詩篇八篇

指揮者のために ダビデの賛歌
主(ヤハウェ)よ。 (1
 私たちの主(アドナイ)よ。
御名は全地で、なんと威厳いげんに満ちていることでしょう。
 そのご威光いこうは、天を越えたところに輝いています。
あなたは幼子と乳飲み子たちの口によって、力を打ち建てられ、 (2
 刃向はむかう者を沈黙させ、敵とあだとを動けなくさせました。
あなたの指のわざである天を仰ぎ見、 (3
 あなたが配置された月や星を見ますのに、
人とは、何者なのでしょう。
 これをみこころに留めてくださるとは。 (4
人(アダム)の子とは、何者なのでしょう。
 これをかえりみてくださるとは。
あなたは彼を、神よりわずかに低いものとされて、 (5
 栄光とほまれのかんむりをかぶらせてくださいます。
あなたは御手のわざの数々を彼に治めさせようと、 (6
 すべてのものを彼の足の下に置かれました。
すべて、羊も牛も、また、野のけものも、 (7
 空の鳥、海の魚、海路うみじを通うものも。
主(ヤハウェ)よ。私たちの主(アドナイ)よ。 (9
 御名は全地で、なんと威厳に満ちていることでしょう。

翻訳注

  • ギテトの意味は諸説があり定かではないが、立琴の一種ではないかと思われる。
  • 一節最後の行は原文で、「それ(御名)は、あなたの威光を諸天の上に置かれた」となっている。
  • 一節二行目の「主」は原文で、主人を意味する「アドナイ」と記されている。ユダヤ人は、いつのころからか、「十のことば」の三番目、「あなたの神、主(ヤハウェ)の御名を、みだりに唱えてはならない」という戒めの適用として、「ヤハウェ」を、「アドナイ」と読み替えるようになったが、ここはもともと「アドナイ」と記されていた。九節も同様。
  • 二節「(刃向かう者を)沈黙させ」は、「幼子と乳飲み子の口」との対比での意訳。
  • 四節「みこころに留める」は、「覚える」と訳されることばで、神が私たちひとりひとりをみこころの中に覚えていてくださることを意味する。また「顧みてくださる」とは、高い地位にある人が無名の人に特別に目をかけるという文脈で使われることば。
  • 四節二行目の「(人の子とは)何者なのでしょう」は、原文では省かれていることば。
  • 五、六節の「彼」は、本来四節の「人」または「アダムの子」を指し人類全般を意味するが、ヘブル二・七、Ⅰコリント一五・二七、エペソ一・二二では「キリスト」を指す代名詞として理解されている。
  • 五節、六節は、動詞の時制として、「低いものとされて」は完了(厳密にはワウ倒置未完了)、「冠をかぶらせ」は未完了(未来的な意味)、「治めさせようと」は同じく未完了(未来)、「置かれました」は完了という区別があえてつけられていると解釈できる。


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