NHK大河ドラマでの平清盛は日本の新しい時代を切り開いた純粋でナイーブな人間として描かれています。確かに人間的な魅力を備えていたからこそ、日本の仕組みを変える指導力を発揮できたのでしょうが、人の心は弱いものです。謙遜と思われる人もすぐに傲慢になってしまいます。
今や、「驕る平家は久しからず」などと、傲慢の代名詞のように言われています。そのことばは、平家物語の冒頭で、「おごれる人も久からず、ただ春の夜の夢のごとし。たけき者もついには滅びぬ、ひとえに風の前の塵に同じ」と記されていることに由来します。
私たちは物事がうまく進んでいるときこそ、没落の種が蒔かれているということを常に気を付ける必要があります。いろんなことがうまく行っていることは、確かにそれ自体を喜び、楽しんでいて良いのです。しかし、すべてが神の恵みであることを忘れるとき、自分の力を誇ってしまいます。
今日はハマンというユダヤ人の敵の破滅がどのように始まったかに焦点を合わせたいと思います。彼の愚かな失敗を通して、私たちは謙遜を学ぶことができます。
1.「私が設ける宴会に、ハマンとごいっしょに、もう一度お越しください」
ユダヤ人を絶滅しようとするハマンの計画を覆すために、モルデカイは躊躇するエステルに対して、「あなたがこの王国に来たのは、もしかすると、この時のためであるかもしれない」と励まし、彼女は、「たとい法令にそむいても私は王のところへまいります。私は、死ななければならないのでしたら、死にます」と応答しました(4:14,16)。その際、彼女は、ペルシャの首都にいるすべてのユダヤ人に三日三晩の断食を要請し、自分自身も侍女たちも断食をしました。
そして、5章では、王に召されてもいないのに王のもとに近づく時の様子が、「さて、三日目にエステルは王妃の衣装を着て、王室の正面にある王宮の内庭に立った。王は王室の入口の正面にある王宮の玉座にすわっていた」と描かれます。彼女は既に三十日あまりも王からお呼びがかかっていません。王のご機嫌しだいでは、死刑になる可能性がありました。
ギリシャ語七十人訳では、「王は威光に輝く顔を上げ、怒りに満ちた目で彼女を見つめた。そこで王妃はよろめき、青ざめ、気を失い、前を歩む侍女に倒れかかった。そのとき神は王の心を変えて穏やかにされた」という解説が付け加えられています。それほどに緊張の瞬間だったのです。
ほんの一瞬が分かれ道になりますが、この書はその後の様子を極めて簡潔に、「王が、庭に立っている王妃エステルを見たとき、彼女は王の好意を受けたので、王は手に持っていた金の笏をエステルに差し伸ばした。そこで、エステルは近寄って、その笏の先にさわった」と描かれます。
そればかりか王は上機嫌で、「どうしたのだ。王妃エステル。何がほしいのか。王国の半分でも、あなたにやれるのだが」とまで言って、彼女に対する「好意」を表明します。
バプテスマのヨハネの首をはねたヘロデ・アンテパスも、祝宴で踊りを踊ったヘロデヤの娘に向かって、「何でもほしい物を言いなさい……おまえの望む物なら、私の国の半分でも、与えよう」と言って誓ったと記されていますから(マルコ6:22,23)、これは当時の王が自分の寛大さと権力を示す定型句のようなものだったのかもしれません。そのようなときに、多くの家臣がいる前ですぐに自分の希望を訴えるのは、賢明なことではありません。
それに対しエステルは、自分の願いを申し述べる時期を見計らうために、不思議な提案をします。それは自分の願いを一対一のプライベイトな場で言おうとするよう配慮とも言えましょう。しかし、彼女はそこで、「もしも、王さまがよろしければ、きょう、私が王さまのために設ける宴会にハマンとごいっしょにお越しください」と、王を自分の主催する宴会に招きながら、その場にハマンを同席させるように願ったというのです。
そして、「王とハマンはエステルが設けた宴会に出た」のですが、そこでもエステルは自分の願いを表明することを差し控えました。
「その酒宴の席上、王はエステルに」向かって、「あなたは……何を望んでいるのか。王国の半分でも、それをかなえてやろう」(5:6)と前回と同じようなことを言いました。だいたい、人が自分の寛大さや権威を見せたいと願っているときには、その裏に大きな不安を隠している場合が多くあります。
ですからエステルは、自分の願いを言う時期を遅らせた方が良いと、王のことばから判断したとも解釈できるかもしれません。ただ、最初からハマンを王とともに招いているところからすると、彼女は、王の心と同時にハマンの心を探ろうとしていたとも考えられます。
エステルは慎重にことばを選びながら、「私が願い、望んでいることは、もしも王さまのお許しが得られ、王さまがよろしくて、私の願いをゆるし、私の望みをかなえていただけますなら、私が設ける宴会に、ハマンとごいっしょに、もう一度お越しください。そうすれば、あす、私は王さまのおっしゃったとおりにいたします」と答えます(5:7,8)。彼女は王にとって、自分の名で出された命令を撤回することがどれほど難しいかということを理解していました。
また、ハマンの執念深さと危険性をよく知っていました。彼女は、王の心を和らげることに集中するとともに、ハマンの心を油断させようとしました。彼女は、驚くほどに男の愚かなプライドを熟知していたのではないでしょうか。
「人の望むものは、人の変わらぬ愛(人の誠実さ)である」(箴言19:22)とありますが、自分の願いを訴える前に、相手の心の奥底にある願いに心の耳を傾けようとすることが何よりも大切です。そして、ハマンのような明らかな敵に対しても、その敵の気持ちに寄り添って安心感を与えることこそ、敵に勝利する秘訣と言えましょう。
中国の孫子は、「敵を知り、己を知らば、百戦危うからず」と言いましたが、エステルはそのようなことばが記録され知られるようになるはるか前に、それを実践していたと言えましょう。宴会は敵を知る最大のチャンスとなります。
2.「この進言はハマンの気に入ったので、彼はその柱を立てさせた」
そして、彼女の狙い通り、「ハマンはその日、喜び、上きげんで出て行った」というのです。ところがその帰り道、「王の門のところにいるモルデカイが立ち上がろうともせず、自分を少しも恐れていないのを見て、モルデカイに対する憤りに満たされ」ます。しかし、「ハマンはがまんして家に帰り」ます(5:10)。上機嫌なときは「憤り」を我慢することができるからです。
それにしても、モルデカイはつい昨日まで、荒布をまとい、灰をかぶって、嘆いていたはずです。彼はエステルから依頼された三日三晩の断食の祈りのときを終えて、神のみわざに信頼して、晴れやかな顔を見せていたのかもしれません。それが何よりも、ハマンの気持ちを逆なでしてしまったのでしょう。ハマンはモルデカイが泣いて自分にすがってくることを半ば期待していたのかもしれません。
モルデカイのハマンに対する態度は一貫しています。彼は神の前に泣いてすがることはしても、人に対して卑屈な態度を決して見せません。
ハマンは、「友人たちと妻ゼレシュを連れて来させ」、「自分の輝かしい富について、また、子どもが大ぜいいることや、王が自分を重んじ、王の首長や家臣たちの上に自分を昇進させてくれたことなどを全部彼らに話し」ながら(5:11)、今日の喜びの出来事を、「王妃エステルは、王妃が設けた宴会に、私のほかはだれも王といっしょに来させなかった。あすもまた、私は王といっしょに王妃に招かれている」(5:12)と自慢します。
箴言12章23節には、「利口な者は知識を隠し、愚かな者は自分の愚かさを言いふらす」とありますが、ハマンはエステルの宴会に招かれながら、彼女の心の痛みなどまったく知ろうともしませんでした。ただ、自分の自慢話を妻と友人たちに言い触らすばかりでした。
ただし、自分の自慢をしたがる人に限って、プライドが非常に傷つきやすいものです。それは、両者ともに、自分の価値を、他人の評価によって測ろうとしているからです。
それでハマンは、自分の不満を、「しかし、私が、王の門のところにすわっているあのユダヤ人モルデカイを見なければならない間は、これらのことはいっさい私のためにならない」(5:13)と表現します。
これこそ人間の心理でしょう。どんなに多くの人々の称賛を得ている人でも、たったひとりの批判によって心がなえてしまいます。
それを聞いた、「彼の妻ゼレシュとすべての友人たちは」、彼に向かって恐ろしい提案をして、「高さ五十キュビトの柱を立てさせ、あしたの朝、王に話して、モルデカイをそれにかけ、それから、王といっしょに喜んでその宴会においでなさい」と言います(5:14)。これは、23m、七、八階建ての建物に相当する柱を立てて、モルデカイを殺してさらし者にするという残酷な提案です。
妻と友人たちは、ハマンに自分の権威を最大限に用いて、目の前の懸念材料を消すことを勧めました。しかし、これは実に愚かな提案です。人の上に立つ者は、何よりも人々の中傷や誤解に耐えることが求められます。なぜなら、批判者を排除してしまうなら、都合の良い情報しか聞こうとしないという姿勢を内外にアピールし、自分のまわりにある様々な懸念材料に盲目になってしまうことになるからです。
ところが、有頂天になり、ますます愚かになってしまったハマンには、その危険がまったくわかっていません。彼は批判者を消そうとすることによって自滅への道を大きく踏み出してしまったのです。そのことが、「この進言はハマンの気に入ったので、彼はその柱を立てさせた」と、愚かなプライドに囚われた彼の愚かな決断が記されます。
箴言26章27節には、「穴を掘る者は、自分がその穴に陥り、石をころがす者は自分の上にそれをころがす」と記されますが、ハマンは自分が立てさせた柱に、自分がさらし者にされることなど思いもよらなかったことでしょう。しかし、批判者の口を閉じようとする人は、自滅に踏み出しています。それは歴史の常と言えましょう。
3.「ハマンは嘆いて、頭をおおい、急いで家に帰った」
ハマンが高い柱を立てさせたとき、モルデカイの命は風前の灯になってしまいました。しかし、6章の冒頭では、「その夜、王は眠れなかったので、記録の書、年代記を持って来るように命じ、王の前でそれを読ませた」と描かれます。エステル記には神の名が一度も出てきませんが、主は、夜の間に、不思議な方法ですべてを逆転させる方向へと、王の心を動かされたのです。
詩篇77篇4-6節には、主に向かっての、「あなたはこの目のまぶたを開いたままにさせる。私は混乱し、話すこともできない。私は、昔の日々、遠い昔の年々を思い返し……私の霊は、答えを探り求める」という祈りがありますが、神は異教徒の王の心に同じような混乱と探究心を起こされました。
そして、王の秘書官が昔の記録を読み上げている中に、「入口を守っていた王のふたりの宦官ビグタナとテレシュが、アハシュエロス王を殺そうとしていることをモルデカイが報告した、と書かれてあるのが見つかった」というのです。それを聞いた王は、 「このために、栄誉とか昇進とか、何かモルデカイにしたか」と尋ねましたが、「王に仕える若い者たち」は、「彼には何もしていません」と答えました(6:3)。
ここでは、「彼には」ということばが印象的です。なぜなら、この事件で誰よりも大きな昇進を果たしたのは皮肉にも、モルデカイではなく、ユダヤ人の最大の敵ハマンであったからです。王はこのときになって初めてモルデカイの名を耳にしたのではないでしょうか。
そのとき、「ちょうど、ハマンが、モルデカイのために準備した柱に彼をかけることを王に上奏しようと、王宮の外庭に入って来た」というのです。王はハマンを招き入れて、「王が栄誉を与えたいと思う者には、どうしたらよかろう」(6:6)と尋ねました。それに対し、「ハマンは心のうちに」、「王が栄誉を与えたいと思われる者は、私以外にだれがあろう」と思いました。
それで彼は、自分がして欲しいことを思い浮かべながら、「王が栄誉を与えたいと思われる人のためには、王が着ておられた王服を持って来させ、また、王の乗られた馬を、その頭に王冠をつけて引いて来させてください。その王服と馬を、貴族である王の首長のひとりの手に渡し、王が栄誉を与えたいと思われる人に王服を着させ、その人を馬に乗せて、町の広場に導かせ、その前で『王が栄誉を与えたいと思われる人はこのとおりである』と、ふれさせてください」(6:7-9)と、途方もないことを言いました。
「王服」を着て、王だけが乗ることができるはずの王冠をつけた馬に乗るとは、人々の前に自分を王とすることに他なりません。彼はそれがどれほど危険な提案かを理解していたのでしょうか。彼はそれによって自分は、王に取って代わろうとするということをアピールすることになるのです。しかし、心が高ぶってしまった彼にはその危険が見えなくなっていました。
箴言16章18節には、「高ぶりは破滅に先立ち、心の高慢は倒れに先立つ」と記されていますが、高慢になると、周りの人の気持ちが理解できなくなり、自分に押し寄せる危険も見えなくなります。高慢とは、何よりも、見るべきものを見なくなることに他なりません。
高慢にならないとは、決して、自分の能力や知恵を過小評価することでもなく、また、遠慮深くなりすぎるでもありません。高慢の根本とは、創造主のみわざが見えなくなるとともに、人の価値や尊厳が見えなくなることです。
ハマンは王の心も見えなくなっていました。ただし、自分の能力を最大限に生かし、堂々と自分の意見を表明できることは大切なことです。それは決して傲慢になることではありません。
そこに、ハマンにとっては耳を疑いたくなるようなことが王の口から告げられます。それは何と、自分に与えられると思った報酬がそのまま、自分が心から憎んでいるモルデカイに与えられなければならないという趣旨で、「あなたが言ったとおりに、すぐ王服と馬を取って来て、王の門のところにすわっているユダヤ人モルデカイにそうしなさい」(6:10)という命令でした。
そればかりか、王は、彼の心を見透かしたような皮肉を込めて、「あなたの言ったことを一つもたがえてはならない」と付け加えました。これは王が、ハマンの傲慢さを不愉快に思い、彼に見切りをつけたという気持ちを表しているとも言えましょう。愚かな王にでも、ハマンの危なさが見えたことでしょう。
それにしても、これによってハマンが自分に与えられると思っていた恩賞を、彼自身が憎み切っているユダヤ人モルデカイの上に、ひとつもたがえずに実現させなければならないということになりました。
ハマンはモルデカイが自分を恐れようともしないということに腹を立てていたのですが、ハマンは皮肉にも、自分の蒔いた種によって、人々の前でモルデカイを自分にとっての主人であるかのように紹介せざるを得なくなったのです。
「それで、ハマンは王服と馬を取って来て、モルデカイに着せ、彼を馬に乗せて町の広場に導き」、その前で「王が栄誉を与えたいと思われる人はこのとおりである」と叫ばざるを得なくなりました(6:11)。
その後のふたりのことが対照的に、「それからモルデカイは王の門に戻ったが、ハマンは嘆いて、頭をおおい、急いで家に帰った」と描かれます(6:12)。
モルデカイはつい二日前まで、荒布をまとい、灰をかぶって嘆いていたのに、今は、王服を着て、王の馬に乗るということになりました。ハマンとモルデカイの立場の逆転が、象徴的に描かれています。
そして、その後のことが、「そして、ハマンは自分の身に起こった一部始終を妻ゼレシュとすべての友人たちに話した。すると、彼の知恵のある者たちと、妻ゼレシュは彼に」、「あなたはモルデカイに負けかけておいでですが、このモルデカイが、ユダヤ民族のひとりであるなら、あなたはもう彼に勝つことはできません。きっと、あなたは彼に負けるでしょう」と言ったというのです(6:13)。
これは不思議な展開です。彼らは先には、ユダヤ人モルデカイを十字架にかけるように進言したはずなのに、ここでは、ユダヤ民族には勝つことができないと語っているからです。なお、このことばは、主ご自身がハマンの妻ゼレシュの口を通して語られた真理とも言えましょう。
しかし、妻や友人たち自身も、自分たちの立場が非常に危うくなっていることに焦りを覚えたのは確かでしょう。モルデカイは誰にも取り入ろうとせず、誰をも陥れようともしていません。彼は、自分の手柄によってクーデター計画が未然に塞がれ、王の命が守られたということを自慢もしていなかれば、自分に恩賞がなかったことの不満を訴えてもいません。
彼はあらゆる意味で、ハマンとは対照的な生き方をしています。そして、彼がユダヤ人絶滅計画を差し止めるためにしたことの中心は、荒布をまとい、灰をかぶって、主に嘆きながら訴えたということだけです。
人々はエステルとモルデカイの結びつきのこともほとんど知りません。ですから彼らに目に映ったのは、ユダヤ人の神は、ユダヤ人の願いに耳を傾け、道を開いてくださる方であるという一点だけです。
私たちにとっても最大の証しとは、主を信じることによって自分がこんな大きなことができるようになったと、自分の働きをアピールすることではなく、人々の前でも恥じることなく、主にすがっている姿勢を見せることでしょう。
そのような状況下で、「彼らがまだハマンと話しているうちに、王の宦官たちがやって来て、ハマンを急がせ、エステルの設けた宴会に連れて行った」と次の展開が描かれます(6:14)。
ハマンは王の宦官に急かされながら、失意のうちに、エステルの宴会に向かって行きます。そして、そこにハマンの滅亡が待っていました。
ハマンとモルデカイはいろんな意味で対照的な人物です。彼らの対比は、箴言18章12節に、「人の心の高慢は破滅に先立ち、謙遜は栄誉に先立つ」と記されている通りです。ただ、しばしばクリスチャンは謙遜ということばを誤解している場合があります。それは決して、自分を卑下したり、自分の能力を過小評価することではありません。モルデカイは、恩賞を受けられなくても不平を言いませんでしたが、同時に、ハマンの前に決して卑屈になろうともしていません。
一方、ハマンは、王妃の宴会に王と共に招かれたという自分の功績でもないことまでをも自慢の種にし、エステルの気持ちを洞察することができなかったばかりか、王の心に疑念を抱かせるような恩賞を平気で求めようとしてしまいました。
この書には、ひとことも神のみわざが明確には記されていません。しかし、神のみわざは、ハマンが高慢になるのにまかせたことの中に現されています。人が有頂天になっているとき、神のさばきが用意されているのかもしれません。
ただし、傲慢も謙遜も、神と自分、人と自分という関係の中でしか測ることができない概念です。謙遜に振る舞うという人の目を意識した生き方が謙遜なのではありません。
私たちはだれも、人の評価が気になります。しかし、それを感じることと、それに動かされることはまったく別のことです。ハマンは、モルデカイが自分を恐れないことに腹を立て、策を立てることによって、自滅への道を踏み出してしまいました。私たちの心の中にも、ハマンのような愚かさが宿っています。ハマンの失敗から学ぶことができる者は幸いです。