僕の郷里の近くから育った一学年上の歌手、藤圭子さんが痛ましい死を遂げました。「十五、十六、十七と私の人生暗かった・・・一から十までバカでした、バカにゃ未練はないけれど・・・夢は夜開く」という人生を投げ出したような歌詞が、心に焼き付いています。演歌というより怨歌と呼ばれた歌い方には、人生の不条理に対する彼女の怒りが込められていたのかもしれません。中学時代は勉強が好きで評判になるほど成績が良かったのに、流しの旅芸人のような親に振りまわされて進学をあきらめ、歌がヒットしてもお金は父親の博打に消えて行きます。
預言者ヨナも神のみこころに従うよりも死ぬことを望んでいました。彼は神に向かって最後に、「私が死ぬほど怒るのは当然のことです」と訴えています(4:9)。それは愛国心に燃えながらも、神のみこころに翻弄される自分の身を嘆いたものかもしれません。そして、私たちも主のみこころを知りながら、主の御顔を避けるという思いになることがあるかもしれません。そのようなとき、このヨナ書の記事は、私たちの生き方に大きな示唆を与えてくれます。
1.ヨナ書の時代背景
ヨナ書がいつ誰によって記されたかはわかりませんが、本書はヨナ自身の報告に基づいて記されています。預言書の中で一番古いのはアモス書と言われますが、ヨナ書が扱っている時代は、アモスよりも若干古いと思われます。なぜなら、アモス書では北王国イスラエルがアッシリヤ帝国によって滅ぼされることが示唆されていますが、ヨナ書ではその首都ニネベで大きな悔い改めが起こって国力が回復したことの背景が記されているからです。
ヨナは異邦人伝道のパイオニアとも見られ、私たちの主イエスも、ヨナをご自身の働きの先駆けとして引用しておられるほどです(マタイ12:39-41)。しかもヨナの使命は本来、イスラエル王国全体の使命を現したものとも言えましょう。なぜなら、イスラエルは全世界にその神ヤハウェを紹介する「祭司の王国、聖なる国民」(出エジ19:6)として召されていたからです。しかし、彼らにその意識はまったくありませんでした。それはヨナも同じです。
なお、預言者ヨナの預言活動は、預言者エリシャに助けられて国力を回復した北王国イスラエルの王ヨアシュの時代と少し重なると思われます。なぜなら、ヨアシュの子ヤロブアム二世(紀元前782年~753年)の働きに関して「彼は、レボ・ハマテからアラバの海までイスラエルの領土を回復した。それはイスラエルの神、主(ヤハウェ)がそのしもべ、ガテ・ヘフェルの出の預言者アミタイの子ヨナを通して仰せられたことばのとおりであった。主(ヤハウェ)がイスラエルの悩みが非常に激しいのを見られたからである。そこには、奴隷も自由人もいなくなり、イスラエルを助ける者もいなかった。主(ヤハウェ)はイスラエルの名を天の下から消し去ろうとは言っておられなかった。それで、ヨアシュの子ヤロブアムによって彼らを救われたのである」と記されていたからです(Ⅱ列王記14:25-27)。
ヨナの出身地のガテ・ヘフェルというのはガリラヤ地方の町ですから、彼は預言者エリシャの弟子から訓練を受けていた可能性もあります。しかも彼は北王国イスラエルの国力回復を預言したことで、人々から尊敬されていたことでしょう。預言者エリシャは、北王国の偶像礼拝の罪を厳しく断罪しながらも、北王国が周辺諸国の攻撃から守られるように、主の導きによって様々な驚くべき奇跡の数々を行ないました。預言者ヨナもこのエリシャの活動を引き継ぐように、北王国イスラエルに対する神のあわれみと、主にある勝利を預言していました。
そしてその頃、北王国イスラエルに北から迫ってきた超大国がアッシリヤ帝国です。愛国的預言者ヨナのそれまでの預言活動からすれば、悪の代名詞とも言えるニネベが残された世界で生きるよりは死んだ方がましと思えたことでしょう。私たちの目の前にも許し難い悪が存在するかもしれません。ところが、神はそのような悪が生き残る道を開くことばをヨナに宣べさせようとします。ヨナは神に対して怒っています。それは私たちがこの世の悲惨を放置する権力者や終息の目処が立たない原発事故放射能汚染に死ぬほど怒っているのと同じかもしれません。
2.「しかし、ヨナは、主(ヤハウェ)の御顔を避けてタルシシュへのがれようとし」
原文の書き出しは、「主(ヤハウェ)のことばがあった。アミタイの子ヨナに」と記されています。これはヨナに突然に予想もしない主のことばがあったことを示しています。そして、その内容は、「立って、あの大きな町ニネベに行き、これに向かって叫べ。彼らの悪がわたしの前に上って来たからだ」というものでした。イスラエルの繁栄を預言していたヨナにとっては受け入れがたい命令と思えたことでしょう。「彼らの悪」が主の前に「上って来た」というなら、主ご自身がさっさとさばきを下してくださると良いのです。そうするとイスラエルの将来が開かれます。
しかし、ヨナがニネベに対する主のさばきを叫んで、もし、万が一にも、彼らが悔い改め、主が「わざわいを思い直される」(4:2)ならヨナの預言が嘘になるばかりか、イスラエルの将来に暗雲が立ち込めます。アッシリヤは紀元前1450年ごろ生まれた国ですが、イスラエル王国が二つに分かれて間もなくの頃から急速に勢力を広げ紀元前840年頃にはアラム(シリヤ)の首都ダマスコを征服します。ただその後まもなくして地方の反乱に悩まされ、無能な王のもとで勢力を失い、紀元前765年と759年には記録的な大飢饉に襲われ、その間の紀元前763年6月15日は皆既日食がニネベで起きたと言われます。それは当時の人々に恐ろしい不安を呼び覚ましました。なお、ニネベはアッシリヤ帝国の首都で、それは現代のイラクの北限地帯、ティグリス川沿いの当時の世界最大級の町でした。この時期にヨナがこの町に神のさばきを訴えたなら、人々は真剣に耳を傾ける可能性がありました。
一方、アッシリヤの一時的な弱体化の中で、その南のイスラエルの王ヤロブアム二世はシリヤの地にまで勢力を伸ばすことができていました。アッシリヤのさらなる弱体化をヨナは心から願っていたことでしょう。
そのような中でのヨナの次の行動が、「しかしヨナは、主(ヤハウェ)の御顔を避けてタルシシュへのがれようとし、立って、ヨッパに下った。彼は、タルシシュ行きの船を見つけ、船賃を払ってそれに乗り、主(ヤハウェ)の御顔を避けて、みなといっしょにタルシシュへ行こうとした」と記されます。ここでは「主(ヤハウェ)の御顔を避けて」ということばが繰り返されております。タルシュシュとは地中海の西側で現代のスペイン付近を指すと思われます。要するにニネベとは正反対の意味での当時の世界の最果てに向かって、主の命令から逃げようとしたというのです。
後でヨナは異教徒たちに向かって、「海と陸を造られた天の神」と主(ヤハウェ)のことを紹介しているので、この行動は何とも滑稽とも受け止められますが、それほどにヨナにとって主の命令は受け入れ難かったのでしょう。
それにしても当時の信仰の常識では、主(ヤハウェ)はあくまでもイスラエルの神であって、ご自身の御顔をカナンの地に向けておられると理解されていたので、御顔を避けるために貿易港のヨッパに下り、タルシュシュ行きの船に乗るということは、身体感覚にあった行動とも言えましょう。私たちも、頭の中では、主はどこにでも同時に存在されると思ってはいても、自分の職場や学校や地域には、主はいらっしゃらないという感覚を持つことがあるかもしれません。しかし、主はどこにおいてもあなたに目を留めておられます。しかし、私たちが罪の誘惑に負けている時には、まさに「主(ヤハウェ)の御顔を避けて」という気持ちになっているのではないでしょうか。
3.「私はヘブル人です。私は海と陸を造られた天の神、主(ヤハウェ)を恐れています」
しかし、主(ヤハウェ)は、ご自身の御顔を避けようとするヨナに目を留め続けておられました。そして、そのことを気づかせるために、主は「大風を海に吹きつけられ」ました。そしてその後の状況が、「それで海に激しい暴風が起こり、船は難破しそうになった。水夫たちは恐れ、彼らはそれぞれ、自分の神に向かって叫び、船を軽くしようと船の積荷を海に投げ捨てた」と描かれます(1:4,5)。興味深いのは、船を軽くするという手段を具体的に取るとともに、「彼はそれぞれ、自分の神に向かって叫び」という状況が起きたことです。
「神のかたち」に創造された人間には、目に見えない神的な存在を求める心があります。それらを「それは偶像礼拝です」などと嘲る代わりに、その気持ちに寄り添う必要もありましょう。使徒パウロは、当時の文化の中心都市のアテネに入ったとき、「町が偶像でいっぱいなのを見て、心に憤りを感じた」のですが、その気持ちを抑えて、「あなたがたを宗教心に熱い方々だと見ております」などと彼らに寄り添いながら、そこで「知られない神に」と記された祭壇を見つけたという話題を持ち出して、「あなたがたが知らずに拝んでいるものを、教えましょう」と話し始めます。その上で、「私たちは、神の中に生き、動き、また存在しているのです」と言いながら、彼らが親しんでいる詩人のことばを引用しました(使徒17:16-28)。多くの日本人も、自分たちが拝んでいるもののことを知らずにいます。彼らが自分たちの拝んでいるものの頼りなさ、あいまいさに気づくときに、対話の道が開かれます。
ところがこのとき、ヨナは彼らの信仰心の目覚めにまったく無関心なように、また船が難破してもまったく構わないかのように、「船底に降りて行って横になり、ぐっすり寝込んでいた」(1:5)というのです。彼は皆がパニックに陥っているのを尻目に、意図的にそうしたのです。これは「主の命令に従うくらいなら死んだ方がまし・・」という意志の現れです。死を心から願っているからこそ、嵐のなかでも「ぐっすり寝込んで」いることができたのでしょう。
ところが、そのヨナに様子に驚いた「船長が近づいて来て」、「いったいどうしたことか。寝込んだりして。起きて、あなたの神にお願いしなさい」と言いました(1:6)。船長はこのとき、「ヨナの神」に関しては何も知らなかったことでしょう。少なくとも死を望んでいたヨナはこのとき、「この嵐は自分の神が起こしているもの」という確信を持っているからこそ、敢えて居直って「ぐっすり寝込む」ことができました。船長はそのような雰囲気を感じたからこそ、ヨナが自分の神に祈り求めるという回心を求めたのかもしれません。それは「溺れる者、わらをもつかむ」というような心理でしょうが、彼はそこに「あるいは、(ヨナの)神が私たちに心を留めてくださって、私たちが滅びないですむかもしれない」と期待したというのです。皮肉にも、未信者の船長のことばにこそ神のみこころがありました。
そこで、みなはくじを引くことで、「だれのせいで、このわざわいが私たちに降りかかったかを知ろう」とし、その結果、それがヨナのせいであると知るようになりました。神はまさにこのとき、自然現象ばかりかその船に乗っている人々の心まで動かすことで、彼らの目をヨナという神の民に目を向けさせるようにしました。そして、彼らはヨナに、「だれのせいで、このわざわいが私たちに降りかかったのか、告げてくれ。あなたの仕事は何か。あなたはどこから来たのか。あなたの国はどこか。いったいどこの民か」(1:8)と矢継ぎ早に質問を投げかけます。
それに対して、ヨナは落ち着いて、「私はヘブル人です。私は海と陸を造られた天の神、主(ヤハウェ)を恐れています」と答えます(9節)。次の10節を見ると、ヨナは自分が「主(ヤハウェ)の御顔を避けてのがれようとしている」ということを説明してはいるのですが、ここでは何よりも自分が神の民であり、創造主である「主(ヤハウェ)を恐れている」ということを強調したのだと思われます。彼はここに至って初めて、自分のまきぞいをくっていっしょに船に乗っているこの異教徒たちに同情を感じたのではないでしょうか。でも、不思議なのは、ヨナは自分の信仰を告白しながらも、主に祈ろうとはしていません。それは、彼が「主(ヤハウェ)を恐れる」こと以上に、自分の国の行く末を心配し、アッシリヤ帝国の滅亡を望んでいたからではないでしょうか。敵国に主のみこころを伝えるぐらいなら死んでしまったほうがましだと願うほどに、偏屈な愛国者となっていたのです。ただ、このとき彼は、主(ヤハウェ)から逃亡しようとしているとしか理由を述べていなかったので、人々は「何でそんなことをしたのか」と問いかけたのだと思われます。しかし、ヨナはさすがに、「私はアッシリヤ帝国の滅亡を願っている」とまでは言えなかったのだと思われます。
たとえば第二次世界大戦の始まったころ、日本の福音的なキリスト教会においても、「キリストが私たちを罪から贖ってくださったのは、私たちが自分の身を天皇陛下にささげ、陛下のために死ぬことができるためである」とか、「神は真の信仰から堕落したアメリカやイギリスをさばくために日本を用いてくださる」という趣旨の文章が記されています。これは国家や天皇制を偶像化する教えです。目の前の政治は私たちの生活に直結しますので、人はそれぞれの立場でその政治理念に熱くなり、神の御名さえもそのために使ってしまいます。
ヨナは確かに誰よりも主(ヤハウェ)を恐れる信仰の持ち主だったことでしょう。しかし、問題はそれ以上に、国を守ることに熱くなっていました。それは国を偶像としてしまうことです。私たちも会社や家族を偶像化する恐れがあるのではないでしょうか。ですからイエスは不思議にも、「わたしよりも父や母を愛する者は、わたしにふさわしい者ではありません。また、わたしよりも息子や娘を愛する者は、わたしにふさわしい者ではありません。自分の十字架を負ってわたしについて来ない者は、わたしにふさわしい者ではありません」(マタイ10:37,38)と言われました。それは私たちがこの世の人々の期待に応える生き方をすることを絶対化してしまう可能性があるからです。
たとえば昔、私は職場において成功することが、何よりの証しになると考えていた時期がありました。それはまさに、神よりも仕事を偶像化した生き方になっていたのかもしれません。しかし、仕事を偶像化することは自分をこの世の人々の期待の奴隷に貶めることです。私たちは自由になるために召されたのです(Ⅰコリント7:21-23)。
4.「人々は非常に主(ヤハウェ)を恐れ、主(ヤハウェ)にいけにえをささげ、誓願を立てた」
ここで興味深いのは、ヨナが自分の信仰を告白した時の反応が、原文では「それで人々は恐れ、非常に恐れて」と、「恐れる」ということばが重ねられ強調されていることです。彼らはヨナが「主(ヤハウェ)を恐れている」と言ったことを受けて、ヨナよりもはるかに強く「主を恐れるようになった」ということかもしれません(1:16参照)。
その後、船に乗っている人々はヨナに、「海が静まるために、私たちはあなたをどうしたらいいのか」と尋ねます。それは「海がますます荒れてきたから」でした。それに対し、ヨナは、「私を捕らえて、海に投げ込みなさい。そうすれば、海はあなたがたのために静かになるでしょう。わかっています。この激しい暴風は、私のためにあなたがたを襲ったのです」と答えます(1:11,12)。しばしば誤解されますが、主がヨナにご自身の怒りを向けておられたことは確かですが、ここでヨナに求められていたのは、何よりも、主の御顔を避けて逃げようとしたことを反省して、主に助けを求めることだったのです。しかし、ヨナは、主のみこころに従うよりも死ぬことを選ぼうとしていました。
この提案に対し、船に乗っている人々は、ヨナを殺さずにすむ方法を求めようとして、「船を陸に戻そうとこいだ」のですが、「海がますます、彼らに向かって荒れた」ので、彼らはそれも諦めて、万策尽きた彼らは、自分たちの神々に祈る代わりに、ヨナの神、主(ヤハウェ)に願って、「ああ、主(ヤハウェ)よ。どうか、この男のいのちのために、私たちを滅ぼさないでください。罪のない者の血を私たちに報いないでください。主(ヤハウェ)よ。あなたはみこころにかなったことをなさるからです」と訴えます(1:14)。不思議にも、彼らはヨナとの対話を通して、まことの神に向かって祈るように導かれたのです。なお、「罪のない者の血」と言っているのは、たといヨナが無実であったとしても、その責任を自分たちに負わせないで欲しいという意味だと思われます。ヨナは彼らに自分を海に投げ込めと言いましたが、彼らはヨナを殺すことでヨナの神からさばきを受けることを恐れていました。
その後のことが、「こうして、彼らはヨナをかかえて海に投げ込んだ。すると、海は激しい怒りをやめて静かになった」(1:15)と描かれ、それに対する反応が、「人々は非常に主(ヤハウェ)を恐れ」(1:16)と記されますが、この表現は基本的に10節と同じく「恐れる」ということばが重ねられて強調され、そこに「主(ヤハウェ)を」と追加されています。その上で、「主(ヤハウェ)にいけにえをささげ、誓願を立てた」(1:16)と描かれます。彼らは最初、嵐の中で自分の神に向かって叫びました。ところが、彼らはヨナとの対話を通して、ヨナの神を自分たちの神としてあがめるようになりました。それは、ヨナが主(ヤハウェ)を恐れているのがわかると同時に、彼の神の偉大さがわかったからです。
ヨナは決して不信仰だったのではありません。彼は神がどのような方かを良く知っており、神がニネベに対する「わざわいを思い直される」ことを恐れていたのです(4:2)。そうなると、神のさばきを叫んだヨナのことばが嘘になるばかりか、アッシリヤ帝国が再び力を盛り返し、自分の国イスラエルを滅ぼすことになってしまいます。イスラエルの繁栄を預言した預言者が、はかり知れない神のみこころに翻弄され、自分の国の滅亡への道を開いてしまうというのは耐え難い屈辱と思えたことでしょう。ヨナはある意味で、自分の命をかけて神のみこころに逆らってしまいました。しかし、不思議にも、それを通して、異教徒の船員たちが、ヨナの神を恐れるようになったというのです。それはヨナのかたくなさを通して、神のみこころに逆らうことの恐ろしさが明らかになったからです。
5.「私の祈りはあなたに、あなたの聖なる宮に届きました」
船乗りたちもヨナ自身も、当然、ヨナは死んでしまったと思ったことでしょう。ところが、あわれみ豊かな主(ヤハウェ)は、「大きな魚を備えて、ヨナをのみこませ」ました。そして、「ヨナは三日三晩、魚の腹の中にいた」という不思議が起きました。ヨナは自分がまだ生きていることを確信した時、「魚の腹の中から、彼の神、主(ヤハウェ)に祈った」というのです。続けてヨナは自分の絶体絶命の苦しみを振り返りながら、不思議にも、「私はあなたの目の前から追われました。しかし、もう一度、私はあなたの聖なる宮を仰ぎ見たいのです」と祈りました(2:4)。理解しがたいのは、ヨナを海に投げ込んだのは船乗りたちですし、それを望んだのはヨナ自身だったということばかりか、主が彼を目の前から追ったのではなく、ヨナ自身が主の御顔を避けたというのが事実です。しかし、ヨナは、そのように自分としてはそうせざるを得なかったという現実自身が、全能の神の御手の中にあったということを告白しているのです。しかし、それは同時に、自分を被害者の身において、自分の狭い視点から神のみわざを見ることに通じます。
しかも、ヨナの最大の願いとは、「もう一度・・聖なる宮を仰ぎ見たい」ということでした。彼は絶体絶命の中で、エルサレム神殿での礼拝を恋い焦がれました。そして、ヨナは再び、自分が救い出された経緯を詩的に表現しながら、最後に「私のたましいが私のうちに衰え果てたとき、私は主(ヤハウェ)を思い出しました。私の祈りはあなたに、あなたの聖なる宮に届きました」と主を賛美しました。ヨナはかつて愚かにも、主の御顔を避けて、主の前から逃げようとしました。しかし、彼は今、海の底からの叫びが、遠く離れたエルサレム神殿にまで届いたということを悟ったのです。そして、その後、「主(ヤハウェ)は、魚に命じ、ヨナを陸地に吐き出させた」というのです。
ヨナは決して不信仰でも、悪い人間でもありませんでした。彼は愛国心に燃えた、人々の尊敬を得ている預言者だったことでしょう。しかし、自分の情熱が強すぎて、それに反する神のみこころに対して死ぬほど怒ってしまい、御顔を避けて主から逃れようとしました。彼は、主のみこころが不条理だと思うなら、その気持ちを徹底的に主に訴え出るべきでした。しかし、それにしても、主はヨナのかたくなさえも用いて、異邦人の船乗りたちが主を礼拝するように導いてくださいました。それは、彼が主を恐れていたからです。ただそれは健全な恐れではありませんでした。彼は神を恐れたがゆえに、神に自分の正直な気持ちを訴えるのをためらったのかもしれません。それは私たちにも起きることです。主のみこころが測り知れないからこそ、私たちは主に問いかけ続けるべきなのです。