ウクライナ情勢がますます厳しくなっています。日本人の感覚からしたら、どうしてウクライナ人はここまで激しく抵抗するのかと思うかもしれませんが、それは日本が基本的に外国の支配下に置かれたことがないからかもしれません。唯一日本が外国に占領されたのは第二次大戦直後です。しかし、不思議に、多くの日本人が当時のマッカーサー元帥の占領を喜んでいるほどです。日本国憲法における基本的人権に関わる条項には聖書的な視点が明確に含まれています。
しかし、このような事例は歴史上は稀有な出来事です。もともと聖書のストーリーは、イスラエルの民がエジプトの奴隷状態から解放されたことから始まっています。出エジプト記は奴隷状態からの解放と、理想的な神の国の樹立というビジョンをもとに記されています。
そして新約の福音も、私たちが無意識のうちに「空中の権威を持つ支配者」であるサタンの支配に置かれており、その状態から解放されることとして描かれています (エペソ2:1-3)。そして使徒パウロが、キリスト者は異教徒の支配下に置かれても、キリストにある心の自由を守るように勧め、「あなたがたは代価を払って買い取られたのです。人間の奴隷となってはいけません」(Ⅰコリント7:23) と命じています。
自分たちの国が外国の支配下に置かれたときの対応は、一律的な視点はありません。旧約聖書の後半部分では、基本的に、異教徒の支配を受け入れるように勧められています。それは、その上に全能の神のご支配があるからです。しかし、権力者が信仰の自由までも抑圧してくるときに、「人間の奴隷となってはいけません」ということばが響いてきます。
既に書いておりますように、ロシアという国は9世紀に現在のウクライナのキエフ(キーウ)から始まっています。ただ、1200年ごろモンゴル帝国がこの地を支配することになったのを契機にモスクワ中心のロシアとキーウ中心のウクライナに分断されます。そして、1700年ごろのロシアのピョートル大帝のころから、ウクライナはロシア帝国の一部としてある程度の自治権が与えられてきました。現在のプーチン大統領はこの時代を理想としています。
ウクライナに現在の共和国としての領土が保障されたのは、レーニン主導の共産主義革命のときで、プーチンはそれが間違いの根本だと言っています。しかし、そのときレーニンの共産主義革命に真っ向から反対したのがウクライナの住民でした。それは豊かな自営農家が多かったためです。
ソビエト連邦下でのウクライナ自治共和国は、激しいウクライナ人の抵抗の結果としてできているもので、ウクライナ人からしたら、ロシアによるウクライナの弾圧は、この今から百年前のソ連支配から始まっていると見られています。
以下で、在日ウクライナ人女性が分かりやすく解説したウクライナの歴史をご覧いただけます。6分ぐらいにまとまっていますので、ぜひご覧ください。この編集者は、この動画が拡散されることを望んでいます。なぜなら、多くの日本人は、ウクライナ人がなぜ、これほど激しくロシアに抵抗するかが理解できないからです。
なお、キーウのユダヤ人クリスチャンから始まった教会が、積極的にウクライナ国内での支援活動を展開しております。神田英輔先生を中心とした「声なき者の友の輪」の でその働きの紹介がなされております。
まもなく、これの更新が行われますが、三日前にウクライナの集会から今までの支援の報告と、今後の国内避難民避難所開設のお知らせが下記のように来たのとのことです。特記事項として、これまでのウクライナの広範囲での支援物資配布先地域名が挙げられてます:
- キーウ
- ブチャ
- イルピン、スミラ(キーウ南東150キロ)
- ジトーミル(キーウ西100キロ)
- フメリニチキー(キーウ南西200キロ)
- ヴィニツィア(キーウ南西150キロ)
- ウジホロド(西部、スロバキア国境沿い)
- オデーサ(黒海沿岸)
- ミコライウ(黒海沿い)
- ハリキウ(ウクライナ第2の都市、東部ロシア国境近く)
- ドニプロ(キーウ南東450キロ)
- ザポリージャ(ドニプロの南80キロ 、ヨーロッパ最大の原発が位置する)
- ビラ・ツェルクヴァ(キーウ南70キロ)
- リビウ(西部主要都市)
- チェルニウツィ(西部、ルーマニア国境近く)
- マリウポリ
ロシア占領下の地域へも、支援物資と医療品を配送。
今後の活動方針:国内避難民の救援センター開設
- 西部リビウ
- スロバキア国境沿いのウジホロド
- キーウ市内
リビウでは施設を特定し、準備開始(写真あり)。
まもなく更新されるブログをご覧いただければ幸いです。