2014年3月2日
私たちの人生では、すばらしい喜びの後に、倦怠感に襲われることがあります。イスラエルの民は紀元前538年にバビロン捕囚の地からエルサレムに戻ってくることができました。
詩篇126篇はその時の喜びを描いたものかもしれません。そこでは、「主 (ヤハウェ) がシオンの繁栄を元どおりにされたとき、私たちは夢を見ている者のようであった。そのとき、私たちの口は笑いで満たされ、私たちの舌は喜びの叫びで満たされた」と描かれています。
そのとき私たちは「主は私たちのために大いなることをなされ、私たちは喜んだ」と告白できます。しかし、そこでもその後の涙と嘆きが描かれます。それこそ人生の常です。
そんなときこそ、繰り返し、私たちは主の恵みを思い起こすことに立ち返る必要があります。主を第一とすることこそ、主の恵みの世界への入り口です。
1.「この宮が廃墟となっているのに、あなたがただけが板張りの家に住むべき時であろうか」
ハガイ書の書き出しは具体的な預言が示された日時から始まります。これは極めて珍しいことで、エゼキエルの書き出しに似ています。
それは目の前が絶望的な状況の中で、神からの新たな視点が与えられるという変化が強調されるからです。私たちの人生にも、「このときから私は変えられた」と思えることがあるかもしれません。
皮肉なのは、原文では「第二年」に続きすぐに異教徒の王「ダリヨス王の」ということばが続くことです。日本でいえば、西暦ではなく天皇の元号で語るようなものです。ただ、当時の世界ではペルシャ帝国の支配下ですからその三代目の王の名で時を数えるのは極めて分かりやすい事でした。
また続けて「第六の月の一日に」とありますが、これは過越しの祭りを起点にして(私たちにとっては復活祭の三日前)、第六の月の新月(満月の反対)の日です。聖書では、安息日とは別に「新月」のたびに礼拝がささげられるように命じられていました (民数記10:10、28:11)。
それは大贖罪の日の40日前、太陽暦に直すと紀元前520年8月29日という日付が特定できます。
ペルシャ帝国の初代の王クロスはバビロン帝国を滅ぼした翌年の紀元前538年にユダヤ人のエルサレム帰還を許します。それはエズラ記の冒頭に記されているようにイスラエルの神ヤハウェご自身がクロスの心を動かしたからでした。しかし、工事着工から二年ぐらいで激しい妨害が起こり工事は中止に至ります (エズラ4:5、4:24、ただし4:23は時系列的にはずっと後の時代の事)。
しかし、そこには敵の妨害以前に、帰還したユダヤ人が、目の前の生活を優先せざるを得なかったという事情もありました。なにしろ、五十年間放置されていた廃墟に戻って生活を建て直すのですから、神殿よりも目の前の自分の衣食住が優先されるのも無理がないと言えましょう。
そのような中で、主は、「預言者ハガイを通して、シェアルティエルの子、ユダの総督ゼルバベルと、エホツァダクの子、大祭司ヨシュア」に向けてお語りになります。
興味深いのは、ゼルバベルもヨシュアもこの15年余り前にユダヤ人のエルサレム帰還を導き、神殿の礎を建てた、信仰的な英雄です。主はしかし、彼らに直接語る代わりに、当時無名の預言者ハガイを通してお語りになりました。
しばしば、目に見える指導者は民の気持ちに寄り添うことを優先するあまり、主のみことばよりも目の前の現実に心が動かされがちだからかもしれません。
第一のことばは、「万軍の主 (ヤハウェ) はこう仰せられる。この民は、主 (ヤハウェ) の宮を建てる時はまだ来ない、と言っている」というものでした。エゼキエル40章以降には、捕囚となったばかりの民に示された壮大な神殿の設計図のようなものが示されていました。それを見る時に、「こんな中途半端な神殿を建てて何になるのだ……」と言う声が上がっても無理はありません。
続けて主は極めて皮肉に満ちた厳しい調子で、「この宮が廃墟となっているのに、あなたがただけが板張りの家に住むべき時であろうか」(4節) と言われます。原文では最初に、「これは時であろうか……あなたがただけが」と、神殿の状態との対比が強調されています。彼らは最低限の家を建て始めたつもりが、豪華な「板張りの家」にまでなってしまったというのです。
それにしても、一般民衆は「板張りの家」などを建てる余裕はないとも思われますから、これは総督ゼルバベルを初めとする民に指導者に対する叱責を込めたことばかとも思われます。そのように考えるとこの書の最初にゼルバベルの名が記される意味が良くわかります。
その上で主は、「あなたがたの現状をよく考えよ」と前置きしつつ、「あなたがたは、多くの種を蒔いたが少ししか取り入れず、食べたが飽き足らず、飲んだが酔えず、着物を着たが暖まらない」(6節) と彼らの問題を分析しました。それは、一生懸命働いても収穫が少ないばかりか、せっかくの食べ物も飲み物も着物も、「もっともっと」という渇きを刺激するばかりだというのです。
そればかりか、「かせぐ者がかせいでも、穴のあいた袋に入れるだけだ」とあるように、せっかくの勤労の実の蓄えを増やすこともできないというのです。つまり、自分の生活を建て直してから主の宮に取りかかろうと思うと永遠に建設はできないということなのです。
それに対し、主は再び「あなたがたの現状をよく考えよ」と言いつつ、具体的な行動を促すように、「山に登り、木を運んで来て、宮を建てよ」(8節) と命じ、それと同時に、「そうすれば、わたしはそれを喜び、わたしの栄光を現そう」という力強い約束を与えてくださいました。
かつてのソロモンの神殿が廃墟となったのは、主の栄光がそこから立ち去ったからでした。しかし、主は再び建てられた神殿の中にご自身の栄光を現してくださるというのです。
そして主は、「あなたがたは多くを期待したが、見よ、わずかであった。あなたがたが家に持ち帰ったとき、わたしはそれを吹き飛ばした。それはなぜか……それは、廃墟となったわたしの宮のためだ。あなたがたがみな、自分の家のために走り回っていたからだ」(9節) と言われました。
つまり、彼らの生活が期待したように豊かにならないのは、主の宮を建設することを後回しにして自分の生活のために走り回っていたからだというのです。
それに対し主は、「それゆえ、天はあなたがたのために露を降らすことをやめ、地は産物を差し止めた。わたしはまた、地にも、山々にも、穀物にも、新しいぶどう酒にも、油にも、地が生やす物にも、人にも、家畜にも、手によるすべての勤労の実にも、ひでりを呼び寄せた」(10、11節) というさばきを下されたというのです。
イスラエルの地は気候が温暖で豊かな日に光に満ちていますから、適度な水があると驚くほどの豊かな収穫が期待できます。特に8月、9月には「露」が穀物を実らせるために必須のものでした。しかし、主は水を不足させたというのです。
11節は、「わたしはまた、ひでりを呼び寄せた」という恐ろしい表現から始まり、「手」ということばで終わります。どんなに一所懸命に手を動かして働いても、それが主のみこころに反していたなら、すべての労苦は無駄になってしまうのです。
私たちはしゃにむに動き回る前に、主との交わりを第一とするということを覚えなければなりません。
2.「わたしは、あなたがたとともにいる…… ─ 万軍の主 (ヤハウェ) の御告げ」
12節ではそれに対する人々の反応が、「そこで、シェアルティエルの子ゼルバベルと、エホツァダクの子、大祭司ヨシュアと、民のすべての残りの者とは、彼らの神、主 (ヤハウェ) の御声と、また、彼らの神、主 (ヤハウェ) が遣わされた預言者ハガイのことばとに聞き従った」と描かれます。彼らは「あなたがたの現状を考えよ」という主からのことばが、まさにその通りでであったことを素直に認めました。
なお、イザヤ10章22節には「残りの者」という表現に関し、「たとい、あなたの民イスラエルが海辺の砂のようであっても、その中の残りの者だけが立ち返る」と、主の民として立ち返って来るのは一部に過ぎないと預言されていました (ローマ9:27参照)。
そしてここでは、「民は主 (ヤハウェ) の前で恐れた」と描かれていますが、それこそ「残りの民」がイザヤの預言を思い起こしたときかと思われます。
13節ではハガイが改めて「主 (ヤハウェ) の使い」と呼ばれ、また、「主 (ヤハウェ) から使命を受けて」、民を励まします。それは極めて簡潔なことばで、「わたしは、あなたがたとともにいる」というもので、「主 (ヤハウェ) の御告げ」という保証も加わります。
マタイによる福音書では、マリヤから生まれた救い主は、イザヤが「見よ。処女がみごもっている。そして男の子を産む。その名はインマヌエル(神は私たちとともにおられる)と呼ばれる」と預言したことの成就であると記されていました。
「神が私たちとともにおられる(インマヌエル)」という恵みは、いつでもどこでも起こる当たり前の事では決してありません。それは、神がご自分の民の罪を赦してくださったとうことの何よりの現れなのです。
その上で主ご自身が彼らの心を動かしてくださり、工事が再開されたことが、「主 (ヤハウェ) は、シェアルティエルの子、ユダの総督ゼルバベルの心と、エホツァダクの子、大祭司ヨシュアの心と、民のすべての残りの者の心とを奮い立たせたので、彼らは彼らの神、万軍の主 (ヤハウェ) の宮に行って、仕事に取りかかった」(14、15節) と記されます。
そして最後に、「それは第六の月の二十四日のことであった」と改めて具体的な日付が記されます。それは、大贖罪の日の16日前、太陽暦では紀元前520年9月21日の事でした。
この月は、彼らにとっての最も大切な収穫作業のときです。彼らは急いで収穫を終わらせ、休む間もなく、神殿再建工事に執りかかったのです。
2章初めでは、「ダリヨス王の第二年の第七の月の二十一日に」とありますが、これは大贖罪の日の11日後、仮庵の祭りの終わる前日で、太陽暦では紀元前520年10月17日のことです。
第七の月は、このような大切な礼拝と祭りの日々が続き、働いてはならない日が続くので、その祭りの八日目の「全き休みの日」(レビ23:39) の前日に、再び、民を励ますために主が語ってくださいました。それは休みの後にすぐに働きを再開させるためでした。
主は民の指導者に向けて、「あなたがたのうち、以前の栄光に輝くこの宮を見たことのある、生き残った者はだれか。あなたがたは、今、これをどう見ているのか。あなたがたの目には、まるで無いに等しいのではないか」(2:3) と彼らの落胆の気持ちに寄り添うようなことを言われます。ソロモンの神殿に比べるとあまりに惨めなものにしか見えなかったからです。
そしてこの落胆の気持ちも、神殿工事が中断した一つの理由だったと思われます。
それで、主はここで引き続き、具体的に総督と大祭司の名を呼びながら、「しかし、ゼルバベルよ、今、強くあれ。─ 主 (ヤハウェ) の御告げ ─ エホツァダクの子、大祭司ヨシュアよ。強くあれ。この国のすべての民よ。強くあれ。─ 主 (ヤハウェ) の御告げ ─ 仕事に取りかかれ」と命じます。
「強くあれ」ということばが三回も繰り返されます。これはヨルダン川を渡って約束の地に民を導き入れようとするヨシュアに向かって、主が、「わたしは、モーセとともにいたように、あなたとともにいよう……強くあれ、雄々しくあれ」(ヨシュア1:5、6) と命じたことを思い起こさせることばです。
そして、彼らが「強くある」ことができる理由として再び、「わたしがあなたがたとともにいるからだ。─万軍の主 (ヤハウェ) の御告げ」と言われます。万軍の主がともにいてくださるなら、何も恐れるべきものはありません。
その上で、主はイスラエルの民との契約を思い起こさせながら、「あなたがたがエジプトから出て来たとき、わたしがあなたがたと結んだ約束により、わたしの霊があなたがたの間で働いている。恐れるな」(2:5) と言われます。
かつて、イスラエルの民は金の小牛を作って拝み、神から捨てられそうになりますが、モーセの必死の取り成しによって、その罪が赦され、主は再び民を励まして幕屋を建てさせました。
そのときのことが、「モーセは、ベツァルエルとオホリアブ、および、主 (ヤハウェ) が知恵を授けられた、心に知恵のある者すべて、すなわち感動して、進み出てその仕事をしたいと思う者すべてを、呼び寄せた」(出エシ36:2) と記され、特にベツァルエルに関しては、主は「名ざして召しだし、彼に、知恵と英知と知識とあらゆる仕事において、神の霊を満たされた」(35:30、31) と描かれています。
つまり、主は、ひとりひとりを名ざして召しだし、ご自身の霊を授け、ご自身の幕屋を建てられたのです。今、そして、同じように主ご自身がひとりひとりの心を動かし、ご自身の神殿の建てようとしておられるのです。
ですから、ここでもゼルバベルとヨシュアの名が特別に呼ばれています。私たち日本人は、集団の中に個人を埋没させがちですが、聖書の神は、ひとりひとりを特別に扱われ、用いてくださいます。
そして、主は後の時代に成就する約束として、「しばらくして、もう一度、わたしは天と地と、海と陸とを揺り動かす。わたしは、すべての国々を揺り動かす。すべての国々の宝物がもたらされ、わたしはこの宮を栄光で満たす」(2:7) と言われます。
そしてこの約束を保証するように、前後に「万軍の主 (ヤハウェ) は仰せられる」と記され、またそれに畳み掛けるように「銀はわたしのもの。金もわたしのもの。─万軍の主(ヤハウェ)の御告げ」(2:8) と言われます。
エズラ記5、6章には神殿工事再開後まもなく、工事に対する疑問がペルシャの王に訴えられましたが、ダリヨス王はクロス王の文書を発見して、カナンの地を治めるペルシャ総督に、その地の税金を神殿工事に回させ、工事への協力を惜しむことのないようにという命令が下されました。それはこの預言が成就し始めたことを意味します。
9節はこの書の中心聖句で、「この宮のこれから後の栄光は、先のものよりまさろう。万軍の主 (ヤハウェ) は仰せられる。わたしはまた、この所に平和を与える。─万軍の主 (ヤハウェ) の御告げ」と記されます。
先の栄光とは、ソロモンが建てた絢爛豪華な神殿です。それに比べると、今建てられようとしている神殿は、「まるで無いに等しく」(2:3) しか見えませんでした。
しかし、この惨めな神殿にやがて実現する栄光は、ソロモンの神殿にまさるというのです。しかも、主は神の平和を意味するエルサレムに真の平和(シャローム)を与えてくださるというのです。
実は、イエスがお生まれになられたとき全盛期を迎えていたヘロデ大王は、このみことばを人間的に実現しようと、この神殿を大増築し、エゼキエルに示された設計図を生かしながら、ソロモンにまさる壮大な外庭や内庭を持つ神殿としました。
イエスの弟子は、その神殿を指して、「先生。これはまあ、何とみごとな石でしょう。何とすばらしい建物でしょう」と感動していたことが記録されています (マルコ13:1)。
ただ、イエスは弟子たちと最初にエルサレム神殿を訪ねたとき、神殿を誇っているユダヤ人たちに向かって、「この神殿をこわしてみなさい。わたしは、三日でそれを建てよう」と言われました (ヨハネ2:19)。
それは、ご自分が十字架にかかってすべての民の罪を贖い、神殿が建てられた罪の贖いという目的を満たし、三日目によみがえって神殿を完成することを意味していました。
しかもそれ以前、イエスご自身が、ヘロデが建てた神殿に入られた時、神殿は主の栄光で満たされていたのです。なぜなら、イエスは主 (ヤハウェ) ご自身であられたからです。モーセが幕屋を建てたとき、栄光の雲が幕屋を覆いました、またソロモンが神殿を完成した時、主の栄光が宮に満ちました。
そして、このハガイ書の時代のゼルバベルが建てた神殿には一度も主の栄光の雲は現れませんでした。ヘロデは外側を金で覆いましたが、その栄光は見せかけのものに過ぎませんでした。ただ、そこに神の御子ご自身が入られた時、なさにこの9節の預言が文字通り成就したのです。
しかも、イエスは「この所に平和を与える」という「平和の主」ご自身であられました。
神殿の目的は、罪の贖いと同時に、主ご自身が私たちの真ん中に住んでくださるということでした。主は、今、イエスの御霊によって私たちの内側に、また、私たちの交わりの真ん中に住んでいてくださいます。
3.「きょうから後、わたしは祝福しよう」
そして2章10節には再び、「ダリヨスの第二年の第九の月の二十四日」という日付が出て来ます。これは、紀元前520年12月18日に相当し、神殿の再建工事が始まって三か月の記念日でもあります (1:15参照)。
そこで、主はハガイを通して祭司たちに不思議な質問を投げかけさせます。
それは、第一に、「もし人が聖なる肉を自分の着物のすそで運ぶとき、そのすそがパンや煮物、ぶどう酒や油、またどんな食物にでも触れたなら、それは聖なるものとなるか」(2:12) という質問でした。
レビ記6章27節では「罪のためのいけにえ」としてささげられた肉は「最も聖なるもの」とされ、「その肉に触れるものはみな、聖なるものとなる」と描かれていました。それによると、肉を運ぶ着物は聖なるものとされたはずですから、その着物のすそが触れるものも聖なるものとされる可能性があるかもしれないという質問です。
それに対し、祭司たちは、「否」と答えました。つまり、「聖なるもの」とされた肉は、何かを介して別のものを聖なるものとする力はないのです。
続けてハガイは祭司に、「もし死体によって汚れた人が、これらのどれにでも触れたなら、それは汚れるか」(2:13) と質問します。
死体に触れた人は汚れますが、民数記19章22節には、「汚れた者が触れるものは、何でも汚れる」と記されていますので、祭司たちは「汚れる」と答えました。
つまり、聖さは間接的には伝わらない一方で、汚れは間接的にでも伝わるというのです。ですから、私たちは汚れの伝染に非常な注意を払う必要があります。
ですから主もここでハガイを通して、「わたしにとっては、この民はそのようなものだ。この国もそのようである。─ 主 (ヤハウェ)の御告げ ─ 彼らの手で作ったすべての物もそのようだ。彼らがそこにささげる物、それは汚れている」(2:14) と言われます。
彼らはすべての働きの前にまず自分自身を聖めていただく必要がありました。しかし、まるで死体のように、廃墟のまま放置されていた主の宮では、それはかないません。
ところがここでは、彼らが、主の宮を第一とする行動を始めたとき、彼ら自身が神の前に聖なる者とされ、彼らのすべての働きが豊かな実を結ぶようにと変えられて行くというのです。主を第一とすることこそ、すべての始まりであるべきなのです。
そして主は、「現状を良く考えよ」と言う代わりに、「さあ、今、あなたがたは、きょうから後のことをよく考えよ」(2:15) と言われます。
そして主はまず過去の事を振り返らせながら、「主 (ヤハウェ) の神殿で石が積み重ねられる前は、あなたがたはどうであったか。二十の麦束の積んである所に行っても、ただ十束しかなく、五十おけを汲もうと酒ぶねに行っても、二十おけ分しかなかった」と言われました (2:16、17)。労苦は期待した実を結ばなかったのです。
そしてその理由を、「わたしは、あなたがたを立ち枯れと黒穂病とで打ち、あなたがたの手がけた物をことごとく雹で打った」(2:17) と、主ご自身のさばきと説明します。
ただそこで主は、「しかし、あなたがたのうちだれひとり、わたしに帰って来なかった」とご自身の悲しみを表現されました。神のさばきの背後には、民をご自身のもとに立ち返らせようという熱い思いがあったからです。
アモス4章6-11節でも、主がイスラエルに様々なわざわいを送ったのに、「それでも、あなたがたはわたしのもとに帰ってこなかった」と五回にわたって繰り返されていました。
ところが18節では再び「さあ、あなたがたは、きょうから後のことをよく考えよ」と言いながら、なお具体的に、「すなわち、第九の月の二十四日、主 (ヤハウェ) の神殿の礎が据えられた日から後のことをよく考えよ」と言われます。
そして、今度は主の祝福の約束が19節で、「種はまだ穀物倉にあるだろうか。ぶどうの木、いちじくの木、ざくろの木、オリーブの木は、まだ実を結ばないだろうか。きょうから後、わたしは祝福しよう」と力強く約束されます。
20節の日付は10節と同じですが、6、7節の約束を繰り返し強調すうように、主は再び、「ユダの総督ゼルバベルに次のように言え。わたしは天と地とを揺り動かし、もろもろの王国の王座をくつがえし、異邦の民の王国の力を滅ぼし、戦車と、それに乗る者をくつがえす。馬と騎兵は彼ら仲間同士の剣によって倒れる」(2:21) と言われます。
これはペルシャの王の気分次第で立場が変わるゼルバベルにとっては奇想天外な約束です。自分の力を誇っている諸国の民は、みなイスラエルの神の前にへりくだり、主の宮は諸国の富で満たされるというのです。
そして、23節では「その日」ということばとともに、驚くべき祝福が約束されます。今までは「主の日」は多くの場合、イスラエルに対する神のさばきの日として用いられましたが、ここでは明確な祝福が、「その日、─万軍の主 (ヤハウェ) の御告げ─シェアルティエルの子、わたしのしもべゼルバベルよ、わたしはあなたを選び取る。─ 主 (ヤハウェ) の御告げ ─ わたしはあなたを印形のようにする。わたしがあなたを選んだからだ。─ 万軍の主 (ヤハウェ) の御告げ ─」と記されます。
ここで「万軍の主 (ヤハウェ) の御告げ」ということばが繰り返されているのが印象的です。
しかも、「わたしのしもべ……あなたを選び取る」とは、イザヤ42章1節などの救い主預言に結びつきます。そこでは「見よ。わたしのしもべ……わたしはあなたを選び取るわたしのささえるわたしのしもべ、わたしの心の喜ぶ私が選んだ者」と記されています。
このことばはイエスがヨルダン川でバプテスマを受けたときに天から聞こえた声の原型です。つまり、ゼルバベルはイザヤが預言した「主のしもべ」としての救い主を思い起こさせる存在なのです。
また「印形」とは英語では signet ring と訳されますが、これは王の権威を証明するもので、王が発した文書にこの指輪の印が押され、王の命令として民にたいして絶対的権威を持ちます。つまり、ここでは、吹けば飛ぶようなひ弱なゼルバベルが、天における神の権威を地上で示すしるしとなるというのです。ゼルバベルは目に見えない神の権威を目に見える形でこの地に実現するしるしとされます
マタイの福音書1章のイエス・キリストの系図には、「バビロン移住の後、エコニヤにサラテルが生まれ、サラテルにゾロバベルが生まれ……」(12節) と記されていますが、それはここでは「シェアルティエルの子……ゼルバベル」と記されています。まさにゼルバベルの血筋から救い主が誕生し、彼の名は永遠に主の真実を現す「印形」とされているのです。
そして、この神殿は神殿工事再開から約四年余りで完成します (エズラ6:15)。それはエルサレム神殿の崩壊からちょうど七十年がたった紀元前515年で、エレミヤが預言した通りでした (25:11、12、29:10)。
このハガイ書では、「あなたがたの現状を良く考えよ」ということばが、「きょうから後のことを良く考えよ……きょうから後、わたしは祝福しよう」というように変えられて行きます。私たちの人生でも、倦怠感の後に、すべてが悪循環と言うような事態になることがあります。
そのとき、「あなたは初めの愛から離れてしまった。それで、あなたは、どこから落ちたかを思い出し、悔い改めて、初めの行いをしなさい」(黙示2:4、5) というみことばを思い起こすべきでしょう。
無意識のうちに、初めの愛、初めの感動を忘れ、目の前の生活に夢中になってはいなかったでしょうか。主を第一とするところから、すべての好循環が始まります。初めの愛に立ち返りましょう。