自由の意味・プラハの春・ビートルズ〜Ⅰコリント9章19節

ウクライナのことが本当に心配ですが、ロシアでの反戦運動の広がりに期待したいところです。人の心は軍事力では抑えられません。その際に、信仰とともに音楽が大きな力を発揮します。

昨日、ビートルズの映画「ゲット・バック」を洋子と二人で見に行きました。改めて見た彼らの姿を、洋子は「こんなに可愛かったんだ……」と感心していました。

この映画は、1969年1月30日の42分間のルーフトップコンサートの画像です。ビートルズのレコード会社アップルの屋上で、突如開かれたゲリラコンサートで、警察に止められることを知っていながら、彼らはどうしてもライブを開きたくて、これを決行しました。

これは、彼ら自身の音楽への情熱から生まれたと言われますが、僕はここに、前年の1968年8月に起きた「プラハの春」弾圧に対する抗議を読むことができるような気がしています。

ソビエト社会主義の思想統制が東ヨーロッパを支配していた時、チェコスロバキアのプラハで、民主化運動が起きました。「人間の顔をした社会主義」がスローガンになりましたが、それに対し、ソ連を中心としたワルシャワ条約機構軍が何と60万人の大軍を送って、チェコ全土を支配し、武力で民主化運動を止めました。理由は、西側の画策によって、東側の体制が崩されようとしているという理由です。今もそれを三分の一近くものロシア人がそれを信じているとのことです。現在のロシアのウクライナに対する攻撃は、これと同じパターンです。

でも、そのチェコのプラハで、ビートルズのヘイ・ジュードをカバーしたマルタ・クビシュバーの「マルタのヘイジュード」というのが国民の間で歌われるようになります。もちろん、すぐに発禁処分とされ、彼女も歌うことを禁じられますが、人々の間では歌い継がれて行きました。以前、NHKでも特集を組まれました。以下でごく短くそれをご覧いただけます。

歌詞は、もともとのヘイジュードから大きく変わって、以下のようなものです。

ねぇ ジュード 涙があなたをどう変えたの
目がヒリヒリ 涙があなたを冷えさせる
私があなたに贈れるものは少ないけど
あなたは私たちに歌ってくれる
いつもあなたと共にある歌を

ねぇ ジュード
甘いささやきは 一瞬 心地いいけど
それだけじゃないのね
「韻」の終わりがある すべての歌の裏には「陰」があって
私たちに教えてくれる
人生はすばらしい 人生は残酷

でもジュード 自分の人生を信じなさい
人生は私たちに 傷と痛みを与え
時として傷口に塩をすりこみ 杖がおれるほどたたく
人生は私たちをあやつるけど悲しまないで

ジュード あなたには歌がある
みんながそれを歌うと あなたの目が輝く
そしてあなたが静かに 口ずさむだけで
すべての聴衆はあなたにひきつけられる
あなたはこっちへ 私は向こうへ歩き出す
でもジュード あなたと遠くはなれても
心は あなたのそばに行ける
今 私はなす事もなくあなたの歌を聴く自分を恥じている
神様私を裁いてください
私は あなたのように歌う勇気がない

ジュード あなたは知っている
口がヒリヒリ 石をかむようなつらさを
あなたの口から きれいに聞こえてくる歌は
不幸の裏にある「真実」を教えてくれる

これから約20年が経った1989年12月にプラハでビロード革命が起き、現在に続く自由な政権が確立されますが、この歌がチェコ市民の間で長く歌われ続けてきたということが明らかにされました。

もともとビートルズは、このプラハの春の時期に、「Back to the USSR」という歌をリリースしています。これは歌詞としては、英国の航空会社でソ連に戻ることができた感動を歌っている歌詞のもので、西側諸国からは批判されましたが、それがかえってソ連国内で歓迎されて広がりました。ビートルズを知る人は、これはどう考えても、ソ連体制への「皮肉」としか聞こえないのですが……とにかく、ビートルズの曲は、ソ連国内でも「自由」の象徴として広がって行きました。

先のビートルズの「Get back」も意味不明のナンセンスな歌詞にしか聞こえませんが、「戻ろうよ。おまえが昔、属していた場所に」という繰り返しは、ビートルズの原点回帰ばかりか、現代的には、「ロシアに帰ってよ……」とも聞こえます。当時もそのようなチェコに対する連帯を感じることができた人がいたような気がします。昨日、僕ははそれを聞きながら、改めて、「ロシアに帰ってよ……」と心に響いてきました。それに続けて歌われたジョンの恋の歌「Don’t let me down」も、現在のウクライナの苦しみに合わせて、「もう、僕を打ちのめさないでよ」と聞くことができました。

映画で何よりも面白かったのは、ビートルズのある意味で身勝手なゲリラ・コンサートを多くの人々が喜ぶとともに、それを騒音として、警察に取り締まりを願う人も、強圧的な取り締まりを誰も望んでいないことが明らかなことです。まさに、当時のロンドンにおける表現の自由が現されています。

僕は米国留学時に、より大きな「心の自由」を求めてイエス様を信じる決意をしました。日本の村社会の同調圧力から自由になりたかったという面があります。

使徒パウロは、キリスト者の自由を次のように描いています。「私はだれに対しても自由ですが、より多くの人を獲得するために、すべての人の奴隷になりました。ユダヤ人にはユダヤ人のようになりました。ユダヤ人を獲得するためです……弱い人たちには、弱い者になりました。弱い人たちを獲得するためです」(Ⅰコリント9:19–22)

ここには、私たちキリストのうちに生かされる者の「心の自由」が描かれています。「永遠のいのち」のうちに生かされている者は、もうこの世の権力者の脅しに屈する必要はありません。私たちはすでに死を超えた「いのち」のうちに守られているからです。また、村社会の同調圧力を恐れる必要もありません。どれほどの孤独に追いやられても、必ず、キリストにあっての仲間が与えられます。

しかしそれは、神様から与えられた使命のために生きる自由であり、他者への愛のために自分の自由を自主的に放棄できる自由でもあります。

またソ連を内側から壊したものがキリストにある復活信仰であるとも言われます。

ビートルズが大切にした「自由」は、一見、身勝手さの追及の面がありました。でもこれが、復活信仰と結びつくときに、この世の独裁者に打ち勝つ力になって行きました。それは今も続いています。

ロシア国内での自由の広がりに期待し、祈って行きたいと思います。