聖書から見るお金と教会、社会

聖書から見るお金と教会、社会

神への捧げものとして、いにしえのイスラエルにおいては家畜や収穫物が献げられ、現代のキリスト教会では「お金」が献げられている。本書は、そのお金と教会の関係、さらに社会との関係を、元証券マンの高橋秀典牧師(立川福音自由教会)が聖書から解き明かす。『お金と信仰』(地引網出版)に続く第二弾。

本書は、月刊「舟の右側」に掲載された連載を大幅に加筆修正したものとなっています。

発売日:2017年6月7日
発行:地引網出版
ISBN:978-4-901-63438-0
定価:1,500円(税別)

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CGNTV Japan「本の旅」インタビュー


「はじめに」

2014年の初めに前著『お金と信仰』が出版されましたが、驚くほどの良い反響をキリスト教界ばかりかビジネス界の多くの方々からいただくことができました。この本をもとに様々な教会や超教派の集会にお招きいただき、様々なレスポンスを受けることができました。

それをもとに、本書の第一部では、より聖書の視点から、この社会でのお金の流れや問題、信仰者の生き方に関して記します。また第二部は、「お金と教会」という現実的なテーマでまとめております。2014年に創刊されたキリスト教月刊誌「舟の右側」に掲載された記事も、大幅に加筆、修正しております。

先の『お金と信仰』の内容に関しては、一部、経済にはあまり詳しくない方々から、「ちょっと難しい」という感想もいただきましたので、今回は、より聖書の解説を丁寧にし、分かりやすさを追求しております。経済は生き物ですから、三年前の話がすぐに古く感じられるような面があります。しかし本著では、三千数百年前の聖書の記述と現代の経済、教会の現実を結びつけるような書き方をしております。日々変わりゆく社会と教会の現実を、変わることのない聖書の視点からどのように見ることができるのか、本著をベースに共にお考えいただければ幸いです。

なお、2016年は英国のEU離脱決定に続き、米国ではトランプ大統領の誕生が決まり、またヨーロッパ諸国でも民族主義政党が躍進しました。トランプ大統領の誕生は、米国で伝統的には民主党の支持基盤であった工場労働者の危機感を背景にしていると言われます。彼は大統領就任演説でも、雇用の拡大を大胆に約束しました。共和党の大統領が、保護貿易主義的な動きに走るというのは不思議なことです。その背後には中間層の没落があると言われます。

問題なのは、トランプ大統領が経済の問題を簡単に解決できるかのように約束したことです。過去の多くの強権的な指導者が同じように約束し、一時的な対症療法の後、さらに大きな問題を生み出してきたからです。

実は、米国の中間層の没落は、世界の最貧国と言われた国々の驚くべき経済成長とセットになっているのです。最近のインドやベトナム経済の成長は誰の目にも明らかですが、飢えに苦しんでいたバングラデシュやエチオピアまでもが驚くべき成長を遂げています。グローバル経済の中で世界の貧しい人々が力をつけている分だけ、先進国の中間層が没落するという面があるのです。

そうすると、先進諸国が国内の労働者を保護しようとすればするほど、貧しい国々の経済成長が脅かされるというジレンマが生まれます。先の「お金と信仰」でも、繰り返し「あちらを立てればこちらが立たず」というトレード・オフの関係を理解することの大切さを書かせていただきました。貧しい人々を助けようとして経済を機能不全に陥れ、かえって貧しい人々を増やしてきたという世界の歴史を改めて振り返る必要がありましょう。

二十世紀においては、経済の南北格差が大きな課題になっていました。そこでは豊かな国の人々が貧しい国の人々を助ける援助の形が、キリスト教団体の働きにも期待されていました。しかし、グローバル経済が進んでいく二十一世紀においては、豊かな国と貧しい国という分け方よりも、それぞれの国や地域においての貧富の格差が問題になっています。

かつて最貧国と呼ばれた国々にもビジネスで成功して豊かになる人々が増えている一方で、豊かな国々でも貧しい人々が急速に増えています。そこで課題になるのは、安定した政権によって、健全な所得の再分配や貧しい子供たちへの教育が施されることです。ただ、それを政治システムだけで解決するには限界があります。社会は、人と人との組み合わせから成っています。しかし、生産性を高めることばかりを最優先する高度経済成長時代の社会システムは、大家族や地域社会での助け合いを希薄にしてきました。

いま改めて、人の幸福は、人と人との結びつきにあるという原点が見直され始めています。しかし、それは決して新しい話ではなく、二千年前の初代教会時代の最も大きなテーマでした。なぜなら、福音が爆発的に広がったローマ帝国こそ、現代に勝るグローバル経済が実現していたからです。黙示録16章には、「大バビロン」という、政治権力と結びついた富の支配の横暴が描かれています。そしてこの勢力が、敬虔な信仰者を迫害するとも記されています。そして、信仰者に求められていたのは、そのような権力者と戦うことではなく、死の脅しに屈することのない創造主への忠実さを全うすることと、互いに助け合う愛の共同体を広げることでした。その成長の中でキリスト信仰がローマ帝国の権力システムさえ変えました。

ただそこで、再び、個々人の自由な、主体的な信仰が、政治システムに組み込まれて堕落するという新たな矛盾が生まれました。そして、中世カトリック教会で、お金と教会制度が結びついてしまった時に、宗教改革が必要になりました。

2017年は宗教改革五百周年記念の年です。私たちは今、新たな宗教改革を必要としているとも言えましょう。それは、個々人の「たましいの救い」というテーマを超える運動です。それは神の平和(シャローム)をこの地に広げるという共同体的な信仰です。

日本におけるキリスト教会は、驚くほど小さな存在です。しかし、明治時代のキリスト者が当時の社会に決定的な影響力を発揮できたように、現代の日本の教会も、社会に影響力を持つことができます。

それは、保守と革新という枠組みの対立を超えたヴィジョンでなければなりません。現代の政治的変化は、グローバル経済が生む問題を、対症療法的に変えようとする運動のように見えます。しかし、キリスト教会は、そのような政治対立を超えた新たな価値観を提示する存在であるべきでしょう。そして、明確なヴィジョンのもとに、お金を賢く管理することが求められています。イエスは二千年前のグローバル市場経済の中で、お金について驚くほど頻繁に語られました。そして、そのメッセージは、現代のグローバル経済にそのまま適用できる、古くて新しい知恵なのです。