21㎞程度で、このとき弟子たちはその東北岸の「ベツサイダ」(ルカ9:10)近辺から西の活動の中心地「カペナウム」(6:24)に向かっていました。それは直線距離にして8-10㎞程度だったでしょうが、ちょうど真ん中にきたときに、吹きまくる強風に悩まされます。この湖は山や丘に囲まれたすり鉢状になっていましたから、夜になると湖の真ん中で上昇気流が起こり陸から湖に向かって強い風が吹くことがありました。
ところが、そのような中で、「イエスが湖の上を歩いて舟に近づき」ます。弟子たちはそれを見てひどく恐れますが、イエスは「わたしだ。恐れることはない」(20節)と言われます。「わたしだ」とは原文で、エゴー・エイミーと記され、「わたしはある」(出エジ3:14)という神ご自身の名をイメージさせる表現です。イエスはご自分が父なる神と一体であることを意識しておられました。そして、父なる神はイエスが湖の上を歩くことができるように支えておられたのです。
そして、ここでは弟子たちが喜んでイエスを舟に迎えることで、舟がほどなく目的に着いたということが強調されます。イエスがともにおられることで、嵐は何の障害でもなくなったのです。当時の人々は自分たちを独立に導く「王」を求めていましたが、イエスはこのことを通して、ご自分が人間の王にはるかに勝る存在であることを示されたのです。
4.「なくなる食物のために働いてはなりません。永遠のいのちに至る食物・・は人の子が・・与えるもの」
その後の群衆の移動が、「その翌日、湖の向こう岸にいた群衆は、そこには小舟が一隻あっただけで、ほかにはなかったこと、また、その舟にイエスは弟子たちといっしょに乗られないで、弟子たちだけが行ったということに気づいた。しかし、主が感謝をささげられてから、人々がパンを食べた場所の近くに、テベリヤから数隻の小舟が来た。群衆は、イエスがそこにおられず、弟子たちもいないことを知ると、自分たちもその小舟に乗り込んで、イエスを捜してカペナウムに来た」(6:22-24)と描かれます。
興味深いのは、五千人のパンの給食の場が、「主が感謝をささげられ・・た場所」と11節と同じ表現が使われていることです。英語で聖餐式がeucharistと呼ばれるのはこのことばに由来します。しかも、ローマ皇帝に由来するテベリヤの町の名が登場します。
パンを食べて満腹した群衆は、イエスを王に立てようと必死でした。しかし、イエスは知らないうちに舟にも乗らないのに既に向こう岸に渡ったようであることが知れ渡ってきました。
そこに「テベリヤから数隻の小舟が来」ます。テベリヤはガリラヤ湖の西側、カペナウムより10㎞程度南に位置し、ローマによるガリラヤ支配の中心基地でした。皮肉なのは、そこから来た「小舟」に乗って、イエスの奇跡のパンを食べた群衆が、イエスを、ユダヤを独立に導く「王」に祭り上げたいと願いながら、パンの奇跡の場からカペナウムにまで舟で来たことです。
「そして湖の向こう側でイエスを見つけたとき、彼らはイエス」に、「先生。いつここにおいでになりましたか」と尋ねます(6:25)。それに対し主は露骨に、「まことに、まことに、あなたがたに告げます。あなたがたがわたしを捜しているのは、しるしを見たからではなく、パンを食べて満腹したからです」(6:26)と言われます。
「しるし」とは、イエスへの信仰を生み出す神のわざですが、彼らはイエスご自身を求めていたのではなく、イエスが与えるパンの方に興味がありました。
27節は、日本語訳では、「永遠のいのちを得るために働く」ことが勧められているかのようにも見えますが、厳密には、「なくなる食物のために働いてはなりません。そうではなく、永遠のいのちにまで続く食物のため、それは人の子があなたがたに与えるものです。この者を、父すなわち神が認証されたから」と記されています。
つまり、イエスはここで何よりも、なくなる食物に全人生をかけるような生き方をたしなめているのです。一方、永遠のいのちは、労して獲得するものではなく、与えられるものであるというのです。
それに対し、彼らは、「私たちは神のわざを行なう(働く)ために、何をなすべきでしょう」と、なおも、労し獲得する生き方を尋ねますが、イエスは、「神が遣わした者を信じること、それが神のわざです」(29節)と答えました。「神のわざ」とは、「神が喜ばれる働き」のことです。社会的に大きな貢献ができたとか、多くの人の役に立てることは、それぞれすばらしいことです。
しかし、神が最も喜ばれる働きは、それ以前に、神が世の救いのためにご自身の御子を遣わしてくださったことを感謝を持って受けとめ、イエスに信頼することなのです。
多くの人々は、なくなる食物を得るために必死に働き、預金残高を見て安心が得られると思っています。しかし、平安を体験する秘訣は、「永遠のいのちに至る(まで続く)食物」であるイエスご自身を、今ここで心に迎え入れることです。そして、神が遣わされたイエスへの信頼こそが、最高の良い働きです。つまり、平安のみなもとは、神のみわざに心を開くことなのです。
そして、信仰の確信は、与えられたしるしにとどまり、それを思い起こすことによって深められるのです。獲得を目指す生き方は、絶え間ない人との比較とさらなる渇きを生み出します。社会的な結果を出せたとしても、そこには平安がなく、当然、神の愛に満たされた交わりも生まれません。
今回の箇所には、不思議なキーワードが並んでいます。テベリヤということばが、ある意味で、不必要とも思われるのに二回も登場します(6:1,23)。当時の人々は二代目ローマ皇帝ティベリオス、ローマの支配の現実を連想しました。また、「ユダヤ人の祭りである過越」(6:4)、新しい過越としての聖餐式を連想させる「パンを取り、感謝をささげて」(6:11、23)という表現、また、「この方こそ・・預言者だ」「人々が自分を王とするため」(6:14,15)、「永遠のいのちに至る食物」(6:27)という表現も、他の福音書の並行記事には出て来ません。またそれらすべての表現に関係する、イエスがご自分の神性を証しした「エゴー・エイミー」は、このあと何度も繰り返されます。
これらはイスラエルの物語を思い起こさせるものです。過越の祭りは、イスラエルの民がエジプトでの奴隷状態から解放された記念です。そして、彼らは二つに分かれた海を渡って、その後、四十年間、天からのパン、マナで養われました。ここにも、外国の支配から解放され、奇跡のパンで養われ、海を渡るというイメージが登場します。
当時の人々は、ローマ帝国からの独立を自分たちにとっての新しい過越と考え、五千人のパンの給食をしてくれたイエスを自分たちの「王」に担ぎ上げようとしました。しかし、イエスがこれらの出来事の結論として明らかにされたことは、ご自分が彼らの期待をはるかに上回る方、湖の嵐をも支配する方であることを明らかにしながら、人の子が与える「永遠のいのちに至る食物」、神から遣わされた方を受け入れるようにと言われました。
アレキサンダー大王の後継者の国に打ち勝ったユダ・マカベオスの後継者たちは、その後内紛を起こし、ローマ帝国の支配に屈します。同じようにこの世の組織では、目標を達成した途端、次の問題や争いが生まれます。大切なのは、問題を解決すること以前に、問題を抱えながら生きる力、神との交わりが養われることです。
この世界での成功者は、しばしば、自分のこだわりややり方を押し通すことができる人です。しかし、そのような人は神の目にとても邪魔な存在になり得ます。神はひとりひとりの個性や感性を生かしたいと願っておられるのに、神のご意志よりも自分の意志を貫いてしまうからです。
ですから、この世の強い人と思える人こそ、魂の暗夜という神のお取り扱いを受ける必要があります。イエスの不思議、それは徹底的にご自分を父なる神に明け渡すことができたことです。イエスがエゴー・エイミー(わたしはある)と言われた時、「わたしは全能だ」と宣言されたのではなく、ご自分が父なる神と一体で、ご自分を通して父なる神がご自分の栄光を現わすという意味でした。
パンの奇跡が繰り返し起こるならこの世の経済システムは壊れます。このしるしは、何よりも、神ご自身が私たちのパンの必要を満たしてくださる方であることを示すためです。
人生を振り返ると、その時々に、必要な助けの手が与えらました。それらひとつひとつの出来事が、ユニークな神のみわざなのです。だれの人生にも、「これからどうなるのだろう。お先真っ暗だ!」と思った時期があります。しかし、今の生活があるのは、その不安に脱出の道があったからです。多くの人々はそれらの体験を忘れます。
そこで神は、「わたしがわたしの羊を飼い、わたしが彼らをいこわせる」とか、「わたしだ。恐れることはない」と語りかけておられたのですが、ほとんどの人はそれを聞くことができていませんでした。神はひとりひとりの生活の中で語りかけ、道を開いて下さっていたのです。
世界は、神の不思議なみわざで満ちています。それが分かるなら、私たちはずっと平安でいられます。