怒りなさい、しかし罪を犯すな……悪魔に機会を与えないように

ウクライナからの悲惨な話が日々伝わってきます。何という非人間的なことが行われてきたことでしょう。

ただ、私たちはそれぞれの報道の仕方にも注意を払う必要があります。振り返ってみると、2月24日のロシアの攻撃までは、ほとんどの報道でロシアのプーチン大統領の発言、NATOの勢力圏がロシアに迫って来ることが問題なのだという見解が、そのまま流されていました。

ですから、当時の多くの人は、ウクライナがNATO入りを目指してロシアを刺激することが問題の根本だという解釈をしていたように思います。

しかし、ロシアの無差別攻撃が始まったときに、日本のほとんどのメディアは、徹底的にウクライナに同情的になりました。そして、日本政府もすぐにNATO諸国に足並みを合わせてロシアに制裁を科すという流れになっています。

そして、ほぼすべての報道が、反ロシアでまとまっています。まるでウクライナに連帯してロシアと戦うというプロパガンダ的な報道に流れています。

私自身としては、個人的には、プーチン大統領が平気で嘘をつく、ソ連の秘密警察KGB的な発想に生きている独裁者であるという見方には賛成できます。

ただ、納得できないのは、つい最近まではプーチン大統領のことばをそのまま流してきたような報道が、一斉に、百八十度変わってしまっているというムードの変化です。

たとえば、現在、とんでもない悲劇を迎えているマリウポリの現実があります。未だ10万人が残っているとも、また17万人が水も食料もない中で残されていると報じられています。

しかし、なぜ、この町だけがこれほどの厳しい攻撃を受けながら、ロシアに屈服しないか、また、なぜロシアがこれほど執拗にこの町を包囲し続け、一般の住民の避難を邪魔するかについての理由が報じられません。

それは先週の金曜日に書いたように、アゾフ大隊の本拠地がマリウポリにあるからに他なりません。そして、ロシアは、このアゾフ大隊を指してネオナチと呼び、アゾフ大隊こそが、ウクライナ軍の暴力性を代表であるかのような報道を流しています。

戦争にはプロパガンダが付き物です。限られた時間内で、報道する人が、アゾフ大隊のことなど語る暇がないのかもしれません。しかし、このアゾフ大隊を巡っての双方の非難合戦を見て初めて、ロシアとウクライナの間に蒔かれた憎悪の歴史を見ることができるという面もあります。

僕はアゾフ大隊をネオナチだとは思っていません。しかし、そのような噂が立っていること自体が、このマリウポリの悲惨を激化させているということは、知らされるべきだと思います。

そうでないとロシアを徹底的に憎むというプロパガンダに流されてしまいます。

私たちはロシア軍の無差別攻撃に怒って当然です。しかし、これらの悲劇を起こす背後にいる真の敵が誰なのかを忘れてはなりません。

エペソ人への手紙4章26、27節は以下のように訳すことができます。

怒りなさい。しかし、罪を犯してはなりません。
憤ったままで日が暮れるようであってはなりません。
悪魔に機会を与えないようにしなさい

つまり、怒りは、私たちが抱くべき正当な感覚なのですが、サタンはその背後で人の心を操り、互いの怒りが、目に見える人間に向かうように働きかけています。

悪魔であるサタンは、怒りの種を蒔き、人と人との間に不信感と憎しみをまき散らして、争いを激化させています。

僕はドイツのメルケル前首相を尊敬しています。しかし、今、ウクライナのゼレンスキー大統領は、2007年にウクライナのNATO入りを妨害したメルケルこそ非難されるべきということまで言い出しています。

今や、ドイツで16年続いたメルケル政権のロシア融和政策こそが、今回のロシアのウクライナ攻撃の原因となったという話にまでなってしまっています。

しかし、そのような論調もあまりにも一面的です。メルケルさんがどれほど身を削るようにしてプーチン大統領に向き合って来たか、そのようなバランスで見る必要があります。

目に見える政治家を非難することよりも、互いの間に不信の種を蒔くサタンの存在にこそ目を向ける必要があります。そうでないと、敵にしてはならない人までも敵として、争いが争いを生むという悪循環になります。

今は、キリストの受難を覚える季節です。そして来週金曜日4月15日はイエス様が十字架にかけられたことを覚える日です。

例年と同じように、来週金曜日午後7時から受苦日音楽礼拝を開きます。対面とZoom併用です。可能な方はぜひご予定ください。当教会のHPに案内が掲載されております。