「あなたがたの心は生き返ります!」

多くの日本人は、罪責感に悩むよりも、「恥をかく」ことを恐れているように思われます。未信者の家庭に生まれた私もそうでしたが、一方で、人の目を意識する自分がとてつもなくいやで、「恥じる自分を恥じて」もいました。
 しかし、この詩篇に出会ったとき、「ここに僕の気持ちが書いてある!」と驚き、何とも言えず、ほっとしました。しかも、ここに記されているのはイエスのお気持ちでもあると分かったとき、不思議に、傷つき悩むこのままの自分が神に受け入れられていると感じられました。
 そればかりか、マイナスの感情を受け入れるにつれ、日々の小さな出来事に対する感動が増し加わって来たような気がします。私は、今、生きていることが喜びです。その転換の鍵こそ、この詩篇にありました。

イエスは生涯を通してこの詩を味わっておられたのではないでしょうか。パウロもこの詩を引用しつつイエスの御苦しみの意味を説明し、またこれはダビデの預言であるとも語っているからです。多くの学者はこの詩篇の内容はバビロン捕囚以後の時代を反映していると主張しますが、私たちはパウロの証言の方を信じ、これがダビデによって記され、またイエスご自身がここに記されている不当な苦しみをあえて積極的に引き受けようとされたと理解すべきでしょう。
 ダビデは、何度も、近しい者から裏切られ、見捨てられました。その悲しみがここに表現されています。たとえば、彼は自分の息子アブシャロムに反乱を起こされ、都から逃げざるを得なくなりますが、その際には、信頼していた顧問アヒトフェルに裏切られました。また、その逃亡の途中ではベニヤミン人シムイからのろいのことばを浴びせられます。戦いに勝利はしたものの、アブシャロムの死を聞いて、泣き悲しんでいるときは将軍ヨアブから、「あなたは……あなたの家来たち全部に、きょう、恥をかかせました」(Ⅱサムエル一九・五)となじられました。彼は、誰にも理解してもらえない、やり場のない怒りと悲しみを、神に向かって注ぎだしています。


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