イザヤ11章1〜10節「神の平和を完成する救い主」

2011年12月24日 クリスマス・イヴ礼拝

信仰に導かれた二十歳過ぎのとき、僕にとっては、「いつも主にあって喜びなさい」(ピリピ4:4)というみことばがとっても新鮮でした。でも信仰生活が長くなるうちに、それが偽善のように思えてきました。 “イザヤ11章1〜10節「神の平和を完成する救い主」” の続きを読む

イザヤ56章〜66章「新しい天と新しい地での礼拝を目指して」

2011年3月13日

日本の歴史上、最大級の地震が起きて、多くの方が苦しんでおられます。そして、世界中の多くの私たちの兄弟姉妹が、この日本のために祈っていてくださいます。フィリピンやシンガポールや香港、アメリカの兄弟姉妹から安否のお問い合わせと、何かできることはないかとの支援のお申し出を受けています。 “イザヤ56章〜66章「新しい天と新しい地での礼拝を目指して」” の続きを読む

イザヤ40章〜48章「まことに、あなたはご自身を隠す神」

2011年2月6日

先日、ある教会の礼拝でご奉仕させていただいたとき、その後で、ある方が、「どうしても先生に、一言、お尋ねしたい・・・」と言って来られました。その方は、「以前、私は、神様のことをとっても身近に感じ、疑いなどを持つことがなかった。教会奉仕も楽しくてたまらなかった。ところが、今は、心が渇き、苦しくてたまらない。それで必死に、以前のように戻りたいと様々な努力を重ねているのですが、かえって苦しくなるばかりです。どうしたら良いのでしょう・・・」という趣旨のことを尋ねてくださいました。 “イザヤ40章〜48章「まことに、あなたはご自身を隠す神」” の続きを読む

イザヤ66章7〜24節「神が創造してくださる礼拝」

2011年1月23日

新渡戸稲造は「武士道」という著書で、日本の武士道とキリスト教精神に共通点があることを描き、それは国際的なベストセラーになりました。小生も同じ大学の大先輩であるという理由だけで、尊敬とともに親近感を覚えますが、そのような視点の危なさを感じることもあります。武士道精神では、どのような状況下でも心の平静さを保つことができるように自分で自分を律することが大切にされます。しかし、ふと、「自分で自分を律することができるなら、どこに信仰の必要があるのだろう・・・」とも思います。 “イザヤ66章7〜24節「神が創造してくださる礼拝」” の続きを読む

イザヤ65章16節〜66章14節「わたしは新しい天と新しい地を創造する」

2011年1月9日

私たちは今、「すぐに結果を出さなければ・・」というプレッシャーの世の中に置かれています。私自身もかつてそのような職場に身を置き、その発想を身に染み込ませて牧師になりましたが、そのために信仰生活が苦しくなった時期があります。なぜなら、あまりにも結果が見えなさ過ぎるからです。それは目に見える教会の成長のことばかりではありません。「これだけ神のみことばに親しんでいるのに、どうしてこうも僕は成長できないのだろう・・」と思ってしまいます。久しぶりに会った友人が、僕の若さをほめる意味で、「お前は何も変わっていないな」と言ってくれても、ふと、「お前の人格には昔から何も成長が見られない・・」と言われたような気になることがありました。 “イザヤ65章16節〜66章14節「わたしは新しい天と新しい地を創造する」” の続きを読む

イザヤ63章18節〜65章16節「アーメン(真実)の神によって祝福される歩み」

2011年1月2日

クリスチャンは天国にあこがれながらこの世の不条理をしのび、悔しいことがあっても微笑みながら生きる・・・そんなイメージがあるかもしれません。しかし、そんな生き方では、息が詰まってしまいます。義兄が私たちの信仰のあり方を尊重しながら、「お前たちの所は、アーメンだからな・・・」と言ってくれますが、今日の箇所には、「アーメン(真実)の神」という不思議な表現があります。それは、神にはご自身のことばと現実の行いの間にいかなるギャップもないということを意味します。 “イザヤ63章18節〜65章16節「アーメン(真実)の神によって祝福される歩み」” の続きを読む

イザヤ41章〜43章「恐れるな。わたしは、あなたとともにいる」

2011年1月1日

AKB48の 「Beginner」を聞いて、これを書いた秋元康さんは本当にこの時代を見ていると妙に感心しました。「昨日までの経験とか、知識なんか荷物なだけ、風はいつも通り過ぎて、後に何も残さないよ、新しい道を探せ! 他人(ひと)の地図を広げるな! 伏せた目を上げた時に 0(ゼロ)になるんだ・・・今 僕らは夢見てるか、子どものようにまっさらに…支配された鎖は引きちぎろう Change your mind 何も知らなくていい Beginner! チャレンジは馬鹿げたこと? リスク回避するように愚かな計算して何を守るの? 僕らは夢見てるか? 未来を信じているか? 何もできない、ちゃんとできない、それがどうした? 僕らに可能性があるんだ、君は生まれ変わった Beginner! “イザヤ41章〜43章「恐れるな。わたしは、あなたとともにいる」” の続きを読む

イザヤ62章4節〜63章17節「諦めることなく、主に訴える」

2010年12月12日

「あきらめ」には良い面と悪い面があります。これは、本来、「明きらむ」から生まれた言葉のようですが、そこには、「心を明るく楽しくする」という意味がありました。依存症の原因に、自分では変えようのない過去への後悔や恨みがあると言われますが、目の前の現実を明らかに見るときに、断念すべきことがわかります。 “イザヤ62章4節〜63章17節「諦めることなく、主に訴える」” の続きを読む

イザヤ60章10節〜62章3節「神の救いがもたらす大逆転」

2010年12月4日

多くの人々は、「大切な何かを失うこと」を恐れて生きています。この恐れは豊かになるほど大きくなります。福音を聞き、それに感動しながらも、何か大切なものを失うことを恐れて決断できない人もいます。これは江戸時代からのキリシタン迫害のトラウマが日本人全体の心に深く染み込んでいるためでしょう。そればかりか、イエスはご自身に従う者が、この世で大切な家族や財産を失う可能性があるとさえ言われました。 “イザヤ60章10節〜62章3節「神の救いがもたらす大逆転」” の続きを読む

イザヤ59章1節〜60章9節「世のやみの中で私の光を見る」

2010年11月21日

人はみな自分の努力が正当に報われることを心から願います。しかし、大学新卒者の就職内定率が五割という状況の中で、そのような成功志向が、ますます目先の損得勘定に敏感な品格のない人間を育てることになってはいないでしょうか。高度経済成長の時代は、努力がそれなりに報われたかもしれませんが、それは長い歴史の中ではほんの一瞬でした。 “イザヤ59章1節〜60章9節「世のやみの中で私の光を見る」” の続きを読む