「幸いな生き方とは?」

サラリーマン時代、私はこの詩の、「主の教えを喜びとする人は……何をしても栄える」という趣旨の断言が、仕事の成功と結びついて嬉しく思えました。しかし、様々な悩みを抱えた方に接しているうちに、それがあまりにも楽天的に見えてきました。ところが、二篇とセットで読むようになったとき、その意味が納得できました。ここに聖書の初めと終わりの要約があります。脳天気な信仰も危険ですが、暗いことばかりを見る信仰はもっと始末が悪いかもしれません。


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