創世記22章20節〜27章10節「祝福の継承―イサクとリベカ」

2014年9月28日

「機能不全家族」ということばがありますが、本来、最初の神の家族として模範となるべきアブラハムからヤコブに至る家庭こそ、機能不全家族のようにも思えます。

それは、家族関係で深い傷を負って成長している多くの人にとっての慰めとなります。なぜなら、神の恵みはそのような問題を抱えた家庭に豊かに現されているからです。

それにしても、主がアブラハムに既に与え、また将来的な成就を約束した子孫の繁栄と土地の所有という主の祝福の継承は、アブラハムやその子イサク、彼の妻のリベカによる信仰の応答がなければ実現して行かなかったことも確かです。祝福の継承のためには、私たちの応答が不可欠とも言えましょう。

アブラハムとサラ、イサクとリベカの家庭に起きたことは私たちの家庭にも起きることです。それは時空を超えた模範であるとともに私たちへの慰めと励ましにもなっています。私たちは主との交わりから何を受け、何を継承して行くのでしょうか。

1.アブラハムの神、主 (ヤハウェ) を礼拝し、主に従う

アブラハムがイサクを神にささげることができた後、「ハラン」(ユーフラテス川上流)に残っている兄弟ナホル (11:29-32) に多くの子が与えられていることが伝えられます (22:20-24)。これは、イサクのための妻を迎える上で大切な前提の話しとなります。

サラがイサクを生んだのは90歳でしたが、それから37年後にサラは死にます (23:1)。サラがイサクを溺愛していたことは想像に難くありません。何しろイシュマエルがイサクをからかっているのを見て、すぐに母子を追い出すことを主張したほどですから (21:9、10)。そして、母の死はイサクにとっても一大事でした。

アブラハムは、サラを葬るために、ヘテ人エフロンからマクペラの洞穴ばかりかそれを含む畑地を銀四百シェケルで購入します。

後にエレミヤが主の御告げによってエルサレム陥落の直前にアナトテの畑地を購入した時の値段はたったの銀17シェケルでした (エレミヤ32:9)。またダビデが神罰を避けるために祭壇を築いて全焼のいけにえをささげるための土地と牛の合計の値段が銀50シェケルでした。これは後のエルサレム神殿となる土地でした。

それからするとエフロンは口先では無料で提供すると言い出しながら、アブラハムの足元を見るように法外な値段を提示したとも言えます。とにかく、アブラハムは愛妻サラを葬るための土地を、相手の言うままの高い値で買い取ったのです。

そして、彼はこのほかには、地上ではどんな土地をも所有することがありませんでした。その意味は、後に、「信仰によって、アブラハムは……約束された地に他国人として住み、同じ約束をともに相続するイサクやヤコブと共に天幕生活をしました……約束のものを手に入れることはありませんでしたが、はるかにそれを見て喜び迎え、地上では旅人であり寄留者であることを告白していたのです」(ヘブル11:9、13) と表現されます。

それにしても、サラを葬るために買った土地が、アブラハムの子孫にとっては途方もなく大きな意味を持ちます。アブラハムの孫のヤコブは、寄留の地のエジプトで息を引き取るとき、息子のヨセフに自分の遺体をわざわざ運ばせてこの洞穴に葬るよう命じ (49:29)、ヨセフは戦車や騎兵を伴ってそれを大々的に実行することによって、約束の地への希望を告白しました。

私たちは葬儀において、自分の人生のゴールがどこにあるかを最も力強く証しできるのです。

しかし、同時に、「アブラハムが老人になり、年を重ねるにつれて、主 (ヤハウェ) はあらゆる面でアブラハムを祝福しておられた」(24:1) と記されます。それは多くの家畜や金銀、奴隷などを所有していたからです。それによって彼は息子イサクのために安心して嫁を迎えることが可能でした。

そして、神のご計画は、「契約の民」を創造することですから、イサクの嫁は「信仰を共有できる者」でなくてはなりませんし、また、イサクが約束の地を離れることは許されないことでした。それで、「アブラハムは、自分の全財産を管理している家の最年長のしもべに」向かって、「あなたの手を私のももの下に入れてくれ」と、最も厳かな誓約をさせた上で、ハランに住む兄弟ナホルの家に遣わします(約600㎞)。

なお後にヤコブはヨセフに葬りのことを頼んだときにも同じ方法で誓いを立てさせます (47:29)。

このしもべは、目的地に着くと、町の外の井戸のところで、「私の主人アブラハムの神、主 (ヤハウェ) よ……私のためにどうか取り計らって下さい」と祈ります (24:12)。

当時の女性の働く姿は水汲みでしか見られませんでした。彼が判断基準として訴えたことの特徴は、水を求めた際、「お飲みください。私はあなたのらくだにも水を飲ませましょう」と答える娘でした (24:14)。彼は、らくだ十頭とともに来ていましたから、それができる女性は、働き者で、気が効くばかりか、力持ちだということになります。

驚くことに、神は、このしもべの具体的な訴えを即座に聞き届けて、アブラハムの兄弟ナホルの孫娘、リベカを遣わしてくださいました。神は彼の願いを即座に、期待以上にかなえてくださったのでした。

彼は、それがわかるとすぐに、その場で、「ひざまずき、主 (ヤハウェ) を礼拝」し、主 (ヤハウェ) を再び「アブラハムの神」と呼びつつ、主の「めぐみ (ヘセド) とまこと (エメト)」をほめたたえます (24:26)。これこそ、彼がアブラハムから習い、習得していた最も大切な習慣でした。彼の旅を成功させる鍵はここにあります。

そして、しもべは、リベカの父ベトエルと兄ラバンに迎えられますが、「私の用向きを話すまでは食事をいただきません」(24:33) と言いつつ、単刀直入に本題に入ります。その際、しもべは主の祝福と導きを丁寧に説明します。しかも聖書は敢えて、この経緯を、しもべのことばとして冗長とも思えるほどに繰り返しています (24:34-48)。それは、主ご自身がこれらすべてのプロセスを導いておられるということを証しするためです。

ですから、この記事は、嫁探しの方法などというよりは、私たちの人生のすべての局面に適用できる神のみわざの物語です。私たちも主を礼拝しながら、何が起こるか分からない明日に向かって踏み出す時、結果的に、「主は……私を正しい道に導いてくださった」(24:48) と感謝できるようになります。

パウロは後にこれをもとに、「神は、みこころのままに、あなたがたのうちに働いて志を立てさせ、事を行なわせてくださるのです」と告白したのかもしれません (ピリピ2:13)。

なお、しもべは、リベカの父ベトエルと兄ラバンに向かって、「あなたがたが私の主人に恵み (ヘセド) とまこと (エメト) を施してくださるなら」(24:49) と遜って願いますが、そこには暗に、主の「恵み」(ヘセド) と「まこと」(エメト) に応答するようにという迫力が込められているように思われます。

ですから、リベカの父と兄は即座に、「このことは主 (ヤハウェ) から出たことですから、私たちはあなたによしあしを言うことはできません……リベカを……連れていってください」(24:50、51) と応答しました。

このときも、「アブラハムのしもべは……聞くやいなや、地にひれ伏して主 (ヤハウェ) を礼拝」(24:52) しました。この三度目の「礼拝」の後、彼は贈り物を渡し、従者たちと共に飲み食いしてそこに泊ります。

ところが彼は、翌朝すぐにリベカを伴って帰ることを願います。これはあまりに乱暴なのでリベカの母と兄は十日間ほど待って行かせたいと言いますが、しもべは、「私が遅れないようにしてください。主 (ヤハウエ) が私の旅を成功させてくださったのですから……」(24:56) と断固として願います。

困惑した彼らはリベカの意向を確かめますが、彼女は、「はい。まいります」と即座に答えます (24:58)。この姿勢は、行き先のことを知らずに主の招きに従ったアブラハムの信仰の姿勢と同じです。彼女こそ、ヤコブから始まるイスラエルの民にとっての信仰の母になるにふさわしい器でした。

そして、結婚するイサクも、父に縛られ、祭壇の上のたきぎの上に置かれるのに身をまかせた従順の模範のような人です。

神はアブラハムから信仰の家族を創造しようとされました。その際、信仰の継承は何よりも大切な課題でした。それは、私たちの結婚にとっても同じことです。そこには神から与えられた使命があります。

2.イサクはエサウを愛していた……リベカはヤコブを愛していた

イサクがリベカをめとったのは40歳の時でしたから (25:20)、それは母のサラが死んだ三年後のことでしょう。それを背景に、「イサクは、その母サラの天幕にリベカを連れて行き、リベカをめとり、彼女は彼の妻となった。彼は彼女を愛した。イサクは、母のなきあと、慰めを得た」(24:67) という記事を読む時、イサクが母に心理的に依存し、リベカを母の代わりのように求める気持ちが伝わって来ます。

なお、この後、25章で突然、「アブラハムは、もうひとりの妻をめとった。その名はケトラといった」(25:1) ということばとともに、六人もの息子の誕生の事が記されます。これがいつの時なのかは分かりませんが、24章1節の記事から見ても、これはサラの死後ではなく存命中のことで、イサクの誕生の後の事かと思われます。

とにかくアブラハムはサラとの関係から生まれる子を自分の跡継ぎにしたいと願っていたからこそ、ケトラという別の女性を通して子を儲けることは遅らせていたのでしょう。この中の一人が後で話題になるミデアン人の先祖です。アブラハムはこの六人の息子たちを東方に送り出して「イサクから遠ざけ」ます (25:6)。

その後、アブラハムが175歳で亡くなった様子が、「平安な老年を迎え、長寿を全うして」(25:8) と描かれます。

そして25章12節から18節までは肉の上でのアブラハムの長男イシュマエルの12人の息子の誕生の事が記されます。

後にパウロは、「アブラハムから出たからといって、すべてが子どもなのではなく……約束の子どもが子孫と見なされる」(ローマ9:7、8) と記しています。

つまり、アブラハムの子孫とされるというのは、血筋ではなく信仰によるという原則が最初の段階から明記されているのです。とにかく、彼にとっての最大の課題は、肉の上での子孫を増やすことではなく、主への信仰を自分の子孫に確実に受け継がせることであったということが分かります。

そして、彼はたった一人の信仰の子孫しか残すことはできませんでした。しかし、たった一人でも信仰が受け継がれるなら、世界の歴史は変わるとも言えます。

25章19節からは、「これはアブラハムの子、イサクの歴史(経緯)である」(25:19) という定型句が記されますが、ここからイサクの子ヤコブの物語りが始まるという意味と解釈することができます。

ヤコブの誕生もイサクの場合と同じように神の一方的な恵みでした。リベカも不妊の女でした。それで、「イサクは自分の妻のために主 (ヤハウェ) に祈願した」(25:21) のでした。イサクはアブラハムの痛みと同時に、それに対する対処も受け継いでいるのです。

その結果、リベカは双子をみごもりますが、胎の中にいる時からふたりは争っているので、リベカは「主 (ヤハウェ) のみこころ」を求めます。

すると主は「ふたつの国があなたの胎内にあり……兄が弟に仕える」と答えられます (25:22、23)。

後にパウロは、この箇所を引用して、「その子どもたちは、まだ生まれてもおらず、善も悪も行なわないうちに、神の選びの計画の確かさが、行いにはよらず、召してくださる方によるようにと『兄は弟に仕える』と彼女に告げられたのです……したがって、事は人間の願いや努力によるのではなく、あわれんでくださる神によるのです」(ローマ9:11、12、16) と語っています。

私たちの心の平安は、何よりも神の一方的なあわれみと選びを受け止めることから生まれます。私たちは、自分の信仰の不足を測ったり卑下する代わりに、神の選びを感謝すべきです。

それにしても、リベカはこのお告げをどれだけ真剣に受け止め、それをどのように夫のイサクに分かち合ったかは不明です。それがきちんとなされていたなら、後の悲劇は避けられたはずではないでしょうか。

とにかく、ヤコブは兄エサウのかかとをつかんで生まれます (25:26)。そこにヤコブが長子でありたかったという願いが込められていたと思われます。なお、「かかと」のヘブル語はアケブで、ヤコブという名には、「かかとをつかむ」という意味が明らかにあります。

またそこには27章36節エサウが解釈しているように「押しのける、騙す」という意味があったとも考えられますが、両親がそのような意味で名をつけるとも思われませんから、ヤコブ・エルの短縮形としての「神が守ってくださいますように」という意味が込められていたという解釈がユダヤ人の学者の中にあります。

なお、この双子の誕生は結婚二十年後でした (25:20、26)。本来ならば、彼らは子育ての前提となる夫婦のコミュニケーションを築き上げているはずでしたが、実際はそうはなりませんでした。

双子の性格は、「エサウは巧みな漁師、野の人となり、ヤコブは穏やかな人となり、天幕に住んでいた」(25:27) と対照的でしたが、その関係に、何と、「イサクはエサウを愛していた。それは彼が猟の獲物を好んでいたからである。リベカはヤコブを愛していた」(25:28) という記述が加わっています。これこそ子育ての失敗の原型とはいえないでしょうか。

このような双子の間に、健全なコミュニケーションが成立するはずはありません。エサウが飢え疲れて野から帰って来て、「どうか、その赤いのを、そこの赤い物を私に食べさせてくれ」(25:30) と、ヤコブが煮ている「レンズ豆の煮物」を懇願しました。

「赤い」のヘブル語は「アドム」で、そこからエサウの子孫が「エドム」と呼ばれるようになったと記されます。それに対し、ヤコブは、「長子の権利を私に売りなさい」と言って、誓約まで求めます (25:31-33)。

エサウはそれに応じ、その結論が、「こうしてエサウは長子の権利を軽蔑したのである」(25:34) と記されます。ヘブル書の著者は彼を、「一杯の食物と引き替えに……長子の権利を売ったエサウのような俗悪な者」と描きます (12:16)。

ただ、ここには同時に、エサウの弱みにつけこんで長子の権利を騙し取ろうというヤコブの狡猾さが見られます。

そしてこの物語には、アダムとエバが自分を神として、互いの裸を恥じるようになった結果として、カインがアベルを殺すという子供の争いが生まれたという原初のパターンの繰り返しを見ることができます。

父と母が互いのありのままの姿を喜ぶことができなくなった結果は、子供の間にはさらに増幅された憎しみとして現れるというのです。

3.エサウはヘテ人の妻ふたりをめとり、リベカはヤコブと共謀しイサクをだます

26章はイサク独自の物語が唯一記されている箇所ですが、これは25章と27章に描かれたヤコブとエサウの長子の権利を巡る争いの物語に挟まれています。そこにイサクの人柄の長所と欠点が浮かび上がります。

まず、イサクも、アブラハムのような飢饉に会いますが、ここで主 (ヤハウエ) はアブラハムが飢饉を避けてエジプトに下った例に習うことがないようにとイサクに現われ、「エジプトには下るな……この地に滞在しなさい……わたしは、あなたの父アブラハムに誓った誓いを果たす」と約束されます (2、3節)。

ところがイサクは、ペリシテ人の地に行くにあたり、アブラハムとまったく同じ間違いを犯し、美しい妻のリベカを「私の妹です」と紹介します。

アビメレクは、アブラハムとのことで、全能の神がイサクの側におられることを学習していましたので、リベカがイサクの妻であることが分かったとき、「この人と、この人の妻に触れる者は、必ず殺される」という命令を下し、彼らを保護します (26:6-11)。

その上で、イサクが「その地に種を蒔き、その年に百倍の収穫を見た。主 (ヤハウェ) が彼を祝福して下さったのである」(26:12) という、祝福の継承の現実を見ることができます。

ところがペリシテ人はその繁栄をねたんで、アブラハムの時代に掘られ、イサクに受け継がれていた井戸をふさぎ、その地から追い出そうとします。しかし、「イサクはそこを去ってゲラルの谷間に住んだ」(26:17)とあるように争いを避けます。

その後二度にわたって井戸の権利を侵害されても、争いを避けて移動を続け、三度目に掘った井戸でようやく平安を得ます。その際、イサクは、「今や、主 (ヤハウェ) は私たちに広い所を与えくださった……」(26:22) と感謝の祈りをささげます。

そして主は、このような姿勢を喜ばれ、「わたしはあなたの父アブラハムの神である。恐れてはならない。わたしはあなたとともにいる……」と言われ、アブラハムへの契約を更新してくださいました。

その時、イサクも父の信仰に習い、「そこに祭壇を築き、主 (ヤハウェ) の御名によって祈った」と描かれます (26:24、25)。その後、アブラハムの時と同じようにペリシテの王の側から、「私たちは、主 (ヤハウェ) があなたとともにおられることを、はっきり見たのです」(26:28) と言いつつ、平和条約を結ぶことを願います。

そして、イサクはアブラハムと同様にベエル・シェバで平安を得ます。

ところが、イサクが愛したエサウは、彼と同じ四十歳になって、偶像礼拝に満ちたヘテ人の妻を二人もめとります。これは、アブラハムがイサクのために、同じ信仰に立つ者を妻と選ぶことを最大の課題としたのと対照的です。そして、彼女たちはイサクとリベカにとって悩みの種となります (26:34、35)。

しかも、イサクは年を取ったとき、エサウに長子の祝福を受け継がせる前提として、ご馳走を食べさせて欲しいと願い、野に猟に行かせます。

それを聞いていたリベカは、次男ヤコブに計略を授け、長子の祝福を横取りさせます。何と、母と次男が共謀して、神によって立てられた父を騙し、長男を出し抜くのです。このようになったのは、イサクとリベカに親密な対話が欠けていたからでしょう。

リベカは、神がヤコブを選んでいることを聞いたのですが、イサクはそれを真剣に受けとめませんでした。何とエサウの猟の獲物を好んだからというのです。

リベカも自分の好みで、穏やかなヤコブを愛したのかも知れません。

イサクは、従順で平和を愛していた一方、対決を避けて「自分の平安」を守ろうとしたのではないでしょうか。環境に適応するのはうまくても、道を開く決断力が乏しいのかも知れません。

しばしば、平和を愛するという名のもとに、必要な対決を避け、争いを激化させるという人がいますが、その見本と言えましょう。

リベカは極めて自立した女性で、献身の思いが明確でしたが、夫を尊敬していたとは言えません。リベカはイサクにとって、母亡き後の慰めにはなっても、真の意味で、一体の者とはなることはできませんでした。そこからエサウとヤコブの争いが始まります。

イサクもリベカも、神を信頼していたはずなのに、「父母を離れて……ふたりは一体となる」(創世記2:24) ということにおいては失敗しました。これは立派なふたりが結婚したら立派な家庭ができるはずという誤解を正す最高の事例とも言えます。

夫婦がうまく行かないとき、その責任をどちらかに求めがちですが、アダムとエバ以来、何よりも病んでいるのは「関係」なのです。彼らの罪の結果は、何よりも夫婦関係に表わされました。私たちも、その原点に立ち返る必要があります。

しかし、神のご計画は人間の罪によって無に帰することはありませんでした。神のご計画は、人の罪のただなかでも進められて行くのです。神は機能不全家族を用いて、神の民を創造してくださったということを何よりも覚えたいと思います。

ですから、どんな家族関係にも希望を見出すことができると同時に、理屈どおりには行かないので、だれも自分の正しさや信仰を誇ることはできないという現実を覚えることができます。

それにしても、極めて不本意な形とはいえ、アブラハムの祝福は、イサクからヤコブへと継承されて行きました。それは、何よりも主の一方的なあわれみと選びの計画によるものでした。ただ、主の選びによる祝福が彼らの人生に現れるためには、信仰による応答が必要でした。

アブラハムはその妻サラを葬ることによって、約束の地への信仰を子孫に受け継がせました。またイサクの嫁さがしを、信頼するしもべに委ねながら、信仰の継承への道を開きました。

そして、イサクにおいてもリベカにおいても、主のみこころへの従順と祈りの生活が受け継がれて行きました。すべては主の一方的な恵みではあっても、それを受け継ぐには私たちの信仰の応答が必要です。

イサクとリベカのようなコミュニケーションの問題があったとしても、信仰が受け継がれるなら、主ご自身による修正が可能になります。

しかし、主に従い、祈るという習慣がなければ、主のみこころが私たちに現れる道が閉ざされるのです。