生まれた時から神に抱かれている〜詩篇71篇6節

主 (アドナイ) ヤハウェは 若いころからの私の拠り所。
あなたに 胎内にいるときから 私は抱かれています。
あなたは 母の胎から私を取り上げてくださった方。
詩篇71篇5、6節私訳

小さいころ、僕は都会や外国の文化に憧れていました。ド田舎で、何の楽しみもなく、冬は雪と戯れるのが日常でした。

その中でも、田んぼを上を約1キロメートルあまりのスキーで歩き、小さな川も超えて、百メートル余りの小高い山に行って、よくスキーを楽しんだものでした。当時のスキーは普通の長靴に簡単に固定するもので、現在の歩くスキーに似た面がありました。もちろん、スキーリフトなど見たこともありませんでした。

二歳下の妹を連れてよくその山に行きました。その妹は、今、スキーのインストラクターで子どもたちにスキーを教えています。

最近は毎年のように妹とともに、旭岳や富良野、神居の山などでスキーをします。数日前も二日間にわたり、スキーを楽しめました。

人の少ない白銀のゲレンデを勢いよく滑走すると、本当に、心の底から楽しくなります。生きている喜びを味わうことができます。何か身体全体が喜んでいるような感じなのかもしれません。

パソコンが壊れたことなど、小さなことに思えるほどです。

やはり、僕にとって、雪のない冬は、何か寂しい感じがします。でも、この東京の冬の青空も好きですし、遠くの雪の富士山を見るのも良いものです。

どちらにしても、やはり、小さいころに楽しく感じたもの、楽しく感じたことは、からだにしみついているものだと心から思います。

今頃になって、自分は何んとすばらしい環境の中に生まれ育つことができたのかと感謝できるようになっています。

僕が自分の創造主を知ることができたのは大学生のときでしたが、僕が創造主を知る前に、神は僕に目を留め、あのド田舎に生まれさせ、育ててくださったと思えることはなんと感謝なことでしょう。

幸い僕の場合は、母のことを大好きに思えていますが、そのように感じられない人も多くいることも知っています。それはとっても大きな人生のハンディなのですが、それらすべてを支配しておられる創造主を知ることができるなら、その人の人生も輝きだすのだと思います。

どちらにしても、子ども時代に楽しく感じたことを再発見できることは、創造主を知ることと切り離せない関係にあるように改めて思いました。