詩篇二三篇

ダビデの歌
主(ヤハウェ)は、私の飼い主。 (1
 私は乏しいことがありません。
主は私を、緑の牧場に伏させ、 (2
 いこいの水際みぎわに伴われます。
主は私のたましいを 立ち返らせ、 (3
 御名のために ただしい道筋に戻されます。
たとい 死の陰の谷を歩むことがあっても (4
 わざわいを 恐れはしません。
あなたが いつもともにいてくださいますから。
 あなたのむちつえ、それらが私を安心させます。
敵の前で、あなたは私のために食事を整え、 (5
 頭に香油を注いでくださいます。私のさかずきは あふれています。
生きている限り、恵み(goodness)と慈愛(へセッド)が 私を追い続けます。 (6
 とこしえに私は、主(ヤハウェ)の家に住み続けましょう!

翻訳注

  • 一節bは、原文で、「私は不足することはない」という興味深い表現になっている。
  • 二、三節の「主」は、動詞の形から判断される主語で、「彼」が直訳だが、「神」を「彼」と呼ぶのは畏れ多いので「主」と訳している。ただ、一、六節で「ヤハウェ」と明記されているのとは区別される。
  • 二節「伏させ(安心して横たわるようにする)」「伴われ(導く)」、三節「立ち返らせ(回心させる)」「戻されます(優しく導く)」、四節d「それらが安心させる(慰める)」は、すべて羊に安心をもたらす神の優しさの表現だが、原文で、それぞれ異なったことばが使い分けられている。
  • 四節の三行目の「あなた」は特に強調されて記されている代名詞。
  • 同四行目の「鞭」は「棍棒」のようなもので、野生動物の攻撃から守るための羊飼いの武器。
  • 六節「恵み」は多くの英語訳でgoodness「良い」の名詞形。四節bの「わざわい」の反対語。
  • また「慈愛」はへセッドの訳で、神がご自身の約束に真実であられることを表す。
  • 「私を追い続けます」の「追う」とは、「獲物を追う」と使われる表現。羊飼いの犬が羊を後ろから追って前に進ませるイメージ。「わざわいや恐れ」に駆り立てられて生きることの対比。
  • 「追い続け」「住み続け」での「続け」は原文にはないことばで「生きている限り」「とこしえに」ということばと動詞の形から説明的に付加。


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