トップページ

STAINED GLASS
Designed by GlassHouse NEN


来聖日の予定(2025年3月9日)

メッセージ
ローマ人への手紙12章1〜13節
「日々の生活を主への礼拝として」
高橋師

  

暗唱したい今日の聖句

 
サイト更新&イベント情報 

  • 聖書劇制作集団「立川福音自由教会 劇団シャローム」の作品を一般公開いたしました。 でご覧ください。
  • 立川福音自由教会YouTubeチャンネルで教会員のオリジナル賛美、過去の音楽礼拝などを でご覧になれます。
  • 2019年2月16日に行われた「ジャクリーン・ロシェック&細木朝子〜CLASSICAL PRAISE CONCERT 2019」のコンサート動画は

最新の投稿

詩篇23篇〜受難節——不安定な世界の中で

 毎日の世界のニュースを見ながら、心が騒ぎ、空しさを感じさせられる日々です。全能の神様のご支配の中にある平安(シャローム)とは程遠い現実を示す対立や、不安定な現実に、信仰を空しく感じる人もいるかもしれ...

詩篇22篇1、2、19–24節〜わが神、わが神……

 マタイもマルコも、イエスの十字架上のことばを一つしか記していません。それがこの冒頭の「わが神、わが神。どうして私をお見捨てになったのですか」という叫びです。 (さらに…)

ウクライナの船越宣教師からの祈祷課題

 今週の水曜日(2月26日)私たちの教会では教会員会議を行い、ハバクク書をともに学びました。(私たちの教会では月の最後の水曜日に教会員会議を行っています。 3年前の2月の教会員会議はちょうど2月23日...

エレミヤ51、52章「遠くから……エルサレムを心に思い浮かべよ」

2025年3月3日 「ユダヤ人は、いつユダヤ人になったのか」(長谷川修一著、2023年NHK出版、1000円)という本が多くの人々に読まれているようです。その答えがエレミヤ書29章10、11節に記され...

ウクライナの船越先生からの祈祷課題

 3年前の2月24日、ロシアによるウクライナ全面侵攻が始まりました。あのとき「数週間で制圧される」と言われていたウクライナは今も傷だらけになりながらここに立ち続けています。 (さらに…)

詩篇21篇〜ドイツ議会の選挙——政治の限界を認める

 ドイツ議会の選挙が行われ、今後の歩みが懸念されております。 (さらに…)

ローマ人への手紙11章25〜36節「人の回心による不思議」

2025年2月23日 ローマ人への手紙11章25–36 私訳 多くの人々は回心の体験と聞くと、「真理を真面目に探究した結果、また自分の人生に深く悩んだ結果、イエス様以外に救いはないということを発見でき...

ウクライナの船越先生ご夫妻からの祈祷課題

いつもウクライナのことを忘れることなく、忍耐強く祈ってくださり、オデッサでの私たちの働きのために祈り、支え続けてくださっているみなさまに心から感謝をしています。 (さらに…)

立川福音自由教会のご紹介

福音自由教会は、正統的なプロテスタントのキリスト教会です。

「福音」とは、聖書を誤りなき神のことばと信じるという意味です。
「自由」とは、政治権力や組織的な強制からの自由を意味します。
私たちの教会は、1989年から東京武蔵野福音自由教会の一会堂として礼拝を始め、1997年に独立しました。
組織的には新しくても、教えにおいては、キリスト教会二千年来の伝統を大切にしており、安心していただけます。

エホバの証人、モルモン教会、統一協会、その他、カルト的な宗教でお困りの方はご相談ください。

 


❖「舟の右側」(地引網出版)のシリーズ〈〉で紹介されました ❖


牧師からのメッセージ

愛されている喜び

あなたをそのままで愛してくださる方を知っていますか?
私の心の中にはいつも、「失敗者として見捨てられる」ことへの「不安」がありました。
それは努力によって消えるどころか、かえって「もっと成功を……」という渇きが生まれるばかりでした。
しかし、イエス・キリストをより深く知るようにつれ、自分の「心の破れ」を素直に認めることができるようになりました。
問題を抱えたままの自分が、私自身の創造主である神様から、「わたしの目には、あなたは高価で尊い」と見られていたのです。
そして、自分の「心のよろい」を一枚一枚脱ぐたびに、新たな世界が広がり、自由を味わうことができました。
私たちは、みな、様々な心の傷を受けて育ってきました。そこから様々な生き難さが生まれます。
しかし、傷ついたからこそ、人の心の痛みが分かるのではないでしょうか。「心の葛藤」から「卒業する」のではなく、それを、「神を知り、人を知る」ための「心の泉」とさせていただくことができるのです。
誰の心の奥底にも、「愛への渇き」があります。それは、何かをつかみ取ることによって癒されるようなものではありません。あなた自身の創造主を知り、その方の愛に応答する生き方へと方向転換するとき、そのままのあなたが輝くようになるのではないでしょうか。