2013年4月7日
現在の安倍政権は、二十年あまりのデフレ経済からの脱却を至上命題としています。この政権の誕生の方向が見えて以来、平均株価は過去四か月間で五割も上昇しており、四か月で二倍以上になった株も多くあるようです。
人々は、今までの24年間の停滞から脱却するかのような夢を持ち始めています。私たちの教会は、それに先立つように、資金的な必要が満たされ、底値で土地を買い、今、憧れの新会堂を完成させようとしています。
しかし、ここで私たちは信仰の原点に立ち返る必要があります。バブル的な浮ついた気持ちを持つ代わりに、「主 (ヤハウエ) に信頼して善を行なえ。地に住み誠実を養え。主をおのれの喜びとせよ。主はあなたの心の願いをかなえてくださる」(詩篇37:3、4) というみことばを思い巡らすべきでしょう。
それとともに、「思い違いをしてはいけません。神は侮られるような方ではありません。人は種を蒔けば、その刈り取りもすることになります」(ガラテヤ6:7) という警告を忘れてはなりません。私たちは一人ひとり、神と人に対する誠実さが問われているのです。
1.アモスの預言の時代背景
アモス書の始まりは、「ことば、アモスの、テコアの牧者のひとりであった」という順番になっています。ホセアもヨエルも「ことば、主 (ヤハウェ) の」という書き出しでしたが、この始まり方はエレミヤの場合と同じです。
ただ、不思議なのは、アモスの仕事は祭司や預言者ではなく、「牧者」と記されています。7章14、15節では彼がベテルの祭司アマツヤに向かって、「私は預言者ではなかった。預言者の仲間でもなかった。私は牧者であり、いちじく桑の木を栽培していた。ところが、主 (ヤハウェ) は群れを追っていた私を取り、主 (ヤハウェ) は私に仰せられた。『行って、わたしの民イスラエルに預言せよ』と」と語ったと記されています。しかも、彼の出身地の「テコア」とは、エルサレムの20㎞も南にある南王国ユダの町です。
そして、彼が主のことばを受けた時代は、「ユダの王ウジヤの時代、イスラエルの王、ヨアシュの子ヤロブアムの時代、地震の二年前」と記されています。この地震の年代がいつであるかは定かではありませんが、ゼカリヤ14章5節にも、「ユダの王ウジヤの時、地震を避けて逃げたように、あなたがたは逃げよう」とあるように、約240年の時を経ても人々の記憶に残った大地震であったようです。
しかも、南王国でウジヤが治め、北王国イスラエルでヤロブアム二世が治めていた時代(紀元前793-753年)は、アッシリア帝国の力が一時的に弱体化していたときで、二つの王国合わせてソロモンの支配地に匹敵するほどに繁栄を極めていた時代でした。そして、アモスが具体的に主のことばを聞いた時代は、紀元前760年から755年の間ということで学者たちの見解が一致しています。
そして、「彼が見たもの」の中心は、自分が住んでいた南王国ユダに関するものである以前に、北王国イスラエルの滅亡のことでした。アモスの時代は、北王国の人々は自分たちの繁栄が永遠に続くように誤解していましたが、ヤロブアム二世の死からたった三十年後に、国は廃墟とされます。
私たちのこの会堂での宣教の働きは1989年6月に始まりました。それはバブルの絶頂期でした。しかし、それからたった半年後の1989年12月に日経平均株価は38,950円に達しますが、それから一年も経たないうちに株価は約半値に暴落し、その後、97年の山一証券の廃業にまで至ります。まさにアモスの預言は、私たちがこの教会が始まったころに聞いているべきことばだったと言えましょう。
この教会が始まったころまでは、どの教会も楽観的な期待に満ち溢れていました。そのような中で、私たちもこの会堂を、何と、月額36万円の家賃を払って借りました。それは東京武蔵野教会の経済力を持って可能になったことですが、その後のキリスト教会全体の低迷の中で、この教会が、この高額な家賃を支払い続けることができたこと自体が、神の奇跡、あわれみと言えましょう。
アモスの最初のメッセージは、「主 (ヤハウェ) はシオンから叫び、エルサレムから声を出される。羊飼いの牧場はかわき、カルメルの頂は枯れる」というものです。北王国はシオンの山に立つエルサレム神殿に代わる礼拝の場を作りましたが、主はあくまでも「シオン」をご自身の住まいとしておられます。
また「カルメルの頂」とは、イスラエルの地中海岸の北の端にある山で、そこは預言者エリヤがバアルの預言者たちと戦った際、天からの火が降ってきて全焼のいけにえを焼き尽くした場所です (Ⅰ列王記18:36-40)。
つまり、主ははるか南のエルサレムから声を発することで、北の果てにある偶像礼拝のメッカを焼き滅ぼされるというのです。
なお、「羊飼いの牧場」とは、北王国の指導者たちの支配地を指すと思われますが、ここで「かわき」と訳された言葉は、ホセア4章3節では「この地は喪に服し」と訳されます。そこでは、その地が神を知ることがないため、「のろいと、欺きと、人殺しと、盗みと、姦通がはびこり、流血に流血が続いている」という状態に堕落していることを「喪に服する」と描かれています。
2.「……の犯した三つの……四つのそむきの罪のために、わたしはその刑罰を取り消さない」
1章3節から2章5節までイスラエルの七つの近隣諸国に対するさばきがほとんど同じ文体で描かれます。そこに共通するのは、「主 (ヤハウェ) はこう仰せられる」という語りかけとともに、「(ダマスコ)の犯した三つのそむきの罪、四つのそむきの罪のために、わたしはその刑罰を取り消さない」と同じことばが繰り返されながら、神が何に対して怒り、どのようなさばきが下されるかが記されています。
「三つのそむきの罪、四つの……」と毎回記されながらそこには一つの罪しか取り上げられませんが、それこそ、それぞれの四番目の罪かもしれません。このような表現で、彼らの罪が増幅して行く様子を描き、最後の最も神の怒りを買っていることが記されているのだと思われます。
イスラエルは現在と同じように大昔も、周辺の異教徒の国々との絶え間のない戦いの中にありました。そこには復讐が復讐を呼ぶというような復讐の連鎖がありました。しかし、神はイスラエルに対し、そのような周辺諸国との合従連衡を考えるよりも、神のさばきを知り、神の前に誠実に歩むことを求めていました。
神はそれぞれの国々に、それぞれの罪に応じたさばきを下されます。恐れるべきは敵の復讐ではなく、神のさばきなのです。
第一のさばきは、「ダマスコ」に対するものです (1:3-5)。ダマスコはシリヤ(アラム)の首都で、その罪が「彼らが鉄の打穀機でギルアデを踏みにじった」と描かれます。「ギルアデ」はヨルダン川東のイスラエルの領地ですが、ダマスコの王ハザエルとその息子のベン・ハダテは自分たちの南に領土を拡張しようと残虐な軍事作成をこの数十年前に展開していました。
それに対するさばきとして、ダマスコの宮殿が廃墟とされ、周辺の町々も焼き尽くされ、アラムの民は自分たちの出身地である「キル」へと戻されるというのです (9:7)。その地はイザヤ22章6節ではエラムと重ねて記されており、バビロンのさらに東にある後のペルシャ帝国の発祥地に近い地域だと思われます。
第二のさばきは「ガザ」に対するものです (1:6-8)。ガザはイスラエルの南、ユダの西にある地中海岸のペリシテの中心都市、現在もイスラエル軍と衝突を繰り返している町です。
その罪は、「彼らがすべての者を捕囚の民として捕らえ移し、エドムに引き渡した」(6節) と描かれますが、これが具体的に何をあらわすかは分かりません。たぶんどこかの町の住民をまるごとエドムに奴隷として売り渡したことだと思われます。
これに対して、主は、ガザばかりかペリシテ人の北の町々の王たちを断ち滅ぼし、「ペリシテ人の残った者を滅ぼす」(8節) と言われます。
第三のさばきは「ツロ」に対するものです (1:9-10)。ツロは現在のレバノン南部、ガリラヤ北西に位置する地中海岸の貿易都市、奴隷売買の中心地でもありました。
かつてダビデ、ソロモンがエルサレム神殿を建設する際には、ツロの王ヒラムは大量のレバノン杉を提供し、兄弟関係を結んでいました (Ⅰ列王記5章)。しかし、そんな彼らがイスラエルの民を奴隷としてエドムに売り渡したのだと思われ、そのことが、「彼らが……兄弟の契りを覚えていなかったからだ」と説明されます。
そして、彼らへのさばきが、「わたしはツロの城壁に火を送ろう。火はその宮殿を焼き尽くす」(10節) と簡潔に描かれます。アモスの時代から約170年後の預言者エゼキエルは26-28章という大きなスペースを割いて、ツロの繁栄の中での高慢の様子とそれに対する神のさばきを詳細に預言しています。
第四のさばきは「エドム」に対するものです (1:11-12)。エドムはヤコブ(イスラエル)の兄エサウの子孫で、死海の南東を支配していました。
そして、彼らの罪が、「剣で自分の兄弟を追い、肉親の情をそこない、怒り続けていつまでも激しい怒りを保っていた」と描かれます。
ヤコブとエサウの兄弟げんかは子々孫々にまで引き継がれていましたが、それに対するさばきが下されるというのです。主のさばきが、「わたしはテマンに火を送ろう。火はボツらの宮殿を焼き尽くす」と描かれますが、テマンはエドムの中心都市のひとつ、ボツラは首都でした。
第五のさばきは「アモン」に対すものです (1:13-15)。アモン人はアブラハムの甥であった「ロト」の子孫で死海の東北にある地方を支配していましたが、その北に位置するヨルダン川東側のイスラエルの領土ギルアデに侵攻を繰り返していました。
彼らの罪は、「自分たちの領土を広げるために、ギルアデの妊婦たちを切り裂いた」(13節) と描かれます。
そして、神のさばきが、その首都である「ラバの城壁に火を放とう。火はその宮殿を焼き尽くす」と描かれます。ラバは、現在のヨルダンの首都アンマンの古代都市だと思われます。彼らはアッシリヤに仕えた後、バビロン帝国によって滅ぼされ、捕囚として別の地に連行されますが、ここではその滅亡のあっけなさが、「これは戦いの日のときの声と、つむじ風の日の暴風のうちに起こる」(14節) と描かれています。
第六のさばきは「モアブ」に対するものです (2:1-3)。モアブもロトの子孫で、死海の東側の地を支配していました。彼らの罪は、「エドムの王の骨を焼いて灰にした」(2:1) と描かれます。
かつて北王国イスラエルの王ヨラムとユダの王ヨシャパテはエドムの王を誘って、死海の南のエドム経由でモアブに攻め入りましたが (Ⅱ列王記3章)、その復讐としてモアブはエドムに攻め入って、エドムの王を殺害し、「王の骨を焼いて灰にした」のだと思われます。それは人格を否定する最悪の辱めでした。
モアブ人はいつも近隣の大国の手先になって神の民を攻撃してきたので、「よこしまな者」の代名詞とさえなりました。
彼らに対するさばきが、「わたしはモアブに火を送ろう。火はケリヨテの宮殿を焼き尽くす。モアブは、どよめきのうちに、角笛の音と、ときの声のうちに死ぬ。わたしはさばきつかさをそのうちから断ち滅ぼし、そのすべての首長たちを、彼とともに切り殺す」と、際立って大きく描かれます。
第七のさばきは南王国「ユダ」に対するものです (2:4、5)。その罪は、彼らがエルサレム神殿を中心にいただいていながら、「主 (ヤハウェ) のおしえを捨て、そのおきてを守らず、彼らの先祖たちが従ったまやかしものが彼らを惑わした」ことと描かれます。それは具体的には、近隣の偶像崇拝の風習を取り入れてしまったことです。
そして、主のさばきが、「わたしはユダに火を送ろう。火はエルサレムの宮殿を焼き尽くす」と、モアブの場合とは対照的に驚くほど簡潔に記されます。
この書き方は、1章12節のエドムに対するさばきと同じですが、ここではユダ全体が廃墟とされることと、エルサレムの神殿以前に、王の宮殿が廃墟にされることが強調されています。それは紀元前586年にエルサレムがバビロン帝国によって廃墟とされ、民が捕囚とされたことによって実現しました。
なお、最後のユダに対するもの以外は、すべてイスラエルの神を知らない異教徒に対するさばきです。そこでは何よりも、人を人とも思わない傲慢さや卑劣さが、理由とされています。
神は異教徒に対しては、不信仰をさばきの理由にするのではなく、隣人への不誠実さをさばきの理由としています。一方、ユダに対するさばきは、何よりも、主の教えを捨てたことがさばきの理由とされています。
神はそれぞれに誠実さを求めておられるからです。
使徒パウロは、「あなたがたは、自分に関する限り、すべての人と平和を保ちなさい。愛する人たち。自分で復讐をしてはいけません。神の怒りに任せなさい……」(ローマ12:18、19) と勧めましたが、それは、厳密には、「神の怒りに場所を空けなさい」と記されています。自分で復讐することは、神の復讐の機会を奪うことになるというのです。
イスラエルが取るべき態度は、周辺諸国の悪に自分で復讐する代わりに、神がそれぞれの国の悪にふさわしいさばきを下されることに信頼して、「敵が飢えたなら……食べさせ、渇いたなら……飲ませ」(ローマ12:20) という愛の行為でした。あなたの敵をさばくのは神のなさることであり、あなたの責任は敵を愛することなのです。
3.「エモリ人を彼らの前から滅ぼしたのは、このわたしだ」
2章6節からは北王国イスラエルに対するさばきが、今までと同じ文章を用いながら、「イスラエルの犯した三つのそむきの罪、四つのそむきの罪のために、わたしはその刑罰を取り消さない」と記されます。その上で、ここでは、「四つのそむきの罪」が具体的に記されます。
その第一は、「彼らが金と引き換えに正しい者を売り、一足のくつのために貧しい者を売った」ということです。これは自分たちと同じ民族が借金を返せない時に、とてつもない安い値段で同胞を奴隷に売ってしまうような不正義が横行していたことを非難したものです。
その第二は、「弱い者の頭を地のちりに踏みつけ、貧しい者の道を曲げ」たことです (2:7)。これは同胞どうしの間で利害の対立が起こった時の裁判の席で、弱い人、貧しい人に不利になるようなさばきを下していたことを非難したものです。
また、その第三は、「父と子が同じ女のところに通って、わたしの聖なる名を汚している」というものです(2:7)。これは、イスラエルの民が異教的な神殿に通い、父と子がそこの同じ神殿娼婦と関係を持つという忌まわしい不道徳を犯していることを非難したものです。
第四は、「すべての祭壇のそばで、質に取った着物の上に横たわり、罰金で取り立てたぶどう酒を彼らの神の宮で飲んでいる」(2:8) というものです。律法では、貧しい同胞に金を貸す際、質草に取った上着は夜には返すことが命じられていましたが、彼らは罰金のような利息を取って買った酒を、偶像の宮で飲んでいたというのです。
彼らのすべての罪の根本は、まことの神の代わりに偶像を拝み、自分たちの隣人を虐げたことでした。
律法の核心は、「心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くして、あなたの神、主 (ヤハウェ) を愛しなさい」(申命記6:5) ということと、「あなたの隣人をあなた自身のように愛しなさい」(レビ記19:18) ということですが、イスラエルの民はこれに反する「三つのそむきの罪」「四つのそむきの罪」を犯していたのです。
9、10節それぞれの原文の最初では、「このわたしだ」ということばが繰り返され、神の一方的なあわれみによって、イスラエルの民がカナンの原住民のエモリ人を打ち破ったことが、「エモリ人を彼らの前から滅ぼしたのは、このわたしだ。彼らの背たけは杉の木のように高く、樫の木のように強かった。しかし、わたしはその上の実と下の根とを滅ぼした。あなたがたをエジプトの地から連れ上り、荒野の中で四十年間あなたがたを導き、エモリ人の地を所有させたのは、このわたしだ」と描かれます。
イスラエルの民はかつて、エモリ人の大きさと強さにおびえていたのですが、四十年間の荒野の生活で神の訓練を受け、最終的に約束の地を占領することができました。しかし、それは彼らの功績ではなく、主の一方的な恵みのわざだったのです。
その後、神は、ご自身の恵みを忘れてしまう民のために、「預言者を起こし……若者から、ナジル人を起こし」ましたが、彼らは禁酒を誓った「ナジル人に酒を飲ませ」て堕落させ、「預言者には」自分たちの行為を非難するような預言をすることを禁じてしまいました。彼らは、神のことばを聞く機会を自分で閉じてしまったというのです。
2章13節の「見よ。束を満載した車が押さえつけるように、わたしはあなたがたを押さえつける」という文章は分かりにくいものです。これは、神がイスラエルの民を動くことができないように押さえつけるという意味にも解釈できますが、新共同訳や最新のフランシスコ会訳では、「わたしはおまえたちの足元の地を裂く。麦束を満載した車が地を裂くように」と訳されています。それは、最初に、神が「地震を起こす」と言われたことに対応するものと解釈したものです。
どちらにしても、その結果は、「足の速い者も逃げ場を失い、強い者も力をふるうことができず、勇士もいのちを救うことができない。弓を取る者も立っていることができず、足の速い者ものがれることができず、馬に乗る者もいのちを救うことができない。勇士の中の強い者も、その日には裸で逃げる」と描かれ、自分の足や力を誇る勇士たちが、何もできずに敗北し、国が亡びるということになるというのです。
神はイスラエルの民を用いて、カナンに住むエモリ人の罪をさばきました。しかし、イスラエルの民は神の恵みを忘れ、エモリ人と同じような忌まわしいことを行なうようになりました。
イスラエルを用いてエモリ人を滅ぼした神は、今度はアッシリヤやバビロン帝国を用いてイスラエルを滅ぼそうとしておられます。
神は、八回にわたって、「……の犯した三つの……四つのそむきの罪のために、わたしはその刑罰を取り消さない」ということばを繰り返しておられます。それは、私たちに向けたさばきのことばでもあります。もし私たちがイエスの十字架の陰に身を避けることができなければ、このさばきは私たちの上に下ることになるのです。
イスラエルとその周辺諸国は、アッシリヤを初めとする大帝国が弱体化している時期に繁栄を謳歌していました。それは日本のバブルの時期にそれぞれの失敗が大目に見られたのと同じです。しかし、バブルがはじけたとたん、悪者捜しが始まり、過去の罪が顕にされました。英語の Consequence ということばに見られるように、私たちの現在の行動は、将来に必然的な結果を生むという面を忘れてはなりません。
それを前提に、使徒パウロは、「思い違いをしてはいけません。神は侮られるような方ではありません。人は種を蒔けば、その刈り取りもすることになります」(ガラテヤ6:7) と述べました。
そして、それは私たちの働きの動機が、自分の肉的な損得勘定か、この地に神の平和を広げようとするという御霊の思いかにも関わることで、そのことが、「自分の肉のために蒔く者は、肉から滅びを刈り取り、御霊のために蒔く者は、御霊から永遠のいのちを刈り取るのです」(同6:8) と言われます。
ただ、バブルがはじけたときのように、どんなに誠実に働いても、良い結果が見られない時がありますが、神はあなたの行動を見ておられ、「善を行うのに飽いてはいけません。失望せずにいれば、時期が来て、刈り取ることになります」と保障しておられます。
その結論として、「ですから、私たちは、機会のあるたびに、すべての人に対して、特に信仰の家族の人たちに善を行いましょう」(同6:10) と言われます。なお、信仰の家族が大切なのは、神の平和は、目に見える神の家族の互いの愛の交わりということを通して世に証しされるからです。