申命記12章〜16章「主を礼拝する愛の共同体」

2016年10月16日

私たちはみな基本的に豊かさを求めています。富を得ると、大きな家に住み、一人ひとりの部屋を持つことができます。自分のやりたいことを自由にできる余裕が生まれ、個々人の活動範囲も広がります。しかし、それとともにいっしょに集まろうとしても、互いのスケジュールを調整するのが大変です。その結果、お互いの心と心が離れて行きます。 “申命記12章〜16章「主を礼拝する愛の共同体」” の続きを読む

申命記9章〜11章「全能の主に結び付く幸い」

2016年10月9日

私は昔、ひとつの教えに熱くなると、別の思想に非寛容にならざるを得ないと警戒していました。しかし、それは逆でした。

真理はイエスにだけあると心に決めたとき、かえって心が自由にされ、いろんな考え方、感じ方に柔軟になれた気がします。それは、自分で自分を守る必要がなくなるからでしょう。 “申命記9章〜11章「全能の主に結び付く幸い」” の続きを読む

申命記6章〜8章「自分自身から自由にされるために」

2016年9月18日

この箇所から11年前にメッセージを取り次がせていただいた日のことですが、主の不思議なみわざを見させていただきました。その二日前、重篤の癌患者をお見舞いし、主にどのように祈るかを導かせていただいたところ、彼女はその夜、入院して以来、初めて熟睡できたと感謝され、それまで教会に来られたこともないのに、礼拝にぜひ参加されたいと言われました。 “申命記6章〜8章「自分自身から自由にされるために」” の続きを読む

申命記4章〜5章「そうして、永久にしあわせになる」

2016年9月4日

NHKの大河ドラマや朝ドラに歴史上のクリスチャンが頻繁に登場します。みんなから好かれる人格者がほとんどです。それなのに、クリスチャン人口が増えないのはどうしてかといぶかしく思えるほどです。日本での宗教の役割は、人を謙遜で柔和で忍耐心のある人格者に育てることにあると見られがちですが、そこで問題なのは、人々の目が、神ご自身ではなく、神を信じる個人に向かうことです。 “申命記4章〜5章「そうして、永久にしあわせになる」” の続きを読む