ネヘミヤ1章〜2章「神の恵みの御手が働くとき」

2011年11月27日

私たちの人生は、なかなか思い通りには進みません。そのような中で、多くの信仰者は、伝道者の書の3章に、「すべてには季節があり、天の下のすべての営みには時がある・・崩すのに時があり、建てるのに時がある。泣くのに時があり、笑うのに時がある・・・求めるのに時があり、失うのに時がある・・黙るのに時があり、話すのに時がある・・私は見た…神がすべてをご自身の時に美しくしておられるのを」(1-11私訳)(新改訳「神のなさることは、すべて時にかなって美しい」)と記されていることに慰めを見出しています。

エルサレムにユダヤ人たちの期間が許されたのは紀元前538年、神殿が再建されたのは紀元前516年です。本来なら、そのときにエルサレムの城壁も再建されているべきはずでした。そしてエズラがエルサレム来て信仰復興を導いたのは紀元前458年でしたが、少なくともそのときには城壁の再建に大きな動きがあっても良いはずでした。ところが神がネヘミヤを遣わして城壁の再建に着手させたのはそれから13年後の紀元前445年のこと、何とユダヤ人のエルサレム帰還から93年もたってのことでした。

しかし、ネヘミヤがペルシャの王に訴え出てから半年もたたないうちに城壁は再建されます。まるでどこかの教会の会堂建設の話のように、もう無理かと思われたことが急に動き出すということがあるものです。神の御手が押してくださるときに、閉ざされていた道が、次々と開かれて行くという不思議を見ることができます。

1.私は今、あなたのしもべイスラエル人のために、昼も夜も御前に祈り・・・

著者ネヘミヤは、ペルシャの王アルタシャスタの「第二十年」(紀元前445年)の「キスレウの月」(過ぎ越しの祭りから第九の月、現在の11,12月頃)、ペルシャの首都である「シュシャンの城」にいたと記されます(1:1)。

そのときのことですが、「親類のひとりハナニが、ユダから来た数人の者といっしょにやって来た」ので、ネヘミヤは「捕囚から残ってのがれたユダヤ人とエルサレムのことについて」尋ねました(1:2)。すると、彼らは、「あの州の捕囚からのがれて生き残った残りの者たちは、非常な困難の中にあり、またそしりを受けています。そのうえ、エルサレムの城壁はくずされ、その門は火で焼き払われたままです」と答えました(1:3)。

エズラ4章21、23節による、ペルシャの王アルタシャスタは即位して間もなくユダヤ人の敵の訴えを聞いて、新たな命令を出すまでは工事を差し止めるようにと命じましたが、そのときユダヤ人の敵たちは「武力をもって彼らの働きをやめさせた」とあるように、再建した部分までも破壊してしまったのだと思われます。

その後、王は、立場をまったく逆にして、祭司エズラに全権を与えて再建されたエルサレム神殿を中心とした信仰復興を助けました。ネヘミヤのこのときはすでにそれから13年間が経過していましたから、エルサレムの城壁の再建も進んでいると期待できたはずだったのに、実際は、なお廃墟のままに置かれていたというのです。

彼はそれを聞いたとき大きな衝撃を受け、「すわって泣き、数日の間、喪に服し、断食して天の神の前に」、次のように祈りました(1:4)。

彼はまず、「ああ、天の神、主(ヤハウェ)。大いなる、恐るべき神。主を愛し、主の命令を守る者に対しては、契約を守り、いつくしみを賜る方。どうぞ、あなたの耳を傾け、あなたの目を開いて、このしもべの祈りを聞いてください」(1:5、6)と恐れをもって呼びかけます。

ここでは、神の民に求められていたはずのことが「主を愛し、主の命令を守る」と記され、主が何よりも私たちとの愛の交わりを求めていることが明らかになります。

そのうえで、自分が民を代表する者であるかのように、「私は今、あなたのしもべイスラエル人のために、昼も夜も御前に祈り、私たちがあなたに対して犯した、イスラエル人の罪を告白しています」(1:6)と述べます。

ペテロはすべてのキリスト者に向かって、「あなたがたは・・王である祭司・・です」(Ⅰペテロ2:9)と言いました。そこからプロテスタントの共通信条である「万人祭司」ということばが生まれました。日本のため、また様々な共同体のためにとりなしの祈りをささげるのは、聖職者の務めではなく、すべてのキリスト者に与えられた特権なのです。日本の政治の不毛を批判する前に、ネヘミヤにならって神の前に祈る必要がありましょう。

ネヘミヤはそのうえで、「まことに、私も私の父の家も罪を犯しました。私たちは、あなたに対して非常に悪いことをして、あなたのしもべモーセにお命じになった命令も、おきても、定めも守りませんでした」(1:6、7)と自分たちの罪を告白しました。多くの人々は罪に関して大きな誤解をしていますが、神の前での「罪」とは、モーセ律法への違反を意味します。

そして、イエスは一番大切な命令は何かとの質問に対して(マルコ12:29-31)、「イスラエルよ。聞け。われらの神である主は、唯一の主である。心を尽くし、思いを尽くし、知性を尽くし、力を尽くして、あなたの神である主を愛せよ」という申命記6章4,5節を引用しつつ述べるとともに、「次にはこれです」と言いながら、「あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ」とレビ記19章18節を引用しました。その上で、「この二つより大事な命令は、ほかにありません」と答えられました。

ところが、彼らはエルサレム神殿で確かに礼拝をささげながら、同時に他の神々をも並行して拝んでいました。しかし、それは最も主が嫌われることでした。また、彼らは主にいけにえをささげていましたが、それは貧しい者たちをしいたげ、搾取して得たお金でなされたことでした。彼らは見せかけだけの礼拝を続けた結果として、神の怒りを買い、神の神殿さえも神ご自身によって滅ぼされたのでした。

2.「どうか、あなたの・・ことばを、思い起こしてください」

ネヘミヤはその上で、申命記28章64節、30章1-5節を要約しながら、神がイスラエルの民に、「あなたがたが不信の罪を犯すなら、わたしはあなたがたを諸国民の間に散らす。あなたがたがわたしに立ち返り、わたしの命令を守り行うなら、たとい、あなたがたのうちの散らされた者が天の果てにいても、わたしはそこから彼らを集め、わたしの名を住ませるためにわたしが選んだ場所に、彼らを連れて来る」と約束されたことを、敢えて、「思い起こしてください」と訴えます(1:8,9)。

そこには、神の命令を軽蔑したものを諸国に散らすというさばきと同時に、神に立ち返り、神にへりくだった者たちを約束の地に戻すという約束が記されていました。そこでは、「神の命令を再び守り行うなら・・」という条件が記されていました。それは先の律法の原点に立ち返ることを意味します。過去に守ることをできなかった命令を再び守るということは決して容易なことではありません。

それでネヘミヤは、10節において、神の選びの原点に立ち返って、「これらの者たちは、あなたのしもべ、あなたの民です」と訴えます。これは申命記9章29節では、「彼らは、あなたの所有の民です」と呼ばれていました。

その上で、彼らのことを「あなたの偉大な力とその力強い御手をもって、あなたが贖われた」と説明します。「力強い御手」とあるように、神の御手がどう動くかでイスラエルの将来が変わることを覚え、神にすがっているのです。

そして、その上で、「ああ、主よ。どうぞ、このしもべの祈りと、あなたの名を喜んで敬うあなたのしもべたちの祈りとに、耳を傾けてください。どうぞ、きょう、このしもべに幸いを見せ、この人の前に、あわれみを受けさせてくださいますように」(1:10、11)と訴えています。

ここでは、「きょう・・・この人の前に」という表現が注目されます。ネヘミヤは、「きょう」、ペルシャの王「アルタシャスタ王の前に」出て、具体的な願いをしようとしているのです。

その上でネヘミヤは、「そのとき、私は王の献酌官であった」と初めて自分の立場を記します。この職務は、その日の料理に合わせてワインを選ぶとともに、毒見をする役ですから、王の身近に常にいて話し相手にもなる政治的な影響力を行使できる高官です。

ところで、このときエルサレムの指導者として活躍していた祭司エズラはその約12年前にエルサレムで、ユダヤ人と異教徒たちとの雑婚の問題を正し、彼らが神の民としての純粋さを保つことができるように導きました。

しかし、エズラは律法の教師であって、エルサレム城壁の再建という政治的、また実務的な働きは指導できませんでした。城壁再建後の集会のことが、「総督であるネヘミヤと、祭司であり学者であるエズラと・・レビ人たちは、民全部に向かって言った」(8:9)と、二人の共同の指導の様子が描かれています。

たとえば、長老教会では、牧師を宣教長老と呼び、代表執事のような立場の人を治会長老と呼び、みことばの解き明かしの働きと、実際上の教会運営に関する働きとを分離して、二人で教会を治めるようにします。ふたりが互いに謙遜に仕え合うときに、教会は調和を保って成長することができます。

私たち自由教会においては、教会運営に関する働きを教会員全体が担うような形になっていますが、それでもネヘミヤのように、神の前に日々祈りながら、政治的な判断ができる指導者がいるときに、ひとりひとりの信徒が力を発揮することができます。

3.私の神の恵みの御手が私の上にあったので・・・、

「アルタシャスタ王の第二十年のニサンの月に」(2:1)とありますが、ニサンとは現在の3,4月頃で当時の一年の初めの月でした。これは、ネヘミヤがエルサレムの様子を聞いてから約4か月間が経過したことを意味します。彼はその間、断食とともに主に祈り続けていたことでしょう。そして今、行動の時が来ました。

その時の様子が、「王の前に酒が出たとき、私は酒を取り上げ、それを王に差し上げた。これまで、私は王の前でしおれたことはなかった」と描かれます。

献酌官の務めは、お酒によって王の心を楽しませることにありましたから、王の前でしおれるなどということは、職務怠慢になります。その点でネヘミヤは忠実に職務を果たしていたと言えましょう。

しかし、「そのとき、王は」ネヘミヤに、「あなたは病気でもなさそうなのに、なぜ、そのように悲しい顔つきをしているのか。きっと心に悲しみがあるに違いない」(2:2)と尋ねます。これは確かにネヘミヤが意図的に悲しみを隠さなかったのでしょうが、それでもその問いかけに、「ひどく恐れ」ます。なぜなら、献酌官が王の前で悲しい顔つきを見せることなど、本来あってはならないことだからです。

しかし、王のことばには叱責よりも、ネヘミヤへの気遣いの気持ちがあふれていました。それは、ネヘミヤのそれまでの誠実な働きを王が高く評価してきたからでしょう。

そこでネヘミヤも「王よ。いつまでも生きられますように」(2:3)と尊敬の枕詞を用いながらも、「明るい顔をできなくてすみません」という謝罪を言うべきところを、「どうして悲しい顔をしないでおられましょうか」と、悲しむのが当然であるかのように答えながら、その理由を「私の先祖の墓のある町が廃墟となり、その門が火で焼き尽くされているというのに」という説明を加えます。

ネヘミヤは、この機会をずっと祈り求めていたからこそ、極めてダイレクトに自分の気持ちを訴えることができました。しかも彼はエルサレムという名を持ち出さずに、極めて個人的なことであるかのように、「私の先祖の墓がある町」と答えています。それは王の共感を得やすくするための表現です。

そして、王もネヘミヤの意図を察していたからこそ、率直に、「では、あなたは何を願うのか」(2:4)と問いかけます。

そのときネヘミヤはずっと神に祈ってきたはずなのに、改めて即座に「天の神に祈って」、その上で「王に答え」ました(2:4)。

このような祈りは、arrow prayer(矢の祈り)とも呼ばれ、瞬間的にひとつの課題を祈るものです。私たちも重大な局面に直面するとき、とっさに神に祈るという習慣を身に着けていたいものです。

そしてネヘミヤは、「王さま。もしもよろしくて、このしもべをいれてくださいますなら」と王の前に徹底的にへりくだる態度を見せながらも、極めて直接的に、「私をユダの地、私の先祖の墓のある町へ送って、それを再建させてください」と願います。そのとき「王妃もそばにすわっていた」とわざわざ記されているように、王がくつろいでいた時であり、また王妃もネヘミヤに好意を持っていたということをうかがい知ることができます。

それで、王はさっそく「旅はどのくらいかかるのか。いつ戻って来るのか」と尋ねながら、彼が「その期間を申し出ると、王は快く私を送り出してくれた」という願い通りの展開になりました(2:6)。まさに神の御手が働いていたからです。

ただネヘミヤはそれだけで満足することなく、さらに続けて、「もしも、王さまがよろしければ、川向こうの総督たちへの手紙を私に賜り、私がユダに着くまで、彼らが私を通らせるようにしてください」(2:7)と通行の安全を保障する手紙を求めるとともに、「王に属する御園の番人アサフへの手紙」までも求めます。これは王の所有の森林を管理している人から材木を調達するためでしたが、その管理人の名前はアサフというユダヤ人の名前であることが興味深いことです。その材木は、神殿の城門に梁を置くため、また、エルサエムの城壁と、ネヘミヤが入る家のために用いられるものでした(2:8)。

ネヘミヤは王が心を開いてくれたタイミングを生かして城壁再建に必要不可欠なことを訴えました。多くの場合、話をするタイミングは何よりも重要です。しかも、彼は四か月間このときのために祈り続けていたのです。

この率直な願いの結果を彼は「私の神の恵みの御手が私の上にあったので、王はそれをかなえてくれた」と記します(2:8)。主ご自身がアルタシャスタ王の心を動かしてくださいました。

4.「私の神が、私の心を動かしてエルサレムのためにさせようとされることを、私はだれにも告げなかった」

そしてネヘミヤが「川向こうの総督たち」、つまりユーフラテス川の南西の支配者のところに行って、王の手紙を渡しましたが、それに先立って、「王は将校たちと騎兵を私につけてくれた」というのです(2:9)。これは安全を計るためと同時に、ペルシャ王の保護を諸国にアピールする効果があったと思われます。

このような王の一連の配慮のことを聞いて、「ホロン人サヌバラテと、アモン人で役人のトビヤは・・非常に不きげんに」なりました。なぜなら、「イスラエル人の利益を求める人」が、王の保護のもとに「やって来たから」でした(2:10)。

サヌバテラはこの38年後に記された古文書によるといつの時代かは不明ですがサマリヤの総督であったとのことです。

また、「トビヤ」というのは明らかにユダヤ人の名前なのですが、彼がユダヤ人の敵であった「アモン人の(「で」ではなく)役人」、つまりアモン人を治める役職についていたのだと思われます。彼はユダヤ人でありながら、異教徒との深い交わりの中で自分の富と地位を得ていたのだと思われます。

その後のことが、ネヘミヤは「エルサレムにやって来て、そこに三日間とどまった。あるとき、私は夜中に起きた」(2:11、12)と描かれますが、これは「三日間たった日の夜中」という意味だと思われます。ネヘミヤは数人の者」を引き連れただけでエルサレムの様子を調査に行きました。

その際、彼は、「私の神が、私の心を動かしてエルサレムのためにさせようとされることを、私はだれにも告げなかった」と敢えて記しています。彼はまず神の導きの中で、神との対話の中でエルサレムの現状を把握しようとしたのです。

彼は目立たないようにと「乗った獣のほかには、一頭の獣も連れて行かなかった」というのです。そして、その時の様子を、「私は夜、谷の門を通って竜の泉のほう、糞の門のところに出て行き、エルサレムの城壁を調べると、それはくずされ、その門は火で焼け尽きていた。さらに、私は泉の門と王の池のほうへ進んで行ったが、私の乗っている獣の通れる所がなかった。そこで、私は夜のうちに流れを上って行き、城壁を調べた。そしてまた引き返し、谷の門を通って戻って来た」(2:13-15)と記しています。

彼が視察したルートは、エルサレムの南半分のダビデの町と呼ばれた部分の城壁を北西部分から南端を経由して北東の王の池の手前まで行って、また戻ったということです。彼は本来、城壁を一回りしたかったはずなのですが、それもできないほどに荒れ果てていました。

ネヘミヤは主との交わりの中で、自分の目で現状を冷静に判断しようとしています。その際、「代表者たちは」、彼が「どこへ行っていたか・・・何をしていたか知らなかった」というのです。それは彼が「ユダヤ人にも、祭司たちにも、おもだった人たちにも、代表者たちにも、その他工事をする者たちにも、まだ知らせていなかった」からでした(2:16)。

彼は人々の声以前に、主のみこころを確信することに心を集中しています。彼はずっと城壁の再建のために祈ってきましたが、再建の号令をかけるときのタイミングを計っていたのでしょう。なぜなら、一度、それを口にしてから後戻りすることはできないと思っていたからでした。

私も牧師として会堂建設のために祈ってきましたが、数年前までは、会堂建設の必要とともに、そこに潜む危険の方も強調して話していました。それで、「先生はいったい何を考えているのだろう・・」と疑問を持った人々もあったようです。しかし、今年になってからは私の意図を疑う人はいなくなったと思われます。指導者は自分が号令をかけるタイミングを慎重に見極める必要があります。

それから、ネヘミヤは彼らに、「あなたがたは、私たちの当面している困難を見ている。エルサレムは廃墟となり、その門は火で焼き払われたままである。さあ、エルサレムの城壁を建て直し、もうこれ以上そしりを受けないようにしよう」(2:17)と簡潔に訴えます。

そして、その現実性を根拠づけるために、「私に恵みを下さった私の神の御手のことと、また、王が私に話したことばを、彼らに告げた」というのです(2:18)。

彼は、「私の神の御手が私の上に恵み深くあり続けていた」という自分に対する神のみわざと、「私に話された王のことば」という、当時の絶対権力者の保障を話しました。ここには天の王の保障と地上の王の保障のふたつが重なっています。

それを聞いた民は、「さあ、再建に取りかかろう」と、即座に反応して、「この良い仕事に着手した」と簡潔に記されます。

「ところが、ホロン人サヌバラテと、アモン人で役人のトビヤ、および、アラブ人ゲシェムは、これを聞いて」、ユダヤ人たちを「あざけり・・・さげすんで」、「おまえたちのしているこのことは何だ。おまえたちは王に反逆しようとしているのか」(2:19)と彼らの気持ちをくじくようなことを言います。ここには三番目の反対者の名が記されています。サヌバテラはサマリヤという北部からの敵、トビヤは東のアモンからの敵、そして、ゲシェムは南のアラブからの敵です。まさに彼らはユダを取り囲む包囲網を築いたのです。

そして、彼らはペルシャの王の心も動かそうとしています。実際、かつてアルタシャスタ王は、工事の差し止めを命じたことがありますから、それを思い起こさせて、ネヘミヤのことばに対する不信をもユダヤ人たちに植え付けようとしたのではないでしょうか。

それに対し、ネヘミヤは、「天の神ご自身が、私たちを成功させてくださる。だから、そのしもべである私たちは、再建に取りかかっているのだ。しかし、あなたがたにはエルサレムの中に何の分け前も、権利も、記念もないのだ」(2:20)と答えます。

エズラ記4章2節によると、サマリヤ人たちはエルサレム神殿をともに建てることを提案して拒絶されたと記されていますが、それ以来、彼らはエルサレム神殿での礼拝の交わりに加えられることを心の底では願いながら、同時にそれを拒絶したユダヤ人を憎むという矛盾する気持ちを持っていました。

それに対しネヘミヤは改めて、他宗教との混合礼拝者たちにはエルサレムに何の居場所もないということを語りました。

ネヘミヤはエルサレムの悲惨な状況を聞いてから四か月間祈り続け、神のときを待っていました。そして、彼はそののち、突然、神に向かって「きょう・・この人の前に」という具体的な祈りをささげ、また、祈りつつ、大胆な願い王に訴えます。そして、誰にも話さずに城壁を調査したうえで、不退転の決意で民衆に訴えます。

そして、工事が始まってから52日間で城壁は完成します(6:15)。百年近く動かなかったことが、ネヘミヤが、「きょう」と神に真剣に懇願した半年以内に完成に至ったというのです。そこに時を支配する神の御手があったからです。