マタイ3章1〜17節「イエスが受けたバプテスマ」

2019年9月22日 

この世界には様々な矛盾がありますが、その真の原因を知る人は稀です。この世界では常に、一つの問題の解決が次の問題を生み出します。今から二千年前、イスラエルの民はローマ帝国の支配から解放されることを切望していましたが、それに対しバプテスマのヨハネは、ひたすら神の救いを待ち望み、神の前に遜るようにと訴えました。この約200年前にギリシャ人の王を打ち破ったユダヤ人は、独立王朝を築くものの百年も経たずに内紛で自滅していました。 “マタイ3章1〜17節「イエスが受けたバプテスマ」” の続きを読む

マタイ1章1節〜2章23節「愛の完成に向かう預言の成就」

2018年12月23日 

今から33年前に英国のワムという二人がリリースした「ラスト・クリスマス」という曲が、今もこのシーズンになると町中で聞かれます。僕は今頃になって、その歌詞を味わっています。

「Last Christmas I gave you my heart, but the very next day you gave it away. This year, to save me from tears, I’ll give it to someone special(去年のクリスマス、君に僕の真心を捧げたら、何と君は、それを翌日に捨て去った。今年は涙を流さなくて済むように、それを誰か特別な人にあげよう)」  “マタイ1章1節〜2章23節「愛の完成に向かう預言の成就」” の続きを読む

マタイ2章1〜23節「神のときを生きた人々」

2016年12月25日

最近、お金や経済に関する話で他教会に招かれます。次のような文章をどのように思われるでしょう。

「経済が国家の決定的な支配者の地位にのぼるのにきっちり応じて、貨幣は神となり、あらゆるものはこれに奉仕し、だれもがこの前に屈服しなければならなかった。天上の神々はますます時代遅れで、すたれたものとなり、隅の方へしまわれてしまい、代わりにマモン(富)の偶像に香がたかれた。まことに困った堕落が始まった・・・崩壊の究極的原因は、もっと外の領域に・・あるに違いない・・旧帝国の破滅のもっとも深い究極的原因は、人種問題および、それが民族の歴史的発展に対して持つ意味を、認識しなかったことにある」・・・ “マタイ2章1〜23節「神のときを生きた人々」” の続きを読む

マタイ1章「ダビデの子としての救い主の誕生」

2016年12月18日

先日の子供クリスマス会で「靴屋のマルティン」の人形劇を上演しました。マルティンはロシアの田舎の評判の良い働き者の靴屋さんでした。若くして結婚しましたが、奥さんとお子さんたちを早くに亡くしてしまい、ひとり残った息子を育てながら後継ぎにすべく訓練していました。しかし、その子も病気でアッという間に死んでしまいます。彼は絶望の底に落とされます。 “マタイ1章「ダビデの子としての救い主の誕生」” の続きを読む

マタイ28章16〜20節他「イエスに倣い神のかたちで生かされ、祝福を分かち合う」

2016年1月24日

私たちはみな小さい頃から、「この地で成功する」ようにと様々な訓練を受けています。そして、キリスト教会でも「弟子訓練」の大切さが説かれてきました。 “マタイ28章16〜20節他「イエスに倣い神のかたちで生かされ、祝福を分かち合う」” の続きを読む

マタイ18章15〜35節「イエスの御名による交わりの祝福」

2015年1月18日

しばしば、福音があまりに単純化され、「イエス様を信じたら死んでも天国に行ける…この世界はどうせ火で焼かれるのだから、地上の人間関係に心を煩わせる必要はない」などと誤解されることがあるかもしれません。しかし、イエスは今日の記事で、この地での兄弟に対する対応が、そのまま天に反映されると言われ、「この地で兄弟を赦さないなら、天の父もあなたを赦さない」という趣旨のことまで言っておられます。 “マタイ18章15〜35節「イエスの御名による交わりの祝福」” の続きを読む

マタイ1章17〜25節「ご自分の民をその罪から救ってくださる方」

2014年12月21日

「親の因果が子に報い・・」というのは、とっても嫌な表現ですが、私たちの生きにくさの一面を言い当てているのかもしれません。たとえば、親から虐待を受けて育った子供は、親になった時、「私は親のようには絶対にならない・・」と願っているのに、同じ過ちを繰り返してしまう・・・ということがあります。 “マタイ1章17〜25節「ご自分の民をその罪から救ってくださる方」” の続きを読む