ウクライナの悲惨の中に見られる神のみわざ

ウクライナの悲惨が毎日、報じられます。聖書の神が全能の主であるならば、なぜ、このような悲惨が許されているのかと思います。しかも、互いが自分たちの正義を訴え合っています。ロシアのプーチン大統領とその側近たちも、米国と西欧諸国の攻撃から国を守るという正義の戦いをしているつもりです。そこで問題になるのは、「神のために戦っている」という誤った正義感です。イエスの時代のパリサイ人や律法学者たちも、神の国イスラエルを守るために、イエスを排除しなければならないという正義感に燃えていました。

たとえば、イエスが取税人や罪人たちと食事をしているのを見て、パリサイ人はそれを正義に反すると批判しました。それに対しイエスは、ホセア6章6節を引用して反論しました (マタイ9:10–12)。

そこで主は「わたしが喜びとするのは真実の愛(ヘセド)。いけにえではない。全焼のささげ物よりむしろ、神を知ることである」と言っておられます。

「神を知る」とは、聖書に記されているイエスの生き方に倣うことでもあります。そこでは、一瞬一瞬の、誠実さが問われています。

プーチン大統領がどれほど自分の正義を訴えようとも、ロシアが発しているプロパガンダに、真実を見ることができるでしょうか。明らかな無差別攻撃をしながら、テロリストからウクライナを守ってる……という話に真実はありません。

一方、ポーランドやルーマニアなどのかつての共産圏の東欧諸国が、ウクライナ難民を必死に受け入れ、お世話をしている姿には、誰もが感動します。まさに、そこにイエスの生き方に倣う人々が見られます。

私たち日本人は、軍備を持って戦うこと自体を否定的にとる傾向があります。ただ、それまでのロシア中心のソ連が行って来た民族虐殺の数々の歴史を見るときに、ウクライナの若者たちが、自分の身を犠牲にしても家族を守るために戦おうとしていることを、安易には否定できないと思います。

彼らは、ロシア人を殺すために戦っているのではありません。そこに迫って来る戦車を止めるために、自分の身を犠牲にして差し出そうとしているのです。

以下のようなユーチューブが配信されています。必死に、神にすがりながら、神ご自身がロシア軍の進軍を止めてくださっている不思議を証し、ミサイル攻撃から守られたという証しがなされています

テレビの報道ばかりを見ていては、神のみわざを見失います。しかし、悲惨な戦いのただ中に、また、難民を必死に受け入れようとしている人々の働きの中に、イエスの御跡に従う人の姿を見ることができます。

「神の正義のため」と主張する人が、イエスを十字架にかけ、また今は、ウクライナに非道な攻撃をしかけています。一方、そこで苦しむ人々のために必死に身を投げ出して、可能な一つ一つの働きを成し遂げる人の中に神の愛を見ることができます。イエスに倣う人の姿を探し出し、それを広げさせていただきましょう。

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