心が傷つきやすい人への福音

恐怖からの解放者イエス

「神を信じれば、平安で、揺れ動くこともない!」 こんな短絡と誤解に、もう苦しまなくてもいい。

〈否定的〉と言われている諸感情に振り回され、そんな自分をさらに断罪し続けるという無限ループに陥る信仰者はいないだろうか? Vulnerability(傷つきやすさ)をむしろ人間の自然な本性と捉え直し、そこから感情豊かな生へと眼を開いてくれる水先案内の書。

発売日:2022年7月21日
発行:株式会社ヨベル
ISBN:978-4-909871-77-0 C0016
定価:1,650円(税込)

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「はじめに」

二〇二〇年春から始まった世界的な新型コロナウィルス感染爆発によって私たちの環境は大きく変りました。環境の急速な変化に対して、その人の感受性の違いが際立ってきます。私は今、七十歳に近い年齢になって、ようやく自分の心の傷つきやすさを受け入れつつあります。その転機になったのは、このコロナ禍の中で起きた様々な問題に向き合いながら、改めて自分の感受性が、ハイリー・センシティブ・パーソン(Highly Sensitive Person:高度に敏感な人格:HSP)という概念で説明できると分かったからです。自分の感じ方が他の方々と異なっていることに気づかされ、深く悩むようなことがコロナ下で立て続けに起きました。そのため眠りが何度も妨げられました。またいくつかの複雑にこじれた問題の対処や研究発表の機会などの際に、Zoomで話し合いのときを持ちながら、落ち着いて反論できない自分に嫌悪感を抱くことも度々ありました。しかし、それらどのケースでも、自分は心からの善意で対処している自負心がありましたし、その姿勢を理解してくれる人々もいました。

そのような中で、友人の勧めで HSP の概念の創始者であるエレイン・アーロン氏の『敏感すぎる私の活かし方―高感度から才能を引き出す発想術』という本に出合いました。そこに「他者にとって HSP の明確な『問題』は、他の人より『過剰に反応』することである。私たちは少数派なので、当然多数派の反応とは異なる。HSP に欠陥があるように見えるのは、この刺激や感情に対する過剰な反応のせいである。さらに……過去に問題があった HSP は自分の反応をうまく制御できず、そのせいで問題があると思われたり、あるいは障害を抱えていると思われたりする」と記されていました。

今までの人生の中で、自分の反応の異常さ?を指摘されたことは何度もあります。牧師にふさわしくないと言われたこともあります。ただどの場合でも、私の対応に感謝し、共感してくれる人々がいました。過剰な反応は、時間が経つと落ち着きますし、徐々に理解してもらえるようになります。そのおかげで三三年間も同じ教会で牧師を続けて来ることができました。
しかし、問題のただ中にいるときは、そのたびごとに、キリストにある平安を現わせない自分の不信仰を責めて来ましたし、心の揺れやすさや傷つきやすさは、キリストにある救いの確信の不足から来ると思い、自分の信仰を恥じることもありました。ただ、それらのケースは重ねて起きることは稀でしたから、自分の対応の感謝してくれる人の存在によって忘れることができました。しかし、このコロナ禍の中でのコミュニケーションの難しさは、今までとは次元が異なりました。何度も何度も自分の「過剰な反応」に悩まされることがありました。
しかし、この HSP の概念では、「過剰な反応」は、それは神経症という病とか、また信仰の不足という霊的な問題でもなく、生まれつきの気質が原因であると分析されていました。たとえば、二卵性の双子の男女が恵まれた家庭に生まれながら、男の子のほうは神経過敏ですぐに泣きじゃくる一方、女の子の方はいつもニコニコして落ち着いて眠っているという例が記されています。私の場合は、自分の神経症の傾向は、自分を産んだ頃の母の環境の不遇さに由来すると解釈し、その生き難さがキリストにあって癒されるという希望を持ってきました。しかし、これが生まれつきの気質であれば、それが癒されるようにと願う前に、それを自分の感性として受け入れることが最善になります。そこで必要なのは、まず自分の中に起こる感情を正当化も否定もせずに優しく受け止め、同時に、他の人々は全く違う反応をする可能性があることも冷静に見分けることと言えましょう。今までは自分の反応を必死に正当化したり、他の人の鈍い反応を非難したりして、健徳的な方向に会話が向かないことがありました。

なお、私は三六年前の神学校で学び始める前から、心の問題に向き合ってきたつもりではあります。自分自身の神経症的な傾向に気づいたところから、他の人の心の葛藤にも寄り添うことができるようにと、カウンセリングの学びも受けて来ました。様々な難しいケースに向き合いながら、精神科医の工藤信夫先生を初めとする専門家のご指導も受けることができました。それらのことから自分自身の感性を優しく受け入れることの大切さを何よりも教えられてきました。そこから「心を生かす祈り」(二十の詩篇の私訳交読文と解説)、「現代人の悩みに効く詩篇」などの本を記させていただきました。その結果、「祈ることが苦しくなっていた」という方々から感謝のことばをいただき、また拙著を持って相談に来られる方もいました。

西洋の歴史を見ると、牧師の務めは、何よりも悩めるたましいに寄り沿うことにありました。それをドイツ語ではゼール・ゾルゲ(たましいのお世話)と呼びます。ところが精神医療や心理療法の発達に伴い、その分野での牧師の働きが軽んじられるようになってきた気がします。今や、「牧師でいながらカウンセリングをしてくれるのですか?」などと、昔の牧師が聞いたら目を丸くするようなことが言われたりします。様々な悩みを抱えた方に、人となられたキリストにある大きな救いの視点から寄り添い、その場で聖霊の導きに委ねるという働きは、今も牧師ばかりかすべてのキリスト者に、創造主ご自身から期待されている働きです。それを、人の悩みを聞いた途端、「だれか専門家をご紹介しなければ……」などと思うことは、それこそまさに現代的な病と言えるかも知れません。昔は、多くの悩みはごく普通のお茶飲み話の中で解決されていたのではないでしょうか。その際、HSP という感受性の豊かな方、また相手の表情などに過敏に反応する人は、大きな役割を果たしていたのかもしれません。

どちらにしても、私はこの本をキリスト教霊性の視点から記しています。その際、たまたま HSP という概念が、自分自身や他の人を理解する助けになるということを示唆したいだけです。最近は HSP に関する自己啓発書なども多数書店に並んでいます。それはそれでとっても参考になる面があることでしょう。
しかし、しばしば信仰の世界では、「イエス様にある救いを理解していたら、いつも心が平安で満たされるはず……」などという誤解が、信仰の成長をさまたげ、あげくの果てには、「教会に行っても何も変わらなかった……」という絶望なる場合があるように思います。
本書の趣旨はあくまで、「心の傷つきやすい人への福音」という視点から記されます。ですから自分や隣人を HSP かどうかなどと評価することは本来の趣旨ではありません。ただ、HSP の視点を知ると、より福音を豊かに味わうことができる場合があるという面を少しでも分かち合いたいので、最初に、HSP の概念に関して少し記させていただきます。


目次

推薦のことば  小渕朝子/中村佐知

  1. ハイリー・センシティブ・パーソン(HSP)とは?
  2. 「敏感な人が抱えやすい心の問題」
  3. 「境界線(バウンダリーズ)のもろさへの対応」
  4. 「私たちの心の中にある渇きと癒し」(エニアグラムによる自己分析)
  5. ギリシャ哲学の「不動の心」と神の御子イエスの心
  6. 「ダビデの傷ついた心の表現」
  7. 「見捨てられ不安を祈る」(詩篇二二篇)
  8. 「孤独感を受け止め、神に訴える祈り」(詩篇六九篇)
  9. 「私は多くの人にとって奇跡と思われました。」(詩篇七一篇)
  10. 「神を信じることが空しく思えるとき」(詩篇七三篇)
  11. 「怒りの感情への向き合い方」(詩篇三七篇)
  12. 「復讐したい気持ちを受け止め、祈る」(詩篇一〇九篇)
  13. 「主(ヤハウェ)よ、私を生かしてください」(詩篇一四三篇)
  14. 「今ここにある神の国」(詩篇一四五篇)

おわりに  脚 注/あとがき