エステル9章〜10章「あなたは祝福の基(もとい)となる」

2012年6月17日

「あなたのせいで、何もかも滅茶苦茶になった……」などと言われるのは辛いことです。モルデカイはそのように言われるに値する人だったとも言えましょう。彼が権力者ハマンにもっと柔軟に対処していたら、ユダヤ人を根絶やしするなどという王命が発せられることはなかったかもしれません。

この書では、彼がなぜ王命に背いてまでハマンにひざをかがめずひれ伏そうとしなかったのかの理由は記されていません。彼は同僚から理由を問われても何の答えもせずに一貫した行動を取っていました。彼はどこかで明確な神のみこころを受け止めていたのでしょうが、理由は周りに人にはまったく理解されませんでした。そして、彼の頑固さは、ユダヤ人を絶滅させかけました。

あなたの回りでも、「あなたがクリスチャンになってさえいなければ、すべてまるく収まっていたはず……」などと言われることがあるかもしれません。しかし、私たちはそんな非難を恐れる必要はありません。クリスチャンとして生きるとは、アブラハムへの約束が自分のものとされるということを意味します。

アブラハムは一人で神に従おうと決心しました。それは周りの人には理解されなかったことでしょう。あなたもどこかで一人で神の招きに応答したのではないでしょうか。それも周りの人々には理解されないことでしょう。しかし、そこには次のような約束があります。

「あなたの名は祝福となる。あなたを祝福する者をわたしは祝福し、あなたをのろう者をわたしはのろう。地上のすべての民族は、あなたによって祝福される」(創世記12:2,3)

最初のことばは最新のフランシスコ会訳では「お前は祝福の基(もとい)となる」と訳されていますが、「基」ということばを付加した方が前後関係を明らかにし、「名」ということばを省く方が原文に忠実です。頑固なモルデカイは、ユダヤ人ばかりかペルシャ帝国の「祝福の基」となりました。

あなたも一途にイエスに従おうとするとき、一時的に、「お前のせいで……」と言われるようなことが起きるかもしれません。しかし、最終的には、「あなたのおかげで、みんなが助かった」と言われるような「祝福の基」となることができます。そして、そこに神の民としての交わりが生まれます。

1.「それが一変して……」

9章初めに「第十二の月、すなわちアダルの月の十三日、この日に王の命令とその法令が実施された。この日に、ユダヤ人の敵がユダヤ人を征服しようと望んでいたのに、それが一変して、ユダヤ人が自分たちを憎む者たちを征服することとなった」とありますが、ここでは「それが一変して」(新共同訳では「事態は逆転し」、ESV訳ではthe reverse occurred)ということばが鍵になります。

それは22節では「悲しみが喜びに、喪の日が祝日に変わった月」と記されています。これは紀元前473年の春の頃を指します。エステルがペルシャの王妃とされたのはその六年前の紀元前479年、アハシュエロス王がギリシャとの戦でまさかの大敗北を喫した年の暮でした。その直後、アハシュエロス王暗殺計画がモルデカイの功績によって差し止められました。

しかし、その後、総理大臣の地位に引き上げられたのはユダヤ人の仇敵、アマレク人の王アガグの子孫のハマンでした。アマレク人はエジプト脱出時のイスラエルを呪ったことで、呪われた民となりました(申命記25:17-19)。神はイスラエルの初代王サウルを通してこの民を滅ぼうそうとされましたが、彼の不従順でアマレク人は生きながらえ、サウルの子孫のモルデカイをアマレクの王アガグの子孫のハマンが攻撃するという構図になりました。

そして、エステルが王妃になって四年余りが経った紀元前474年の春の頃、ハマンはユダヤ人モルデカイが自分に対してひざもかがめず、ひれ伏そうとしないのを見て、憤りに満たされ、ユダヤ人絶滅計画を立て王の一任を取り付けました。その際、ユダヤ人を根絶やしにする日を「くじ」(プル)で決めますが、それがその約一年後の第十二の月アダルの十三日に当たりました。

それを聞いたモルデカイは、「着物を引き裂き、荒布をまとい、灰をかぶり、大声でひどくわめき叫びながら町の真ん中に出て行き」(4:1)ましたが、その後の行動は極めて冷静で、王妃となったエステル向かって、「あなたがこの王国に来たのは、もしかすると、このときのためであるかもしれない」(4:14)と、彼女の主体性を尊重しつつも、決死の覚悟を迫りました。

彼女はペルシャ帝国の首都シュシャンに住むすべてのユダヤ人に三日三晩の断食の協力を要請し、三日目に王の前に出てゆきました。この書に、神の名は一度も記されませんが、それからの動きは、まさに神の圧倒的な導きを感じさせます。

王は好意をもってエステルの願いを何度も聞こうとしますが、その一方で、夜眠れない中で、ユダヤ人モルデカイの功績が書かれた記録に心を留めます(6:2、3)。

エステルもモルデカイも、仇敵ハマンに対しては驚くほど冷静に対処しますが、ハマンはモルデカイの冷静さになおも腹を立てて、彼を自分の家の庭の高い木に吊り下げようとしました。

しかし、その間、王もハマンの野心に危機意識を持つようになり、エステルの訴えを聞いたときに即座に、王はハマンが立てさせた木の上に彼を吊るしました。ハマンはモルデカイを呪うことで、呪いを受けたのです。一方、モルデカイは、ペルシャの総理大臣に引き上げられました。

そして、エステルとモルデカイの願いで、ユダヤ人が絶滅されるはずだった日に、ユダヤ人は自分を守るために立ちあがることを許す王命が発布されました。それはハマンが王命を出した二か月後のことでした。

かつてハマンは、「アダルの月の十三日に……子どもも女も、すべてのユダヤ人を根絶やしにし、殺害し、滅ぼし、彼らの家財をかすめ奪え」(3:13)と国中の民に王命を下しましたが、今度はその反対に、「どこの町にいるユダヤ人にも、自分たちのいのちを守るために集まって、彼らを襲う民や州の軍隊を、子どもも女たちも含めて残らず根絶やしに、殺害し、滅ぼすことを許し、また彼らの家財をかすめ奪うことも許した」(8:11)という王命が発布されました。アダルの月の十三日とはそれから約9か月後のこと、過ぎ越しの祭りの一か月前でした。

とにかく、ユダヤ人はその日に根絶やしにされるはずだったのに、「それが一変して」、ユダヤ人に襲いかかる者を根絶やしにすることが許されたのです。

それから9か月間、ユダヤ人に攻撃をしかけようと思う民族は減って行きましたが、それでも、かつてハマンが出した王命を盾にユダヤ人に襲いかかろうとする民族がいなくなったわけではありません。

かつてエステルはモルデカイの命令により自分がユダヤ人であることを隠し続けていました。それは、ユダヤ人に敵対心を持つ民族は数多くいたからです。その代表がハマンの属するアマレク人です。彼らはユダヤ人を滅ぼすことにまさに情熱を傾けていました。そして、王命によって、民族と民族がぶつかる日、アダルの月の十三日が迫ってきました。

2.「彼らは獲物には手をかけなかった」

そして、その日のことが、「その日、ユダヤ人が自分たちに害を加えようとする者たちを殺そうと、アハシュエロス王のすべての州にある自分たちの町々で集まったが、だれもユダヤ人に抵抗する者はいなかった。民はみなユダヤ人を恐れていたからである。諸州の首長、太守、総督、王の役人もみな、ユダヤ人を助けた。彼らはモルデカイを恐れたからである。というのは、モルデカイは王宮で勢力があり、その名声はすべての州に広がっており、モルデカイはますます勢力を伸ばす人物だったからである」(9:2-4)と描かれますが、それと同時に、「ユダヤ人は彼らの敵をみな剣で打ち殺し、虐殺して滅ぼし、自分たちを憎む者を思いのままに処分した」(9:5)とも記されています。それは、この期に及んでも、アマレク人を初めとするユダヤ人敵対勢力が少なからずいたからです。

王命によると、ユダヤ人には自衛のための戦いしか認められてはいませんでしたから、彼らが自分たちの敵を積極的に捜し出したわけではありません。ユダヤ人に襲いかかる人だけを、ユダヤ人は殺すことができましたが、それでも、「ユダヤ人はシュシャンの城でも五百人(男)を殺して滅ぼし」たと記されています(9:6)。

そればかりか、「ユダヤ人を迫害する者ハマンの子十人を虐殺した」と記されます。彼らは、ハマンが出した王命を盾にユダヤ人に襲いかかったのだと思われます。そのような自己防衛の戦において、彼らは王の許可があったにも関わらず、「獲物には手をかけなかった」(9:10)というのです。

王命では、襲いかかって来た者のたちの家族も財産もかすめ奪うことが許されていましたが、ユダヤ人たちはそのような無差別な復讐は思いとどまったのだと思われます。

そのことが王に報告された後、王妃エステルは王の許可を得て、さらなる願いを申し出ます。それは、「あすも、シュシャンにいるユダヤ人に、きょうの法令どおりにすることを許してください。また、ハマンの十人の子を柱にかけてください」(9:13)というものでした。

十人の子はすでに殺されていましたから、彼女は彼らを見せしめにし、ユダヤ人を呪う者は、呪いを受けることを示し、人々のユダヤ人への攻撃心に水を浴びせようとしたのでしょう。

それと同時に、なおユダヤ人に対する攻撃の兆候が残っていたので、徹底的に自己防衛できる日をもう一日延ばすことを願ったという意味だと思われます。それで、「シュシャンにいるユダヤ人は、アダルの月の十四日にも集まって、シュシャンで三百人(男)を殺した」と記されますが、同時にここでも、「獲物には手をかけなかった」と再び描かれます(9:15)。

首都シュシャンには、多数のユダヤ人と共に、ユダヤ人に敵対する民族も多かったので、例外的に、二日間にわたって、徹底的な自己防衛の権利が認められたのです。

一方、他の地方での様子が、「王の諸州にいるほかのユダヤ人も団結して、自分たちのいのちを守り、彼らの敵を除いて休みを得た。すなわち、自分たちを憎む者七万五千人を殺したが、獲物には手をかけなかった。これは、アダルの月の十三日のことであって、その十四日には彼らは休んで、その日を祝宴と喜びの日とした」(9:16、17)と描かれます。広大なペルシャ帝国の中にあるすべての町で、ユダヤ人は自分たちに襲いかかる者たちを殺すことが許され、その数は何と七万五千人にも達しました。

彼らは、ハマンから出された王命を利用して、その日にわざわざユダヤ人に襲い掛かったのですから、アブラハムの子孫を呪うことによって、自ら呪いを招いたと言えましょう。

しかし、ユダヤ人たちは王の許可があったにも関わらず、敵の家族や財産には手を付けませんでした。そして、地方にいるユダヤ人たちは、翌日には、敵の攻撃を恐れる必要もなく、祝宴を開くことができました。

つまり、シュシャンにいるユダヤ人は二日間の防衛戦争をしたため、祝宴の日が十五日になり、地方にいるユダヤ人は、防衛戦争を一日で終えたというのです(9:19)。モルデカイが書いた王命の中心は、「どこの町にいるユダヤ人にも、自分たちのいのちを守るために集まって」(8:11)ということにあり、また、彼らの行動も、「王の諸州にいるほかのユダヤ人も団結して、自分たちのいのちを守り……」(9:16)という自己防衛にありました。

その際ユダヤ人には、襲いかかってきた者たちの「家財をかすめ奪うこと」が許されていましたが、三度に渡って、「獲物には手をかけなかった」と繰り返されています。それは、彼らが言外にある王命の意図を理解したからと言えましょう。

ハマンが出した王命の意図は、「子どもも女も、すべてのユダヤ人を根絶やしにし」ということと同時に「彼らの家財をかすめ奪え」という点にありました。ハマンはユダヤ絶滅計画を実行するために驚くほど多額の私財を投資しました。それは彼らの財産をかすめ奪うことによって回収されることを見込んだからです。

モルデカイが出した命令の文書の趣旨はハマンが書いた文書をある意味で模倣し、それを真逆にすることにありましたから、「彼らの家財をかすめ奪う」ということは、ある意味で、付け足しのような意味しかありません。

中心は、攻撃されるはずだった日に、自己防衛のために団結して、武器を取ることの許可であり、ユダヤ人がもはや迫害を受けることがないようにすることにありましたから、ユダヤ人がこの自己防衛の戦いで経済的な得をすることは本来の趣旨に反することでした。ここでは、あくまでも、ユダヤ人に襲いかかる者が、自滅していったということを強調することにあります。

3.「ハマンがユダヤ人に対してたくらんだ悪い計略をハマンの頭上に返し」

それでモルデカイは、ペルシャ全土にわたって、ユダヤ人に手紙を書き送り、「それは、ユダヤ人が毎年アダルの月の十四日と十五日を、自分たちの敵を除いて休みを得た日、悲しみが喜びに、喪の日が祝日に変わった月として、祝宴と喜びの日、互いにごちそうを贈り、貧しい者に贈り物をする日と定める」ことにしました(9:21,22)。

ここでも、「変わる」ということばに注目する必要があります。この表現は、ダビデの詩篇にもあり、そこで彼は、「あなたは私のために、嘆きを踊りに変えてくださいました。あなたは私の荒布を解き、喜びを私に着せてくださいました」(詩篇30;11)と歌っています。モルデカイもユダヤ人もこのダビデの詩篇を心から歌ったことでしょう。

しかも、この詩篇には「神殿奉献の歌」(フランシスコ会訳)というタイトルがついています。ダビデにとっては、神殿を建てることができるということこそが、何よりも、「嘆きが踊りに変えられた」ことの証しだったからです。

今回の会堂建設に際し、意外な方々からの献金が数多くささげられています。私は牧師として、それぞれの献金の背後にあった「嘆きが踊りに変えられた」というお証しを知ることが許されています。

なお、ほとんどの場合、まだ『踊り』というところまで劇的な解決が見えているわけではありませんが、献金のことを考える心の余裕もないほどに切羽詰った状況にあったことが、このときになって希望が見え始めてきたということは紛れもない事実なのです。

プリムの祭りはこのように「悲しみが喜びに、喪の日が祝日に変わった」ことの記念として祝われるようになりましたが、それは何よりもエルサレム神殿から遠く離れて住む離散のユダヤ人たちの中で、「祝宴と喜びの日、互いにごちそうを贈り、貧しい者に贈り物をする日」として、共同体を建て上げるため用いられました。

とにかく、この祭りは、ユダヤ人にとっての過ぎ越しの祭りに次いで盛大に祝われますが、楽しさの点では最高の祭りです。

そして、この祭りの由来が、このエステル記を要約するかのように、「アガグ人ハメダタの子で、全ユダヤ人を迫害する者ハマンが、ユダヤ人を滅ぼそうとたくらんで、プル、すなわちくじを投げ、彼らをかき乱し、滅ぼそうとしたが、そのことが、王の耳に入ると、王は書簡で命じ、ハマンがユダヤ人に対してたくらんだ悪い計略をハマンの頭上に返し、彼とその子らを柱にかけた……こういうわけで、ユダヤ人はプルの名を取って、これらの日をプリムと呼んだ」(9:24-26)と記されます。

ここでは特に、「悪い計略をハマンの頭上に返し」という表現に注目すべきです。これは単にユダヤ人の敵が滅ぼされたというのではなく、神が、アブラハムに「あなたをのろう者をわたしはのろう」と言われたことが成就したことを意味します。ハマンはユダヤ人に滅ぼされたというより自滅したのです。

この原則は神の民と神の民の敵すべてにあてはまり、黙示録のテーマでもあります。そこでは、神の民が、自分たちの信仰のゆえにこの世の権力者たちから激しい攻撃を受け、非業の死を遂げながら、「聖なる真実の主よ。いつまでもさばきを行わず、地に住む者に私たちの血の復讐をしないのですか」という訴えがなされます(6:11)。それに対し、神は、神の敵がますます傲慢になり、勢力を増し加えるのを、待つよう勧めますが、彼らは最後にハルマゲドンに集結します。その間、神の民は、ただ神と小羊とを賛美し続けます。そして、最後のときに、再臨のキリストが「王の王、主の主」として現れ、神の敵をたちどころに滅ぼしてしまいます。

つまり、黙示録でも、神の民の敵は、ハルマゲドンで自分たちの勝利が近いと大集結したところで、一挙に滅ぼされるのです。それは、ハマンがモルデカイを木にかけると決めたとたんに自滅し、自分も自分の子たちも木に吊るされたというのと同じです。

そして、この記念日に関して最後に、「ユダヤ人は……毎年定まった時期に、この両日は……すべての家族、諸州、町々においても記念され、祝われなければならないとし、これらのプリムの日が、ユダヤ人の間で廃止されることがなく、この記念が彼らの子孫の中でとだえてしまわないようにした」(9:27、28)と記されます。

そして、モルデカイとエステルは、ペルシャ帝国内のすべてのユダヤ人にこの祭りを祝うように命じました。これによって、ユダヤ人の共同体が全世界に広がりながら、同じ祭りを祝うという習慣が生まれました。

ユダヤ人がホロコーストのような悲惨を何度も体験しながらひとつの民として残っているのは、このような神にある逆転を毎年決まった時に祝っているからとも言えましょう。まさに祭りによって、神の民の共同体の絆は固められて行ったのです。

なお10章1節には「アハシュエロス王は、本土と海の島々に苦役(税金)を課した」と記されますが、これは、ギリシャとの戦いで失墜した王の権威がモルデカイの功績によって再び確固とされたということを意味します。

エステルが王妃として就任した年は、ギリシャとの戦いで敗北を喫したときであり、「王は……エステルの宴会を催し、諸州には休日を与えて、王の勢力にふさわしい贈り物を配った」(2:18)という民の懐柔策が必要でしたが、モルデカイの功績で王の権威が回復すると、王は民に遠慮をする必要がなくなりました。

そのことが、「彼(王)の権威と勇気によるすべての功績と、王に重んじられたモルデカイの偉大さについての詳細とは、メディヤとペルシヤの王の年代記の書にしるされているではないか」(10:2)と記されています。

そして、この書の結論では再びモルデカイの功績が、「それはユダヤ人モルデカイが、アハシュエロス王の次に位し、ユダヤ人の中でも大いなる者であり、彼の多くの同胞たちに敬愛され、自分の民の幸福を求め、自分の全民族に平和を語った」(10:3)と描かれます。

エステル記には神の名が一度も出てきませんが、モルデカイもエステルも、自分たちの民族が根絶やしにされるという王命が出されたき、神に向かって必死に叫び、三日三晩の断食を布告して、みんなで神に向かって祈るようにと民を導いたことは確かです。そして、その祈りが聞かれ、ユダヤ人に平和が訪れたとき、彼らはその恵みをユダヤ人が決して代々に渡って忘れることがないようにと二日間の祝日を定めました。そして、この祝日こそ、ユダヤ人の共同体を全世界で堅くする大きな力となっています。

そして、その背後にはアブラハムへの約束があります。ハマンはアブラハムの子孫を呪ったことによって、自分自身が呪われることになりました。アハシュエロス王はアブラハムの子孫を祝福することによって、祝福を受け、ギリシャとの戦争で失墜した王の権威を回復できました。

私たちもこの地にあって、アブラハムの子孫とされていますが、そのことのゆえに様々な迫害を受けることがあるかもしれません。しかし、私たちを呪う者は、それによってハマンと同じようにその呪いを自分の頭上に返してしまうことになります。

一方、私たちを祝福してくださる方々は、それによって神からの豊かな祝福を受けることができます。

そのことをイエスは、「あなたがたがキリストの弟子だからというので、あなたがたに水一杯でも飲ませてくれる人は、決して報いを失うことはありません。これは確かなことです」(マルコ9:41)と言われました。

私たちはキリストの弟子として世の人々を愛し、彼らに仕えるように召されていますが、反対に、他の人の助けを受けることによっても、人々に祝福をもたらすことができます。堂々と自分の信仰を証しながら、世の人々との互いに助け合う関係を築くことが大切です。そのとき私たちは世界にとっての「祝福の基」となることができます。

モルデカイもダニエルもヨセフも異教社会で豊かに用いられましたが、それによって彼らはそれぞれの国々に祝福をもたらしました。

私たちは被害者意識に流されないように気を付ける必要があります。私たちをいじめる者は、それ自身によって自滅に向かっています。私たちに助けの手を差し伸べる者は、そのことによって神からの祝福が約束されています。私たちが自分をキリストの弟子として生きるとき、神は私たちを「祝福の基」としてくださるのです。