〈第三部のまとめ〉

この部のまとめとして、主の祈りの第三番目、「あなたのみこころ(ご意思)がこの地で行われますように」という祈りを覚えさせられます。絶望と思える状況の中で、私たちの肉の意思が砕かれ、私たちのうちに神の意思が生きるようにされるからです。そして、神の意思とは何よりも、私たちが自分の惨めさを認め、イエスにすがり、イエスとの交わりを第一にして生きることです。
 キルケゴールは先の書で「人間の最大の悲惨は、罪よりもいっそう大きい悲惨は、キリストにつまずいて、そのつまずきのうちにとどまっていることである」と述べています(『死に至る病』五七八頁)。「死に至る病」とは、キリストに絶望することにほかならないからです。しかし、私たちはどのような絶望的な状況の中にも、イエスの御跡を認め、絶望の中に希望を見いだすことができます。そして、私たちがこのお方にすがる限り、神の御子に、赦すことの不可能な罪はありません。聖書が語る「罪」とは、人間の道徳に反すること以前に、この赦しを拒絶するという不信仰なのです。自分で自分を義と認めようとするのではなく、イエスの義にすがることこそ神のみこころです。


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