詩篇一、二篇

幸いな人よ!  (1
  悪者の勧めを 歩まず
 罪人の道に 立たず
  おごる者の座に 着かず
 むしろ主(ヤハウェ)の教え(トーラー)を 喜びとし  (2
  昼も夜も その教え(トーラー)を 思い巡らす
その人は  (3
  流れのほとりに植わった木のように
 ときが来ると実を結び その葉は枯れない
  行うすべてが 繁栄をもたらす
悪者は そうではない  (4
 彼らは 風が飛ばす もみがら
悪者は さばきの前に 立ちおおせない  (5
 罪人も 正しい者の 集いには
主(ヤハウェ)は 正しい者の道を 知っておられる  (6
 しかし、悪者の道は 滅びる
なぜ 国々は たくらみ  (21
 人々は むなしく思い巡らし
地の王たちは 立ち構え  (2
 支配者たちは 結束して
主(ヤハウェ)と 油注がれた者(メシヤ)に逆らうのか?
 「さあ かせを砕き 縄を 切り捨てよう!」と  (3
天に座す方は それを笑う  (4
 主(アドナイ)は 彼らをあざけり
燃える怒りで おののかせ  (5
 怒りをもって 彼らに語る
「わたしは わたしの王を 聖なる山シオンに 立てた」  (6
 主(ヤハウェ)の制定(布告)を 宣べよう  (7
主は私に言われた
 「あなたは わたしの子
わたしは きょう あなたを生んだ
 わたしに求めよ  (8
国々を あなたに受け継がせ
 地の果てまで あなたのものとする
あなたは鉄の杖で彼らを打ち  (9
 焼き物のように粉々にする」
それゆえ今 王たちよ 悟れ  (10
 地の支配者は 教えを受けよ
恐れつつ 主(ヤハウェ)に仕え  (11
 おののきつつ 喜べ
御子に口づけせよ  (12
 怒りを招き その道で 滅びないために
怒りは 今にも燃えようとしている
 幸いなことよ すべて彼に身を避ける者は

翻訳注

  • 詩篇一篇は「幸い」で始まり、二篇も同じことばで終わることから、本来ひとつの詩だったと思われる。意味の上でも、このふたつをセットにすると聖書全体の要約が見えてくる。
  • 一節の始まりは、原文で、「幸いなことよ。その人は……」となっており、それは三節の終わりまでかかってくることば。一方、三節の始まりは、「彼は……」ということばで始まっている。
  • 二節「その教えを思い巡らす」とは、メディテーション(黙想)の生活を指す。
  • 三節cは原文で「彼は、行うことすべてにおいて、繁栄する」となっているが前文からのリズムを生かしてこのように訳した。
  • 二篇一節b「むなしく思い巡らす」と訳したのは、原文で一篇二節b「その教えを思い巡らす」と同じ原語が用いられているため。
  • 二篇四節の「主」は、主人を意味する「アドナイ」、七節aの「主」は、主の御名「ヤハウェ」、七節bの「主」は、代名詞の「彼」という使い分けがなされている。


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