ドイツ・コラールの翻訳

付録 現代のオリジナル二曲(楽譜つき)

プロテスタント諸教会は、十六世紀初め、ドイツのマルティン・ルターを中心とした宗教改革をきっかけに生まれました。それまでのカトリック教会の礼拝(ミサ)では司祭や聖歌隊がラテン語で歌っていましたが、ルターは会衆が自分たちの母国語で賛美歌を歌うという礼拝の形を始めました。しかも、聖書の教えを歌で伝えるということを重視しました。ですから、ルターが作った数多くの賛美歌は、神への賛美であるとともに、彼のメッセージでもあります。
 そしてドイツではこの十六、十七世紀に数多くの賛美歌が生み出されましたが、これらは通称「ドイツ・コラール」と呼ばれます。コラールとは本来「合唱曲」の意味ですが、基本的に会衆の斉唱で歌われるのが原則です。ですからドイツの賛美歌集には伴奏譜がついていません。オルガン演奏者は歌詞の内容を見ながら伴奏をアレンジしながら演奏することが求められたようです。
 また極めて長い歌詞がついていますが、それらを全部歌うことは稀で、その日の説教に合わせて毎回三節ないし四節程度を選んで歌いました。ただし全体を通してひとつのまとまった説教になっていますから、賛美歌集に一部の歌詞のみを選んで載せるということはありません。その点、日本の賛美歌集で歌詞が一部分しか訳出されていないのは極めて残念なことです。
 音楽の父とも呼ばれる十八世紀のヨハン・セバスチャン・バッハは数多くのカンタータを残していますが、そのほとんどは十六、十七世紀に作られた賛美歌をアレンジしたものです。今残っている多くのオルガン前奏曲も既に会衆が親しんでいる賛美歌をもとにしたものです。その意味で、ドイツの様々な教会音楽を聞こうとするときに、これらの賛美歌を知っているかどうかは決定的な違いとなることでしょう。

この本には、小生がこの十八年間の間、何度も翻訳しなおし、当教会の会衆に親しんでいただいたものを載せさせていただきました。音楽的な素養も作詩の素養も余りに乏しい者ではありますが、幸い、当教会には多くの優秀な音楽家が集っており、音楽的な面からのアドバイスをいただくこともできております。何よりも何度もいっしょに歌ってもらいながら修正に修正を重ねてきておりますので、他の教会でも違和感なく歌っていただけるのではないかと期待しております。
 なお、ドイツ語の歌を厳密に翻訳するというのは不可能で、基本的に訳者の神学理解が日本語にした歌詞に表れざるを得ないという面があります。
 たとえば、ドイツ語でIch liebe dichというのを音符に当てはめると四音で完成します。ところがこれを現代日本語にすると、「わたしはあなたをあいします」と十三音も必要になります。
 また、私が日頃から黙想の中で歌っている賛美歌のひとつに「イエスは私の喜び」があります。この原歌詞の最初を厳密に訳そうとすると、「イエスはわたしのよろこび、わたしのこころのなぐさめ、イエスはわたしのほこりです」と、原曲の二倍以上の三十五個もの音符が必要になります。
 しかも音の流れに合ったことばを選び出したり、韻を整えるために原文にはないことばを付加したりもしなければ日本語として馴染みやすい歌にはなりません。その意味で、歌詞の翻訳には訳者の解釈が決定的な影響力を持たざるを得ません。ですから、たとえば、ルターの著作に親しんでいない者が、ルターの賛美歌を翻訳することが可能なのだろうかとさえ思うことがあります。
 そのようなわけで、原語で歌詞を味わいだすと、日本の賛美歌の翻訳の歌詞には首をかしげざるを得なくなるのがあまりにもしばしばあり、自分の能力も顧みず翻訳を志したような次第です。

「飼い葉おけのかたわらに」は、十七世紀の詩人パウル・ゲルハルトの作品で、イエスがお生まれになった飼い葉おけのかたわらに立って、イエスのご降誕の意味を黙想したものです。そこには、クリスマスの福音が驚くほど豊かに歌われています。ナチス・ドイツに反抗して殉教した神学者ディートリッヒ・ボンヘッファーは、独房に入れられて初めてこの歌詞の深い意味が心から理解でき、 クリスマスの本当の意味は牢獄の中でこそよく分かるという趣旨のことを書き残しているほどです。

「天より来たりて」は、ドイツのクリスマスの時期になるといたるところで聞くことができる名曲です。マルティン・ルターはカトリックの修道士でしたが、宗教改革を主導して後、結婚をし、六人の子供が与えられました。しかし、貧しくて何のプレゼントも贈ることができません。それでルターは子供たちへのクリスマスプレゼントとしてこの歌を作り、子供たちをもみの木のまわりに集めて、この十五番からなる歌詞を歌ったという言い伝えがあります。これは天使が羊飼いたちに救い主の降誕を告げ知らせたという聖書箇所をもとにルター自身による福音のメッセージと言えましょう。残念ながら、現代日本語では言葉数が多くなり過ぎるので古文体にせざるを得ませんでした。

「かいばのおけに」は、出典が明らかではありません。ルターの賛美歌を基にしたという説もあるようですが、ドイツ語テキストは見当たりませんでした。これは子供のクリスマス賛美歌集に掲載されていた曲に、小生がルターの気持ちになってつけてみた歌詞です。

「人よ 罪に泣け」は、福音の核心とそれへの応答を簡潔に言い表した歌です。これ自体が、キリスト者の共通の信仰告白であると言えるほどの豊かな歌詞が原文に表現されています。この曲はルターと同時期に作られたものですが、それから二百年後のバッハはこれをもとに美しい礼拝用のオルガン前奏曲を書き、それは今、多くの人々に親しまれています。

「深き悩みより」もルターの作品です。これは詩篇一三〇篇をもとにした、信仰義認のメッセージと言えましょう。これはルターの葬儀の際に歌われた、彼の代表作です。この曲をもとに多くのオルガン前奏曲が生まれています。ドイツでは受難節になると必ず歌われます。

「主の御頭」は十二世紀のクレルボーのベルナルドゥスによるラテン語の歌詞をもとに十七世紀のドイツの詩人パウル・ゲルハルトが大胆に意訳したものです。これは十字架のイエスの御顔を黙想する歌です。そこでは、主の痛みを絵画的に表現すると同時に、そこに現された神の愛と、信仰者の応答を歌っています。この曲はバッハのマタイ受難曲に繰り返し出てきており、ドイツ・コラールの代表作とも言えましょう。なお、ここには信仰者が抱くイエスへの神秘的な愛が描かれており、理屈ではなく心情で味わっていただきたい歌詞が多く記されています。

「キリストは死につながれたり」もルターの作品で、キリストの復活の意味がコリント人への手紙第一の一五章を中心テキストに簡潔に歌われています。この原歌詞を味わっていると、まるで彼のイースターメッセージが時空を超えて聞こえるような気がします。五番目以降の歌詞では聖餐式の意味が簡潔に歌われています。バッハはこれをもとに美しいカンタータを記しています。

「神はわれらが堅き砦」は、ルターの賛美歌の中でも特に愛されているものです。「宗教改革の革命歌」と呼ばれることもありますが、原歌詞では「私たちが戦う」という意味はありません。戦いの主体はイエス・キリストご自身であり、そこにあるのは「霊の戦い」です。しかも、勝利をもたらすのは、人の信仰ではなく、「主のみことば」と「聖霊」であると高らかに歌われています。

「主よ、人の望みの喜びよ」はバッハの作品中最も親しまれている曲ですが、本来は彼の百年近く前の賛美歌を大胆にアレンジしたもので、聖書にある不思議な恋愛の歌「雅歌」の黙想から生まれました。この日本語のタイトルは英語の自由訳をもとにしたものです。ドイツ語の原詩と、違いがありますが、イエスに対する熱い愛の思いを描いているという点は共通します。イエスを信じる者は、どのような状況の中でも、イエスにある喜びに心が満たされることが歌われています。

「イエスは私の喜び」は十七世紀の詩人ヨハン・フランクの名作で、先の歌ととともに、「雅歌」の黙想から生まれた曲です。バッハはこの曲とローマ人への手紙八章を結びつけ、美しいモテットを記しました。そこでは、律法が聖霊によって全うされるというパウロ神学の核心が美しい音楽として表現されています。ここでは、そのモテットを参考にしながら、雅歌とローマ人への手紙八章の私訳の朗読、それと「イエスは私の喜び」の賛美を、交互にする形として載せさせていただきました。みことばと歌を組み合わせて味わっていただければ幸いです。


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