1 この詩の背景と特徴

この詩篇は、七つ悔い改めの詩篇(他は六、三二、五一、一〇二、一三〇、一四三篇)のひとつで、別名、「病者の祈り」とも呼ばれます。標題の「記念のため」とは、レビ二・二の「穀物のささげ物」に用いられていることばで、神のあわれみを「記念」するものでした。
 キリスト教会では、この詩篇はキリストの受難の「記念」と理解され、伝統的に、受難節の始まりの聖灰水曜日に朗読されてきました。受難節はこの日に始まり、イエスの復活を祝うイースターの前日まで、日曜日を除いて四十日間続きますが、この間、断食をしつつ、キリストの受難を思い起こすという習慣がありました。
 この詩篇はダビデの最も暗い時代の祈りだと思われます。彼は忠実な家来ウリヤの妻を奪ったあげく、ウリヤを計略にかけて死に至らしめましたが、そこからすべてが狂いだしました。その後、長男アムノンは腹違いの妹タマルを強姦し、その復讐として彼女の実の兄アブシャロムがアムノンを殺し、アブシャロムはダビデから憎まれていると思い込んでクーデターを実行し、ダビデをエルサレムから追い出すという一連の悲劇が、十一年間の間に起こりました。この間、ダビデはただ手をこまねいて、引き籠もっていたかのようです。彼はその悲劇のクライマックスでこの詩篇を記したのではないかと思われます。
 詩篇のほとんどは、絶望感の訴えのまま終わることなく、全能の神への信頼の告白と感謝に満ちた賛美へと移行します。しかし、この詩篇は、それが見られません。それは、あまりに深い絶望を味わったたましいは、容易に慰めを受け入れることができないからではないでしょうか。彼は今、徹底的な無力感を味わいながら、なおも神にすがりつこうとしています。


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