エステル記に記される「抑止力」

最近、数年前に話題になったある韓流ドラマを、時間をかけて見てしまいました。韓国の大財閥の娘が、パラグライダーに乗っている中で、竜巻に巻き込まれ、北朝鮮に不時着してしまい、そこで北朝鮮の軍人との恋が芽生える……という話です。改めて、朝鮮半島の南北間の緊張関係と、北朝鮮に住む人々の生活に思いを馳せると同時に、朝鮮半島の統一がそれぞれにとっての悲願であるということが思い知らされました。

北朝鮮の最高指導者 金ジョンウン氏は、昔、スイスに留学していたということですが、今も、北朝鮮の上流階級にとってはスイスは憧れの地なのかと思います。それは多くの韓国人にとっても同じでしょう。そして、南北に引き裂かれている民も、スイスでなら出会うことができる……という現実があることに驚きました。

画像に映るスイスの美しさは感動的でした。ドイツにいたときに何度もスイスで休暇を過ごしましたが、もう一度、行って見たくなりました。

スイスは永世中立国として有名ですが、東京都よりずっと少ない865万人の人口の国に、四つもの公用語があります(ドイツ語、フランス語、イタリア語、ロマンシュ語)。四つの異なった公用語を持ちながら、400年近い独立と平和を保っています(ごく短期間の内戦はありましたが……)。

しかし、今も、徴兵制と国民皆兵の原則があり、多くの家庭には自動小銃も貸与され(銃弾は渡されていない)、シェルターも完備されています。(決して、それが日本にも必要であると言っているわけではありません。)

スイス人は「高校、大学等の卒業生の知識、技能ランキング」で世界一を誇っており、中学校在学時から将来の仕事を考えながらの学びや職業教育がなされているとのことです。まさに、自分の身は自分で守るという気風が、各個人から共同体、国のレベルまでを支配しているようです。

最近、ロシアのウクライナ侵攻以来、「核抑止力」の必要性が議論されるようなことさえ生まれています。しかし、真の「抑止力」とは、何よりも、一人ひとりの、自分たちの共同体や国を、自分で守るという断固たる意志ではないでしょうか。

日本の防衛に関しても様々な見解があります。ただ、非武装中立を訴えるにしても、大きな軍事力の必要を訴えるにしても、一人ひとりの意識が問われています。平和は、備えなしには実現しないからです。

あすもエステル記から礼拝メッセージが取り次がれますが、ハマンが王の名で出したユダヤ人絶滅計画は、王命となっていたために、取り消すことができませんでした。それは、ユダヤ人の自己防衛権をペルシア王国が保証するという形で阻止されることになりました。それは「どの町にいるユダヤ人にも、自分のいのちを守るために集まって」、敵を滅ぼすことが認められ、「ユダヤ人が自分たちの敵に復讐するこの日に備える」ことが許されたこととして描かれます (エステル8:11、13)。

真の抑止力は、敵側が攻撃することが自分たちの損にしかならないことを心から理解されることから生まれます。それが今、平和的にどう達成されるかが問われています。

多く政治家は、自分たちが立てた政策に、「あちらを立てれば、こちらが立たず」という二律背反の原則があるということを語りたがりません。どのような政策にも、「それを進めると、別の問題が生まれる」という必然性があるのにも関わらず……。ただそれでも、多くの人が、互いを尊重して、互いを守るために、必要ならば自分の命を差し出すこともできる……という気風のある共同体や国を、不当に攻撃できる団体や国はありません。自由な意識に基づく共同体のまとまりこそ、何にも代えがたい「抑止力」になるということを覚えたいと思います。