1「私はうろたえ、うめき、わめくばかりです」
ダビデはかつて何の落ち度もなかったのにサウル王から命を狙われ、死と隣り合わせの逃亡生活を続けざるを得ませんでした。そのとき同族の者たちからも裏切られました。また、王権が安定した後にも、息子アブシャロムの反乱によってエルサレムから逃げざるを得ないことがあり、そのときは自分の顧問であったアヒトフェルに裏切られ、「主(ヤハウェ)よ。どうかアヒトフェルの助言を愚かなものにしてください」(Ⅱサムエル一五・三一)と必死に祈ったほどです。この詩がいつ記されたかは分かりませんが、そのような危機的な状況の中で生まれたことは確かです。
最初のことばは、「聴いてください!」という必死の叫びです。それは神が、「私の訴えから、身を隠している」ように感じられたからです。著者は、親しい友から裏切られ、胸も張り裂けるほどに悩み苦しんでいるのですが、神は何もしてくださらないかのようです。
一〜五節に記されたような絶望的な気持ちは無縁と思う人もいるでしょう。しかし、感情は説明し難いものです。たとえば、ヘンリ・ナウエンという世界中で尊敬されていたカトリックの神学者は、五十代半ばの頃、心の奥底を分かち合える友に出会い、急速に依存して行きました。しかし、あまりにも多くを求め過ぎたため友情は破綻しました。彼は、世界が崩れたと感じ、眠られず、食欲もなく、生きる気力を失いました。彼はその鋭い霊的洞察力によって世界中の人々から尊敬されていましたが、その信仰が何の助けにもならないと感じました(ヘンリ・ナウエン著『心の奥の愛の声』小野寺健訳、女子パウロ会刊、二〇〇二年、「まえがき」参照)。別に、友が裏切って命を狙ったわけではないのですが、それでも彼はこの詩篇にあるのと同じ気持ちを味わったというのです。
私たちは、失恋でも、失業でも、夫婦喧嘩や約束の時間に遅れた時でさえ、「私はうろたえ、うめき、わめくばかりです」(二節)という感情を味わうかもしれません。
そんなとき私たちは、その混乱したままの気持ちを、この詩篇を用いて神に訴えることが許されています。その時、ゲッセマネの園で「わたしは悲しみのあまり死ぬほどです」(マタイ二六・三八)と悶え苦しまれたイエスに出会うことができます。イエスご自身も、孤独でした。愛弟子のユダに裏切られ、弟子たちが逃げ去ることが分かっていたからです。
その千年前、ダビデもアヒトフェルに同じように裏切られていました。それはいつの世にもある悲劇とも言えます。神の御子は、そのような悲しみをともに味わい、担うために人となられました。イザヤは、それを「彼はさげすまれ、人々からのけ者にされ、悲しみの人で病を知っていた」(イザヤ五三・三)と預言しました。まさに、イエスは、私たちの心が些細なことで混乱することを、軽蔑することなく、いっしょに悲しんでくださる方なのです。
最初に引用させていただいた方は、五十歳のときにうつ病になったとのことです。一人のクリスチャンドクターは、「シスター、運命は冷たいけれども、摂理は暖かいものですよ。今、あなたが病気になったということは、運命ではない、神様のお計らいなのです」と言われました。そして、いつしか感謝に変わったとのことです。
あなたは、心の内側に湧き起こった感情を、自分で制御しようとして混乱を深めたことがないでしょうか?不安こそ、怒りの源泉と言われます。しかし、それを押し殺してばかりいると、不機嫌を撒き散らして周りの人を傷つけたり、また、自分を責めてうつ状態になることがあります。
ところが、ダビデは、「私の心は奥底から悶え、死の恐怖に襲われています。恐れとおののきにとらわれ、戦慄に包まれました」(四、五節)という四つの並行文で、自分の恐怖心をやさしく受け止め、それを神に訴えています。
彼は自分の心の状態を、分析することも、言い訳することもなく、そのままことばにしました。それこそ、感情に振り回されないためのステップではないでしょうか。
ライオンの口から羊を救い出し、打ち殺したこともあるというあの勇気に満ちたダビデが、自分の気持ちを、ひとりぼっちで身体を震わせている少女のように描いているのです。彼はその微妙な感情を優しく丁寧に受け入れています。
感情を、いじるのではなく、自分のたましいに向かって、「おまえは不安なんだね……さみしいんだね」と言ってそれを優しく受け止めながら、しかも、「私ってなんて可愛そうなんでしょう!」などという自己憐憫に逃げ込むことなく、ただ、「主よ。私は不安です……さみしいです」という祈りに変えてみてはいかがでしょう。それは、心の奥底で神との交わりを体験する絶好の機会です。それこそ御霊に導かれた祈りではないでしょうか。
しかし、自分の気持ちを受けとめられない人は、人の気持ちも受けとめられないばかりか、神との交わりも浅いものに留まってしまうと思われます。