戦いと平和の77年間〜詩篇47篇

三日前の8月16日の投稿で、米国は20年に一度、武器の在庫一掃セールのように、直接的な戦争から、戦争国への援助などをしていると言っていた友人の話をご紹介しました。すると、ある方が、「アメリカ合衆国が関与した戦争一覧」という表をご紹介くださいました。 でご覧いただけます。

それをご覧いただくと、米国の歴史は戦争に次ぐ戦争の日々であることが分かります。太平洋戦争は、このような戦争のプロフェッショナルと、落としどころも見えないまま戦い続けた悲劇とも言えましょう。米国にとっての戦争は、外交交渉の一部に過ぎません。ですから、国土が徹底的に荒廃するまで戦い続けるなどというシナリオは想定外だったかもしれません。

一方、ロシアの関与した というのもありますが、肝心のソ連時代の資料が掲載されていません。

前回も書きましたように、1979年から9年間のソ連によるアフガニスタン侵攻は現在のタリバン政権を生むきっかけとなりましたが、それは当時、米国が現地の抵抗運動に大量の武器弾薬を供与したことによります。このようなソ連との間接的な戦いを入れると、米国は戦争に関与していなかった期間はほとんどなかったと言えましょう。また現在のロシアも戦争に関わっていない年は一年もなかったことが分かります。

残念ながら、世界の大国は常に、どこかの戦争に関わっているという現実があります。

そのような中で、日本が1945年の終戦以降、77年間もの間、直接的に戦争に関わることなく平和を守ることができたいというのは、世界の奇跡とも言えましょう。これは第二次大戦の悲劇を全国民が反省し続けた結果とも言えます。

一方、これは国際政治的には、いつもアメリカの陰に隠れ、諸国との直接的な対決を避けてきた結果とも言えます。米国が戦ってくれているおかげで、また、米国の報復力のかげに隠れることで、日本は戦わずに済んだという側面もありましょう。

1868年の明治維新から77年後が1945年の敗戦でした。明治維新からの77年間と、敗戦からの77年間はなんと対照的なことでしょう。

しかし、そこに共通点もあります。明治の45年間 日本は経済も領土も国力も拡大し続けましたが、大正時代になってその歪みが明らかになり、バブルが崩壊するように経済も崩壊し、1920年以降の停滞期に入りました。そこから起死回生の軍事作戦を展開して滅亡に至ります。

1945年からの45年間、日本は右肩上がりの成長を続け、1980年代には Japan as No.1 などと言われるほどの世界的な評価を受けました。しかし、1990年のバブル経済崩壊後、約32年間もの間、驚くべき低成長の時代に入っています。幸い、昭和初期の日本のように、起死回生の博打に打って出ることはありませんでしたが、日本全体が、この長く続く低成長の時代からどのように抜け出せるか、もがき苦しんでいます。

現在の日本は、このコロナ禍で、デジタル技術の遅れで世界的に注目を受けるほどになっています。様々なデータがいまだに手作業で入力され、政府も情報の管理の面で世界標準から驚くほど遅れています。米国に負け続けているばかりか、中国や韓国、台湾などのアジア諸国に後れを取り始めています。

戦後の77年間の平和は、世界史的に注目されるべき奇跡です。

この平和を保ちながら、同時に、どのように経済を成長軌道に乗せることができるか、それが今、問われています。

詩篇47篇7、8節に次のように記されています

まことに神は全地の王。

ことばの限りほめ歌を歌え。

神は国々を統べ治めておられる。

神はその王座に着いておられる。

世界の大国が軍事力で国際政治を動かしている中で、日本がどのように世界の諸国と協力関係を築き、平和を保つことができるかが問われています。その鍵は、全世界の王の王である神を賛美しながら生きることにあります。

日本のほとんどの方々は、この世界の王である神を忘れて生きています。またキリスト教国と見られる米国でも、軍事力こそが平和の鍵だと見られています。日本のクリスチャンは、驚くほどの少数勢力ではありますが、それでも世界に影響力を発揮できないわけではありません。それは驚くほど困難な道のりだと思われます。

ただ、過去77年間の平和は、神の一方的な恵みであったとも言えます。ただ、世界政治は動いています。そこでどのように私たちが祈り、どのように政治に関わって行くかが問われています。