2012年1月22日
日本人は過去を水に流してまったく新しい歩みを始めるということが得意ですが、そこには大きな危険も伴います。
デフレ経済の中で今から約80年前の高橋是清の財政政策が見直され、また昨年の東日本大震災では現在の東京の都市計画の基礎を関東大震災の直後に作った後藤新平が見直されています。そして今、NHK大河ドラマでは、世界史でもユニークな朝廷と武家の二重政権の基礎を築いた平清盛の功績が見直されています。日本は今、少子高齢化、デフレ経済、膨大な財政赤字などで世界の最先端を走っていますが、日本の歴史の中にもユニークな発想で危機を乗り越えたリーダーがいました。
しかし、日本ではそのような人々のユニークな発想はいつもその後の人々によってつぶされてきました。それは、過去の記憶を忘れるのがあまりにも得意すぎるからではないでしょうか。それに対して、聖書の世界では、何よりも、歴史が尊重されます。しかも、そこには夢が世代を超えて受け継がれるという記録が見られます。
ネヘミヤはユニークな発想でイスラエルを導いた強力なリーダーでしたが、彼は何よりも、神の恵みの歴史に基づいた夢を掲げていました。申命記30章9節にはバビロン捕囚後の夢が、「主は、あなたの先祖たちを喜ばれたように、再び、あなたを栄えさせて喜ばれる」と記されています。自己犠牲を訴えることも時には大切ですが、人々を導くのは歴史に基礎を置いた夢ではないでしょうか。
1.「私の神は、私の心を動かして・・・彼らの系図を記載するようにされた」
7章初めでは、エルサレム城壁完成直後の様子が、「城壁が再建され、私がとびらを取りつけたとき、門衛と、歌うたいと、レビ人が任命された。私は、兄弟ハナニと、この城のつかさハナヌヤとに、エルサレムを治めるように命じた」(7:1、2)と描かれます。
ハナニとは、1章2節では、ペルシャの王宮に仕えていたネヘミヤに最初にエルサレムの悲惨を伝えた人でした。またハナヌヤについては「誠実な人」で「神を恐れていた」と記されています。
ネヘミヤはエルサレムの指導体制をこれによって固めたのでしょう。その上で彼は、ふたりに、「太陽が高く上って暑くなる前に、エルサレムの門をあけてはならない。そして住民が警備に立っている間に、門を閉じ、かんぬきを差しなさい・・それぞれの見張り所と自分の家の前に見張りを立てなさい」と言いました(7:3)。
これはエルサレムの城壁の門を開く時間を短くすることによって敵の攻撃や内部を攪乱する敵のスパイの侵入を防ぐためでした。
その上で、「この町は広々としていて大きかったが、そのうちの住民は少なく、家もまだ十分に建てられていなかった」(7:4)と当時の状況が描かれますが、城壁が完成した今、いよいよ新たな発展を望むことができます。
そして、ネヘミヤは「私の神は、私の心を動かして、私がおもだった人々や、代表者たちや、民衆を集めて、彼らの系図を記載するようにされた」(7:5)と記しますが、これは彼が、2章12節で、「私の神が、私の心を動かしてエルサレムのためにさせようとされることを、私はだれにも告げなかった」と記していることと基本的に同じです。彼は何よりも、神の御前に静まり、神が自分の心を動かしてくれることに忠実であろうとしました。
なお、しばしば、「御霊の導きで示されて・・」と言いながら、自分の直感に頼っている場合がありますが、ネヘミヤの場合は、神に心を動かされるということと、現実を正確に理解するということは車の両輪のように切り離せない関係にありました。
当時のイスラエルの民にとって、系図の記録は神の契約を受け継がせるという意味を持っていました。信仰は極めて個人的なことですが、それは同時に親から子へと受け継がれてゆくものでもあるからです。
私たちの時代は信仰の継承における親の権威があまりにも軽くなりすぎている気がします。それは教会においても同じです。それぞれの教会には神の特別な導きがあります。教会の歴史を知り、それを尊重することは非常に大切です。
そのような中でネヘミヤは、「私は最初に上って来た人々の系図を発見し、その中に次のように書かれているのを見つけた」と記します。これは彼にとって90年前の記録です。それは日本が1918年の第一次世界大戦終結を通して先進国の仲間入りをし、1923年の関東大震災後の帝都復興計画による復興の記録を振り返るようなものです。
ネヘミヤはその記録を見ながら、そこにあった恵みと同時に、そこから始まった問題に関して思いを巡らしたのではないでしょうか。詩篇126篇にはその時の感動が、「主がシオンの繁栄を元どおりにされたとき、私たちは夢を見ている者のようであった。そのとき、私たちの口は笑いで満たされ、私たちの舌は喜びの叫びで満たされた」と記されています。
しかし、それは夢が破れる始まりでもありました。人々はすぐに自分の生活のことで心が一杯になり、民の間の経済格差が広がり、民の一致が乱れ、城壁の再建がまったくできなくなりました。
ネヘミヤは当時を振り返りながら、あるべき原点に立ち返ろうとしていたのです。今から90年前の日本もそこから金融恐慌、満州進出、第二次大戦へと坂道を転がるように落ちてゆきました。
しかし、私たちはすべてを否定するのではなく、復興計画を主導した後藤新平や、大恐慌からの復興を導き、緊縮財政で軍部の反発を受け1936年の2・26事件で倒れた高橋是清など、当時の高潔な政治家たちが夢見ていたことも思い起こす必要があります。
2.系図の意味と、系図を失った人の末裔
そして、6節から72節までのことばは、エズラ2章の記事とほとんど同じです。一族の呼び名や数字に若干の違いがある箇所がありますが、それは記者がいつどこで書いたかの違いから生まれる誤差と言えましょう。同一の出来事に関して敢えてふたつの記録が残され、それがほとんど同じであること自体が、何よりも驚くべきことです。
そこでまず最初のエルサレム帰還者のリストが、「バビロンの王ネブカデネザルが引いて行った捕囚の民で、その捕囚の身から解かれて上り、エルサレムとユダに戻り、めいめい自分の町に戻ったこの州の人々は次のとおりである。ゼルバベルといっしょに帰って来た者は、ヨシュア、ネヘミヤ・・・」(7:6、7)と記されます。ネヘミヤにとってゼルバベルとかヨシュアは神殿建設を導いた偉人、模範となるべき人だったのではないでしょうか。
なお、ここに記されるネヘミヤは、ネヘミヤ記のネヘミヤの祖先であったのかもしれません。彼はこの系図を見ながら、改めて自分の使命を自覚したことでしょう。彼は自分をここに登場するリーダーの後継者として位置付けていました。
そして、8-38節はエルサレムに帰還した一般のユダヤ人たちの氏族ごとの帰還者の人数です。39-42節には祭司たちが記されますが、その合計は4,289人で帰還者の約一割に相当します。バビロンの地に捕囚とされながらこれほど多くの祭司たちがエルサレムに帰還できたということは驚きです。
祭司でもあった預言者エゼキエルの例にも見られるように、彼らは捕囚の民の中にあって、聖書の教えに真剣に立ち返り、バビロン捕囚の中に神のさばきとともに希望を見出し、神の民としてのアイデンティティーを保つ要となっていました。
興味深いのは、「宮に仕えるしもべたち」(46-56節)と、「ソロモンのしもべたち」(57-60節)の部族の名が具体的に記されていることです。神は、隣人愛を、血筋を越えて在留異国人にまで広げてくださっていました。
ただ、61-65節には、「先祖の家系と血統」を明確に「証明することができなかった」人々のことが記されています。62節にはトビヤ族の名が出ていますが、ネヘミヤの仇敵トビヤはその族長の子孫だったかと思われます。彼がユダの貴族たちと親しくしながら、エズラやネヘミヤの働きを徹底的に妨害しようとしたのは、この負い目があったからと考えると納得できます。なおこの家系を証明できることは、特に、祭司職を果たすためには重要な基準でした。
それにしても、彼らの名が在留異国人の後に記されていることは興味深いことです。私たちの場合は、系図を記録することよりも、自分たちが主から受けた恵みの契約を、子孫たちに伝えるということの責任が問われています。ただし、ここでは、家系図を失っていた人たちがエルサレムに帰還する者の仲間から外されたというわけでも、また、系図の見つからない祭司が、永遠に排除されたというわけでもないことも覚える必要があります。
その上で、「全集団の合計は四万二千三百六十名であった」(66節)と記されながら、それに加えて、「このほかに、彼らの男女の奴隷が七千三百三十七名いた。また彼らには男女の歌うたいが二百四十五名いた」(67節)と記されますが、これはこの集団の豊かさを表します。
「男女の歌うたい」とは、44節にあった神殿の聖歌隊とは異なり、葬式や結婚式、余興のための要員です。この集団は五十年前には奴隷に近い状態でバビロンに引っ張られて行ったことを思えば何という恵みでしょう。これはかつての、出エジプトのときと似ています。
それに応答するように、「一族のかしらの何人かは、工事のためにささげ物をした・・」としながら、エズラ記の場合とは異なり、総督、一族のかしら、そのほかの民のささげものと区分けして描かれます。
エズラ記ではこれらの合計が、「金六万一千ダリク、銀五千ミナ」(2:69)と記されていました。これは現在の数十億円に相当します。彼らは着の身着のままでバビロンに連行されながら、50年後には捕囚の地で豊かになって帰ってきたのです。
最後に、「こうして、祭司、レビ人、門衛、歌うたい、民のある者たち、宮に仕えるしもべたち、およびすべてのイスラエル人は、自分たちのもとの町々に住みついた」(72節)と記されますが、これはまさにイザヤやエレミヤの預言が成就したことを示します。
預言者エレミヤは、バビロン捕囚として連行されたユダヤ人に向かって、敵国に根をおろし、敵国の繁栄のために祈ることが、かえってエルサレムへの帰還の近道となると言いました(29:5-7)。
不思議にも、50年間のバビロン捕囚を通してイスラエルの民は豊かにされました。しかし、エルサレムに帰ってからの90年間は、夢が破れ、問題が山積して行きました。
ネヘミヤの改革はその悪循環を断ち切ったのです。逆境の中の方が人間は成長します。日本も戦後の復興を成し遂げた後で、夢が破れるプロセスに入りました。
3.「民はみな・・・大いに喜んだ。これは、彼らが教えられたことを理解したからである」
7章72節の最後の文章からはこのエルサレムへの最初の帰還から約90年余り後の城壁完成後の記述です。「イスラエル人は自分たちの町々にいたが、第七の月が近づくと、民はみな、いっせいに・・・集まって来た」という記述は、エズラ記3章とまったく同じ表現です。
そこではエルサレムへの最初の帰還の様子が描かれた後、皆がそろってエルサレム神殿のあった場所に集まり、神の祭壇を築き、全焼のいけにえをささげ、仮庵の祭りを祝い、神殿の礎を据えた様子が描かれていました。それはエルサレムに帰還できたことを心から喜ぶ祝いの機会でもありました。
それに対して、ここのテーマはエルサレム城壁の完成の祝いという意味があります。城壁の完成はエルルの月、つまり第六の月の二十五日でしたから、これはその五日以内のことです。
第七の月の第一日は「ラッパを吹き鳴らして記念する聖なる会合」の日で(レビ23:24)、後のイスラエルではそれが一年の始まりの日、元旦とされました。そして、その十日は民全体のための大贖罪の日、十五日から仮庵の祭りが始まりました。つまり第七の月はイスラエルにとって再出発を記念する月だったのです。
ただここでは集会の場が、「水の門(Water Gate)の前の広場」となっています。それは城壁の外にあるギホンの泉に最も近い門であったかと思われます。これは城壁の完成を祝うという意味では最もふさわしい場所だったからだと思われます。
ただ同時に、ここではその後の展開が、「彼らは、主(ヤハウェ)がイスラエルに命じたモーセの律法の書を持って来るように、学者エズラに願った」(8:1)と記されます。それは、律法の朗読と解き明かしが、民の生活の場の中心で語られたという意味でもあります。
かつてエルサレムに最初に戻ってきた人々にとっての最大の課題は神殿再建と礼拝の復興でしたが、ここでのテーマは、神の民の共同体としての再建でした。
ネヘミヤは城壁工事の真っ最中に、貧しい人々の訴えに真剣に耳を傾けて、民の貧富の格差の是正のための大きな決断を導きましたが、その連続性がここにあるのでしょう。
なお、この13年前の記録がエズラ記10章9節に記されています。そこではすべてのイスラエルの男性が神の宮の前の広場に集められ、大雨に震えながら、外国の女をめとった者たちへの悔い改めが強く迫られていました。
しかし、この集会の場は、水の門の前であり、秋の麗しい日差しのもとで、女性も子供も集い、みなが心から神のみことばを聞こうとしていました。
その様子が、「そこで、第七の月の一日目に祭司エズラは、男も女も、すべて聞いて理解できる人たちからなる集団の前に律法を持って来て、水の門の前の広場で、夜明けから真昼まで、男や女で理解できる人たちの前で、これを朗読した。民はみな、律法の書に耳を傾けた」(8:2、3)と描かれます。
ここではエズラの祭司としてのリーダシップが強調されながら、その直後に、「学者エズラは、このために作られた木の台の上に立った」(8:4)と、彼が民に律法の内容を解き明かす学者とも呼ばれていることは興味深いことです。彼のそばには、右手に六人、左手に七人が立っていました。彼らは交代しながら聖書を朗読したのでしょう。
そしてそこでの様子が、「エズラはすべての民の面前で、その書を開いた・・彼がそれを開くと、民はみな立ち上がった。エズラが大いなる神、主(ヤハウェ)をほめたたえると、民はみな、手を上げながら、「アーメン、アーメン」と答えてひざまずき、地にひれ伏して主(ヤハウェ)を礼拝した」(8:5、6)と描かれます。
7節には再び別の13人のレビ人の名が記されますが、彼らは「民に律法を解き明かした」(8:7)と記されます。それは読まれたヘブル語を当時の民の言葉のアラム語に翻訳することだったかもしれませんし、読まれた箇所の短い解説だったかもしれません。
その結果が、「彼らが神の律法の書をはっきりと読んで説明したので、民は読まれたことを理解した」(8:8)と記されます。仏教のお経の例にあるように、しばしば宗教の聖典は、理解されることよりも正確に朗読されること自体に意味を持たせようとする場合がありますが、ここでは「民は・・理解した」ということが強調されています。
そのような中で、「総督であるネヘミヤと、祭司であり学者であるエズラと、民に解き明かすレビ人たちは、民全部に向かって」、「きょうは、あなたがたの神、主(ヤハウェ)のために聖別された日である。悲しんではならない。泣いてはならない」と言いました(8:9)。それは「民が律法のことばを聞いたときに、みな泣いていたから」だと言うのです。
律法の終わりの部分には、神の御教えを軽蔑した者に対する恐ろしいさばきが記されています。それがバビロン捕囚として成就しました。民はその歴史を思い起こしながら泣いていたのでしょう。
それにしても、ネヘミヤとエズラとレビ人たちがひとつ思いになって民を導いているという姿は感動的です。これこそ御霊のみわざです。
その上でネヘミヤは、「行って、上等な肉を食べ、甘いぶどう酒を飲みなさい。何も用意できなかった者にはごちそうを贈ってやりなさい。きょうは、私たちの主のために聖別された日である。悲しんではならない」と言いました(8:10)。
何も用意できなかった者に対する配慮までが記されていることは、まさにネヘミヤらしいことばです。
なお、最後のことばは、新改訳の別訳のように「主(ヤハウェ)を喜ぶことは、あなたがたの力であるから」と訳す方が一般的です。レビ記でも申命記でも、主ののろいが実現した後に、主の祝福のときが始まると記されていました。過去の反省も大切なのですが、それ以上に大切なのは、主が私たちの罪にも関わらず、私たちを赦し、回復させてくださったということを覚えることです。
深く反省して行動を改めるというのは、この世の道徳律での常識です。しかし、聖書の教えの核心は、人間の教えを超えた神のみわざに目を留めることです。彼らはこのとき新しい神の民の共同体として再出発するときでした。ですから、彼らに必要なのは、何よりも、主を喜ぶことだったのです。
そして、その結果が、「こうして、民はみな、行き、食べたり飲んだり、ごちそうを贈ったりして、大いに喜んだ。これは、彼らが教えられたことを理解したからである」(8:12)と記されます。「理解した」ということばが8節と同じように用いられていることに注目したいと思います。
このときの民は、真剣に律法の朗読と解き明かしに耳を傾けました。そして、「心から聞く」ことこそが律法の核心です。イエスは律法の核心を、申命記6章4節を引用しながら、「イスラエルよ。聞け」という部分から読まれました(マルコ12:29)。「聞きなさい」(シェマー)という部分を省略して神の命令を語ることは、律法の核心を歪めることになります。
4.「捕囚から帰って来た全集団は・・仮庵に住んだ・・それは非常に大きな喜びであった」
「二日目に、すべての民の一族のかしらたちと、祭司たち、レビ人たちは、律法のことばをよく調べるために、学者エズラのところに集まって来た」(8:13)とは、民の指導者たちが自分から積極的に聖書を学ぶ姿勢を持つようになったということを示します。その中で彼らは、「主(ヤハウェ)がモーセを通して命じた律法に、イスラエル人は第七の月の祭りの間、仮庵の中に住まなければならない」と書かれているのを見つけ出します(8:14)。
これは仮庵の祭りを祝うことに関しては、ソロモンの神殿が完成したときにも、また最初のエルサレム帰還の民も大々的に祝ったということが記されています(Ⅱ歴代8:13、エズラ3:4)。しかし、実際に仮庵を作って住むということは忘れられていたのでしょう。
それを聞いた民の指導者たちは、「自分たちの町々とエルサレムに」、「山へ出て行き、オリーブ、野生のオリーブの木、ミルトス、なつめやし、また、枝の茂った木などの枝を取って来て、書かれているとおりに仮庵を作りなさい」というおふれを出しました(8:15)。
仮庵を作る材料はすべて土地の豊かさを現す植物です。それはレビ記23章39-43節に記されていますが、そこでは何よりも、「七日間、あなたがたの神、主(ヤハウェ)の前で喜ぶ」ことが命じられていました。申命記の並行個所でも、「あなたは大いに喜びなさい」(16:15)と命じられています。
そこで「民は出て行って、それを持って帰り、それぞれ自分の家の屋根の上や、庭の中、または、神の宮の庭や、水の門の広場、エフライムの門の広場などに、自分たちのために仮庵を作った」というのです(8:16)。
そして、「捕囚から帰って来た全集団は、仮庵を作り、その仮庵に住んだ。ヌンの子ヨシュアの時代から今日まで、イスラエル人はこのようにしていなかったので、それは非常に大きな喜びであった」(8:17)と、これがヨシュアに導かれて約束の地に入ってきて以来の大きな出来事であると描かれます。
これは先に述べたようにイスラエルの民が、まったく仮庵の祭りを祝ってこなかったという意味ではなく、このように本格的な、律法通りの仮庵に住むという形では守ってこなかったという意味です。
そして、最後に、「神の律法の書は、最初の日から最後の日まで、毎日朗読された。祭りは七日間、祝われ、八日目には定めに従って、きよめの集会が行われた」(8:18)と記されます。
エズラ記以前の記述では、祭りにおけるいけにえの量に焦点が合わされていましたが、ネヘミヤでは何よりも聖書の朗読に耳を傾けるということと、主を喜ぶということに焦点が合わされています。不思議に今回の箇所では、民の側からのいけにえをささげるという犠牲に関しては何も書かれずに、聖書朗読を聞き、みことばを学び、主を喜ぶということばかりが強調されています。
そして、それこそバビロン捕囚から帰還した民にとっての礼拝の特徴になったのだと思われます。それこそ新約における礼拝への橋渡しになる礼拝です。
「主(ヤハウェ)を喜ぶことは、あなたがたの力である」(8:10別訳)とありますが、「主を喜ぶ」とは、何よりも、主の恵みのみわざを思い起こすことと同時に、主が約束しておられる将来への「夢」を思い描くことから生まれるものです。聖書を読むことによって、神がこの世界の歴史を完成へと導いておられることが見えてきます。
そして、それはひとりひとりの人生に関しても適用できることです。あなたの人生に現された神の恵みの歴史を繰り返し思い起こしましょう。そしてそこから将来への夢を思い描きましょう。それこそ神の民の「力」の源泉です。
自分の無力さに圧倒されるような時こそ、「主を喜ぶ」という信仰の原点に立ち返り、将来に対する主の約束を生き生きと思い描いてみましょう。現実に根差した夢を持っている人は、閉塞感に満ちた世界を変える力を持っています。