「天は語り、みことばは生かす」

「ふたつのものがある。それに思いを巡らし、心を集中させればさせるほど、この心をいつも新たな驚異と畏敬の念に満たしてやまない。それは私の上の星空と、私のうちにある道徳律である」と、ドイツの哲学者インマヌエル・カントは言いました(『実践理性批判』の結び、私訳)。しかし、私たちが夜空を見上げることは何と少なく、また自分の心の内を見て失望することは何と多いことでしょう。そんな方のため、この詩は記されているのかもしれません。
 それにしても、人の「心」は不思議なものです。自分を含め、現代の教会は、神の最高傑作ともいえる人間の「心」をあまりにも自虐的に見すぎるような気がしました。「心」は、確かに、とんでもない罪深い傾向に流れるものでもあります。しかし、その罪を自覚することができるということ自体が、何とも不思議ではないでしょうか。しかも、美しいものに感動し、何とも言えないやさしいことを考えたりもします。「心」は、驚くほど繊細で、傷つきやすく、同時に、とてつもない強さをも秘めています。その不思議を感じながら、その「心」がみことばによって生かされ、方向付けられることの驚異を改めて覚えさせられます。
 この詩篇の美しさは比類ないものです。何かの説明を加えること自体が、かえって聖霊の語りかけを減じるようにさえ思われます。ここにはことばにならない神の語りかけと、人のことばを用いた神の語りかけの二つが記され、私たちの「心」を創造主に向けさせてくれます。


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