マタイ27章55〜66節「イエスの復活の舞台を備えた人々」

2023年7月2日 

一般的なキリスト教の教えでは、イエスの十字架の死の後に、弟子たちの間に復活信仰が芽生えたという説明がなされます。それこそが科学的な表現だとさえ言われます。確かに、イエスの身体の復活は万人が認められることではありませんから、それは客観的な表現のようにも思えます。 “マタイ27章55〜66節「イエスの復活の舞台を備えた人々」” の続きを読む

マタイ27章45〜56節「十字架の忌まわしさと麗しさ」

2023年6月11日 

イエスの十字架での苦しみは私たちの想像を超えるもので、そこでの主の「大声」での「叫び」が「エリ、エリ、レマ、サバクタニ(わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか)」と記録されています。それはイエスの絶望的な叫びです。 “マタイ27章45〜56節「十字架の忌まわしさと麗しさ」” の続きを読む

マタイ27章27〜44節「神のお気に入りとしての苦難」

2023年5月28日ペンテコステ 

今日はペンテコステ、聖霊が信者の上に下ったことを記念する日です。イエス・キリストは、三回に分けて私たちの人生に現れてくださるという神学的な解釈があります。 “マタイ27章27〜44節「神のお気に入りとしての苦難」” の続きを読む

マタイ27章15〜26節「バラバの釈放とイエスの十字架刑」

2023年5月7日

人の人生は、時の権力者の思い違いによって破滅に向かうような「空しい」ものです。そのことが「人 (アダム) は息に似て、その日々は過ぎ去る影のよう」(詩篇144:4私訳) と歌われます。 “マタイ27章15〜26節「バラバの釈放とイエスの十字架刑」” の続きを読む

マタイ27章1〜14節「建前の信仰ではなく、本音の信頼によって」

2023年4月16日

私たちの信仰はときに、「建前」のようなドグマに支配され、本音を言えなくなってしまうことがないでしょうか。かつての太平洋戦争を導いた東條英機首相は、「戦争が終わるということは……われわれが勝つということだ……天皇陛下は神であって、天皇陛下に帰一していれば、国体の輝くこの国は負けるわけがない。戦っていまだかつて負けたことのない国なのだから」と語っていたとのことです。 “マタイ27章1〜14節「建前の信仰ではなく、本音の信頼によって」” の続きを読む

マタイ26章69〜75節「この岩の上にわたしの教会を建てます」

2023年3月5日

ヨーロッパにはキリストの弟子を自分たちの地方の守護聖人として崇める伝統があります。たとえばペテロの兄弟アンデレはスコットランドの守護聖人とされ、それは青地に斜め白十字の国旗にも表されています。それは、彼の殉教後に、彼の骨を乗せた船がスコットランドに流れ着いたと言われているからです。 “マタイ26章69〜75節「この岩の上にわたしの教会を建てます」” の続きを読む

マタイ26章57〜68節「イエスの王としての現れ」

2023年2月19日

世界中のほとんどの人は、イエスが無実の罪で十字架刑にされた悲劇の主人公であるかのように見ています。事実、十字架は神の愛を表すシンボルと見られ、未信者でさえ装飾品として首にかけているほどです。しかし、私たちは、キリストの支配がすでに今始まっていることを、たとえばメサイアのハレルヤコーラスで、「He shall reign for ever and ever, King of Kings, Lord of Lords(キリストは統べ治めておられる、王たちの王、主たちの主として)」と賛美します。 “マタイ26章57〜68節「イエスの王としての現れ」” の続きを読む

マタイ26章47〜56節「剣を取る者はみな剣で滅びます」

2023年2月5日

フィリピンの監獄の中からの遠隔操作で、日本の若者たちが闇バイトに誘われ、脅され、強盗を働かされたことが明らかにされました。一見、強がっている若者たちが、簡単にそのような脅しに屈してしまうのは何とも不思議です。ただ、それはイエスの弟子のペテロも似たようなものでした。 “マタイ26章47〜56節「剣を取る者はみな剣で滅びます」” の続きを読む