私たちは知らないうちに異教的な考え方の影響を受けています。それはしっかりした信仰者は「心が動じなくなるはず」という誤解です。それは西洋ではローマ帝国で広く受け入れたストア主義、あるいは禁欲主義の精神であり、日本では禅仏教や武士道の考え方です。
私自身もその違いが分からず、自分の心の揺れやすさを恥じてきました。しかし詩篇の祈りには、自分が味わっている気持ちを正直に包み隠さずに父なる神に訴えるという祈りが満ち溢れています。
それを見て、これはダビデの信仰の未熟さのゆえであるという学者もいますが、よくよく注意してみると、その未熟ともいえる祈りがイエスの祈りに影響を与えており、敵を呪うような祈りも、新約聖書では神の公平なさばきとして何度も引用されているのです。
今日の箇所でイエスは、ご自身が既に何度も預言し、受け入れていたはずの十字架を前にして、驚くほどの「悲しみ」と「恐れ」を味わっておられます。
私たちが避けるべきなのは、恐れの感情自体ではなく、恐れに屈することです。「恐れ」に勝利させてくださる神への信頼こそが信仰の核心なのです。
1.「たといすべての者があなたのゆえにつまずいても、この私は決してつまずきません」
30節で、イエスと弟子たちは、過越の食事を締めくくる「賛美を歌って、オリーブ山へ出かけた」と記されますが、ここには大切なことが省かれています。
ヨハネ福音書では、イエスはこの食事の終わりに、裏切りの決意を固めたイスカリオテのユダに向かって「あながたしようとしていることをすぐにしなさい」と言いました (13:27)。その後イエスは、「今、人の子は栄光を受けました」(13:31) と、ご自身の十字架を「栄光」と呼ばれ、終わりに弟子たちに向かって「これらのことを……話したのは、あなたがたがわたしにあって平安を得るためです。世にあっては苦難があります。しかし、勇気を出しなさい。わたしはすでに世に勝ちました」と力強く語られました (16:32)。
さらにイエスは父なる神に向かっての大祭司の祈りをささげた後、「これらのことを話してから、イエスは弟子たちとともに、キデロンの谷の向こうに出て行かれた。そこには園があり、イエスと弟子たちは中に入られた」(18:1) と記されています。
またルカの福音書では、オリーブ山に向かうことが「それからイエスは出てゆき、いつものようにオリーブ山に出て行かれた。弟子たちもイエスに従った」と記されています (22:39)。
つまり、イエスはいつもの祈りの場に向かっておられたのです。
31節での「そのとき、イエスは弟子たちに言われた」という「そのとき」とは、上記の最後の晩餐直後のイエスと弟子たちとの会話の中でのこととも考えられます。マタイでは時間の経過よりも、論理的な流れに注目した書き方がなされているからです。
とにかくイエスはそこで、「あなたがたはみな、今夜わたしにつまずきます」と言われました。弟子たちは今まで、イエスの権威や癒しのみわざに圧倒されていましたが、今やおぞましい十字架にかけられるというのですから、彼らがイエスの「弱さ」につまずくのも当然でしょう。
ユダの裏切りは、いち早くそれを察知した結果に過ぎません。この福音書においては、そのユダの裏切りと他の弟子たちに裏切りには論理的なつながりがあるということを明らかにするために、他のすべてのことを省いて、これらの悲劇的なできごとを一連のこととして敢えて描いたと言えましょう。
ただしイエスはそれを、ゼカリヤ13章7節に記された預言の成就として説明し、それを「わたしは羊飼いを打つ。すると、羊の群れは散らされる」(31節) と記されていると引用します。
ただ厳密にはゼカリヤではまず、「剣よ。目覚めよ。わたしの羊飼いに立ち向かえ、わたしの仲間の者たちに立ち向かえ」と記されます。それは主ご自身が剣を持つ者にご自身の羊飼いとその仲間を攻撃させるという意味です。
そのことがさらに、「羊飼いを打て。すると羊の群れは散らされて行き、わたしは、この手を小さい者たちに向ける」と言われます。厳密には、主ご自身がイエスを打つというのではなく、剣を持つ者に打たせるということですが、イエスは敢えて主ご自身がイエスを直接に打つかのように言うことで、これらすべてが神のご支配のもとにあることを明らかにされました。
しかもその8、9節では、信仰を練り直す主ご自身のご計画が、「全地はこうなる……その三分の二は断たれ、死に絶え、三分の一がそこに残る。わたしは、その三分の一を火の中に入れ、銀を練るように彼らを練り、金をためすように彼らをためす」と描かれます。
つまり、主 (ヤハウェ) がご自身の羊飼いを殺させるのは、羊飼いに従った信仰者に試練を与え、その上で彼らに真の信仰を芽生えさせるためであるというのです。残念ながらアダムの子孫は自分の失敗を通してしか、主に徹底的にすがるという歩みを始められないからです。
ただその結果が、「彼らはわたしの名を呼び、わたしは彼らに答える。わたしは『これはわたしの民』と言い、彼らは『主 (ヤハウェ) は私の神』と言う」(同13:9) と描かれます。それこそ完成された信仰者、また神とその民の関係が完成する姿です。
ただし、そこで注意しなければならないのは、試練に会わされる前に「断たれ、死に耐える」ものが全地の三分の二であるということです。
しかも、ゼカリヤ13章の前半には、偽預言者が顕わにされ、偽預言者の父母が「あなたは生きていてはならない。主 (ヤハウェ) の名を使って嘘を告げたから」(3節) と言いながら、自分の子を殺すと描かれています。
つまり、試練に会う人は救いに向かっている人であり、大部分の人はすぐに殺されるばかりか、偽預言者は特に厳しいさばきを受けると描かれているのです。
その基準からしたら、イスカリオテのユダの救いの希望はありません。一方で、イエスの他の十一人の弟子たちは、その信仰が精錬され、純粋にされる救いのプロセスに入ろうとしているというように見ることができます。
ただイエスはここで、「しかし、わたしは、よみがえった後、あなたがたより先にガリラヤに行きます」と言われました (32節)。
主はそこで、ご自身の復活ばかりか、弟子たちが散らされた後ガリラヤに集められ、そこから再出発するという、今までになかった新しい預言を語って、弟子たちに希望を与えられました。
ところがこの時ペテロは、「たといすべての者があなたのゆえにつまずいても、この私は決してつまずきません」(33節) と言って、自分の信仰が他の弟子たちとはレベルが違うように誇ってしまいます。
それに対しイエスは「まことに、あなたに言います」と真実性を強調しながら、「今夜、鶏が鳴く前に、あなたは三度わたしを知らないと言います」(34節) と、ペテロが真っ先につまずくと言われます。
彼はそれを心外なことと受け止め、「たとえ、あなたと一緒に死ななければならないとしても、あなたを否認することなどあり得ません」(35節) と豪語します。それを聞いた「他のすべての弟子たちも、同じように言った」と描かれます。
私たちは一人になると極めて臆病なのに、仲間と一緒の時、自分の弱さを押し隠して勇気があるように振る舞う傾向があります。それはやくざでもイエスの弟子でも同じ心理と言えるのかも知れません。
「挫折を知らない人ほど危ない人はいない」とも言われますが、自分の弱さを知らない者は本当の意味でイエスに出会っていません。ユダもペテロも紙一重と言えるのかも知れません。
私たちの中にはみな、自分の期待が裏切られた時、簡単にイエスを裏切ってしまう傾向があります。しかし反対に、「私はイエス様がいなければ何をするか分からないような者です」と告白する人は、イエスにつながり続けられます。
2.「イエスは悲しみもだえ始められた」「霊は燃えていても肉は弱いのです」
36節には「それから、イエスは弟子たちと一緒にゲツセマネという場所に来た」と記されます。これは、神殿があるシオンの山から下った「キデロンの谷の向こう」にあり、そこにある園に彼らは「たびたび……集まっておられた」とヨハネは描いています (18:1、2)。
ただ、このときイエスは弟子たちに、ご自身の祈りの時を隠すかのように、「ここに座っていなさい、わたしがあそこに行って、祈っている間は」と言われました。
「そして、ペテロとゼベダイの子二人を一緒に連れて行き、イエスは悲しみもだえ始められた」(37節) と描かれます。イエスは三人の弟子だけを敢えて連れて祈りの場に向かわれたのですが、その途中で、突然、「悲しみもだえる」という驚くべき状態に変わったのです。
そしてそこでイエスはこの三人の弟子に、「わたしのたましいは深い悲しみのうちにあります、死ぬほどに」(38節直訳) とご自身の気持ちを顕わにされました。
「深い悲しみ」とは、詩篇42篇5、11節、43篇5節で三度繰り返される「わがたましいよ、なぜ おまえはうなだれているのか(「絶望しているのか」新改訳第二版)……思い乱れているのか。神を待ち望め」と祈られることばを思い起こさせます。イエスのアラム語の祈りは不明ですが、七十人訳ギリシャ語での「うなだれる」と、ここでの「深い悲しみ」は同じギリシャ語です。
弟子たちにはイエスのことばが詩篇42、43篇で繰り返されている絶望感を表す言葉と同じだということがよく分かったことでしょう。イエスはこのときバビロン捕囚下にあったユダヤ人の絶望感を、この詩篇ともに味わっていました。
しかも、それは「死ぬほどに」という激しいものでした。神の御子イエスは、詩篇作者と同じ繊細な感情を持っておられたのです。
不思議なのはそこでイエスは三人の弟子たちに、「ここに留まりなさい。そして、わたしと一緒に目を覚ましていなさい」(38節) と言われたことです。それは、当てにならない彼らの祈りの支援を求めておられるかのような表現です。
この姿は、強がる弟子たちと何と対照的でしょう。ベタニアのマリアは高価な香油を注いでイエスを慰めることができましたが、この弟子たちはイエスの悲しみに追い討ちをかけます。
多くの人たちは心が動じなくなることを願います。哲学者ソクラテスは、不当な死刑判決を受けた時、「死は災いではなく自分にとっての幸せである」と友人たちを説得して慰め、法を破って逃亡することよりも従うことに価値を認め、毒の入った杯を大胆に飲み干したとのことです。
何と英雄的な姿でしょう。それに対してイエスは何と女々しく弱々しいことでしょう?しかし、それこそイエスが全き神であるとともに全き人間であられたことのしるしです。イエスは詩篇作者と同じ絶望感を味わい、震えておられたのです。
「それからイエスは少し進んで行って、ひれ伏された、そして、祈って言われた」と描かれます (39節)。当時の敬虔な人々は、顔を天に向けて大胆に祈りましたが、イエスはこのとき顔を地につけるように「ひれ伏され」たのです。それは絶望感を表す姿です。
そしてその祈りのことばが、「わが父よ。もし可能であるならば、この杯をわたしから過ぎ去らせてください」という懇願です。
「杯を飲む」とは、聖書で繰り返される「神の憤りを受ける」という表現です。たとえば、「あなたは主 (ヤハウェ) の手から憤りの杯を飲み、よろめかす大杯を飲み干した」(イザヤ51:17) とか、また、「この憤りのぶどう酒の杯を……飲んで、ふらつき、狂ったようになる」(エレミヤ25:15、16) と記されています。
つまり、これは、罪のないイエスが、すべての罪人の代表者となり、神の怒りを受けて酒に酔いつぶれた人のように嘲られながら死んで行くことを意味します。
ソクラテスを含め多くの人々は、神の「憤りの杯」を知りません。無知のゆえに、死を恐れずにいられるのです。しかし、イエスは肉なる人間が神の憤りの杯を飲むことの恐ろしさを熟知しておられました。
それでルカの描写によると、イエスは「苦しみもだえて……汗が血のしずくのように地に落ちた」(22:44) ほどになられたのです。人間は、極度の緊張に置かれたときに血の混ざった汗が出るとも言われますが、イエスが受けていた精神的なストレスは肉体の限界にまで達していたのでしょう。
一方、このとき弟子たちはイエスのことばに反して眠り続けていましたが、それをルカは、「悲しみの果てに眠り込んでいた」(22:45) と描いています。彼らの眠りは、ストレスを回避するための無意識の自己防衛作用かもしれません。いわゆる現実逃避です。
私たちは現実を過剰に美化するような「錯覚」によって不安を鎮めることがあります。また、それから目をそむけ続けることによってストレスに対処することがあります。しかし、イエスは目を大きく開いて現実を見据えておられます。
ただしその上で、「しかし、わたしの望むようにではなく、あなたが望むままに」(39節) と祈られました。私たちの罪の根本とは、人間の肉から生まれる願望を神のみこころに対して優先することです。
別のことばで言えば、神のみこころに沿った痛みを回避して、心地よさを選び取ることです。食べたいから食べたのが罪の始まりでしたが、今も自分の欲望に身を任す人が何と多いことでしょう。
さらに、「それからイエスは弟子たちのところに戻ってきた。そして彼らが眠っているのを発見した。そしてペテロに言われた」(40節) と記されます。
そして言われた内容が、「それで、一時間でも、わたしと一緒に目を覚ましていられなかったのか?目を覚ましていなさい。そして祈っていなさい。霊は燃えていても肉は弱いのです」と記されます。
「肉は弱い」とは、目を開けていることができないことではなく、イエスを三度も否認することや、「イエスを見捨てて逃げてしまう」(56節) ことを指します。
ペテロや他の弟子たちのつまずきは、このゲツセマネの園での祈りをイエスとともにすることができなかったことから始まっています。それは「肉の弱さ」に向き合うことができなかったからです。
しかし、イエスはアダムから受け継いだ肉の弱さを持っておられながら、それを熟知し、それと正面から向き合うことで、苦しんでおられたのです。
3.「もう(これから)眠りなさい、そして、休みなさい」
その後、「イエスは再び二度目に離れて行って、祈られた」(42節) と記され、そのことばが、「わが父よ、もし、わたしが飲むことなしに、この杯を過ぎ去らせることができないのであれば、あなたのみこころ(望み)がなりますように」と記されます。
それは、ご自分がこの杯を飲むのでなければ、この神の憤りの杯をエルサレムの民や弟子たちが飲まざるを得ないという思いが込められています。
イエスは全ての罪人たちが飲まなければならない神の「憤りの杯」を、私たちに代わって飲もうとしておられるのです。イエスが血の汗を流すほどに苦しむのは、罪人に割り当てられた憤りの杯の恐ろしさを知っておられたからです。
なおイザヤ51章17–19節では、「主 (ヤハウェ) の手から憤りの杯を飲む」ことが、エルサレムがバビロン帝国の攻撃を受け、「暴行と破滅、飢饉と剣」に嘆くこととして描かれていました。イエスはこのときもエルサレムがローマ帝国の手によって滅ぼされることをはっきりと預言しておられました。
そこで、イエスが、エルサレムが受けるべき「憤りの杯」を飲まれたと信じた人はその滅亡を免れ、世界に遣わされて行きましたが、それを信じなかった人々はエルサレムとともに滅亡して行きました。
それは終わりの日に私たちに実現することでもあります。イエスは主からの「憤りの杯」を飲むことができるために、私たちと同じ人間になられました。それを信じ受け入れる者の前から、主の「憤りの杯」は「過ぎ去って」行くのです。
43節には、「イエスが再び戻ると、彼らが眠っているのを再び発見した。まぶたが重くなっていたのである」と記されます。ここにイエスの悲しみを読むことができるのではないでしょうか。
それを感じた弟子たちの気持ちがマルコの平行記事では、「彼らは、イエスに何を答えてよいか分からなかった」と、彼らの恥じ入っているようすが描かれています。
しかし、このときイエスは弟子たちに何も言われなかったようです。そのことが、「イエスは彼らを残して再び離れて行き、三度目の祈りをされた、同じことばを言いながら」(44節) と記されています。
それは一度目と二度目と同じことばの繰り返しなのかも知れません。イエスは明らかにいろいろなことばで祈っておられたのでしょうが、ここにはその核心のみが記されているのでしょう。
イエスの祈りには自分の正直な気持ちの告白、人々の救いを求める思い、また神のみこころがなされるようにという思い、それらすべてが合わさっています。
私たちの祈りの中でも、自分が味わっている気持ちをまず告白することが大切です。同時に、他の人々や社会全体のために祈ること、そして、最後にすべての願いを正直に訴えた後に、「私が望むようにではなく、あなたが望まれるままに」という祈りにまとめられるべきです。
イエスは主の祈りで、「みこころがなされますように、天におけるように、地の上にも」と祈るように勧めてくださいました。それこそ私たちの祈りの結論となるべきです。
ただ、多くの人はそれを形式的に祈るだけで、それが心の底からの思いとなっていません。それは祈りの最初に、自分の正直な葛藤や不安を表現しないことの結果と言えましょう。心を注ぎ出すことからすべてが始まるべきです。
さらにここでは、「それから、イエスは弟子たちのところに来られた。そして言われた」と記されながら、そのことばの直訳は、「もう(これから)眠りなさい。そして、休みなさい」(45節) と記されます。
実際、ここの脚注でもマルコの脚注別訳でもフランシスコ会訳でも、「もう眠って休みなさい」と記されます。Jewish new Testament Davide Stern 訳では For now、 go on sleeping、 take your rest と記されます。これは怒りと失望を込めた皮肉のことばではないでしょうか。ここにイエスの人間としての正直な気持ちの表現が見られます。
これは、イエスが先に弟子たちに、「ここに留まりなさい。そして、わたしと一緒に目を覚ましていなさい」と命じられた、その祈りの時間が終わってしまったことを鋭く指摘されたと考えるべきでしょう。
しかも、これから弟子たちに求められる反応こそが、人々の脅しや嘲りを聞きながらも、まるで眠って、休んでいるように、それらに振り回されない生き方です。
ところが弟子たちは、祈るべき時に眠り続けてしまい、これからの危機的な状況の中で、肉の弱さに振り回されるような反応をして、イエスが自分の主であることを三度も否認し、またイエスを見捨てて逃げてしまうような臆病な行動を取ってしまうのです。
それをイエスが分かっておられるから「もう眠りなさい、そして休みなさい」という皮肉を言われたのでしょう。それは弟子たちに心に突き刺さり、後に落ち着いたときにイエスのことばには皮肉とともに霊的な知恵が込められていたことを知ったことでしょう。
私たちはときに感情を込めた皮肉や叱責のことばを用いる必要もあります。
それに続けてイエスは「見よ、時が来たのだ。人の子は罪人たちの手に渡される。立ちなさい。さあ、行こう。見なさい。わたしを裏切る者が近づいている」(45、46節) と言われました。彼らはこれから眠りたくても眠ることができません。しかし、これからのときこそ、肉体的には眠っているかのような反応が求められるときなのです。
とにかく、弟子たちは、この肝心の時に眠り続けたことで、心がますます混乱し、危機に対応できなくなります。
それに対してイエスのこのときの対応をヘブル書の著者は全生涯に拡大して、「この方(キリスト)は、ご自分の肉体の日々において、祈りと願いとを、ご自分を死(の支配領域)から救い出すことができる方に向かって、大きな叫び声と涙とをもって、ささげられ、その敬虔のゆえに聞き入れられました」(5:7私訳) と描いています。
多くの人は恐怖や不安を紛らわすことに夢中になります。しかし、私たちはそれを祈りによって解決します。それこそがイエスの姿でした。
抑圧された恐れは、後でその人を罪へと駆り立てます。それを正面から見据えて、それを父なる神に訴えるところに勝利があるのです。
クリスマスは、太陽の創造主が、ひ弱な赤ちゃんとなられたことを記念する日です。それは私たちに、「強がり」という心の鎧を外すことを教えてくれます。
しかも神は、御子のいのちをマリアとヨセフという貧しい夫婦の手に委ねられました。それは神の「力は弱さのうちに完全に現れる」(Ⅱコリント12:9) ことを教えるためでもあります。
強がった弟子の愚かさを、イエスの「叫び声と涙」から見て行く必要がありましょう。